緊急入院からちょうど10日が経ちました。
今夜もつかどうか・・・と救急医に言われた母が、10日も生きています。
「奇跡的に回復しましたが、一時的なものと思って下さい、
この数値から考えられるのは、せいぜい3日くらいでしょう」
と翌日言われた母が、その3日を過ぎてさらに一週間も生きています。
幻覚や意識混濁もほとんどなくなり、顔色も少しよくなってきました。
「こんなケースは初めてです」と、今日、若い主治医が言いました。
よほど、生命力が強いのでしょうか。
母の生きる意欲が強いのでしょうか。
「もう充分長生きしたから、もう早くあっち側に行きたいと思ってるんだけどね~」
といつも言ってた母の言葉は、本心ではなかったのでしょうか?
しかし、相変わらず尿がほとんど出ません。
手足も顔も胸もむくんで、寝返りを打たせる時も苦しそうです。
意識朦朧としていたときは、カテーテルをはずしてトイレに行きたいとジタバタしていました。
すごい力で手を下の方へ伸ばし、今にも管を引きちぎりそうになるので、
私たちはベッドの両側で母の腕を抑えていなければなりませんでした。
娘や孫を看護師と思い込んでいた母は、
「トイレに行かせて下さい!おしっこが出そうなんです」と訴え、
「ここで出して大丈夫ですよ。オムツの中でしましょうね」と看護師のふりをして言うと、
「こんなところでできるわけないじゃないですか!出ませんよ。どうしてこんなひどいことをするの!
どうして私をいじめるの!お願いですからトイレに行かせて!」と何度も懇願します。
意識がはっきりして、状況が理解できてくると、ムダな抵抗はしなくなったけれど、
今度は精神的な苦痛が押し寄せてきたようです。
何度も腕時計を見る母に理由を尋ねると、
「時間が経つのは遅いねぇ。早く時間が経てば早く死ねるのに…」
「生きていても皆に迷惑をかけるばかり…」と言います。
「迷惑じゃないよ、お母さんは病気なんだから皆で看護するのは当たり前じゃない!
余計な気は使わないで、ゆっくり休んでね」
と言うと、目を閉じたまま頷きます。
が、体調には波があって、再び意識がおかしくなってくると、怖い顔をしてうわごとが始まります。
「どうしてこんな仕打ちをするの?」
「ここが病院?うそばっかり!痛い思いをさせられるだけよ!ここから出して!早く娘を呼んで下さい!」
時には優しいうわごともあります。
宙に手を伸ばそうとするので、「どうしたの?」と訊くと、
「あの棚のみかんを取ってやろうと思ってね。ほら、食べなさい、悪くなるよ」
「うん、ありがとう」と言って、食べるマネをすると目を細める。
また、シーツをしきりにつまむので、「何してるの?」と訊くと、
「バナナの皮をむいてあげようと思ってね、でも、なかなかむけないのよ、へんだね~」
「そう。自分でむくからいいよ」と言って、指先のものを受け取る仕草をすると、安心したように頷くのです。
昨日、今日は、そのような幻覚もうわごとも全くなく、ほとんど目を閉じていました。
検温や血圧測定、点滴交換、回診、体の清拭等スタッフが来て、体を触られるたびにビクっと目を見開きます。
体中がむくんでいて、しかもずっと寝ているので、あちこちがかなり痛いようです。
ときどきお茶や牛乳を要求し、ほんの1口、2口飲みますが、苦痛に顔をゆがめます。
病院内の空気が乾燥しているせいか、喉が痛くて飲み込むのも辛いのです。
こんな様子をずっと傍で見ていると、なんだかわからなくなってきました。
私たちは、本当に母をいじめているのではないか・・・?
足の甲に刺した点滴の針や、鼻に付けている酸素チューブや、尿道カテーテルなどを全部外してあげて
ただオムツだけをして自由に寝かせてあげたら、母はどんなに安らかな気分になるだろう・・。
そう思いつつも、看護の知識や経験もない自分に何ができるかと考えれば不安になって、
明日もまた病院のスタッフの方々によるプロの看護と介護に感謝しつつ、
一方で、母への後ろめたさに、胸がチクチクするのでしょうか・・
今日、娘が埼玉に帰りました。明日は姉も栃木に帰ります。
娘と孫とひ孫の全員が駆け付けてくれて、お正月異常に全員集合の10日間でした。
それだけが母にとっては入院による収穫?と言えるのかもしれません。