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佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

次世代エネルギーについて考えよう~

2012-10-09 | 佐世保・長崎

「ハウステンボス」と言えば、オランダの古き良き町並みを再現したテーマパークとして有名ですが、

5年前、日本で初めての「次世代エネルギーパーク」に認定されたこと、ご存知でしたか?

私は、kirara内の展示資料を見て、びっくり!とても感動したのを覚えています。

 

昨日、アルカスSASEBOで、「ハウステンボスの環境・エネルギーへの取り組みについて」の講演があるというので、期待して出かけました。

が、残念ながら期待はずれ。

正味30分くらいの講演で、半分は現在開催中のイベント情報や、この冬の新企画の紹介など。

やっと本題に入りましたが、

ほとんど、既知のことばかり。

新たな情報としては、

ハウステンボス内10箇所に設置した太陽電池だけでなく、

ガス会社買った天然ガスを使っての発電もやっており、

両方合わせて、900kwの電力を得ているとのこと。

昨冬、東洋一のイルミネーションとして話題を呼んだ「光の王国」は、

820万個の電球の全てがLEDで、しかも、このイベントに費やした電力は、

この自力発電システムで賄ったものだそうです。

さすが!

今年はさらにバージョンアップして1000万個をめざしているそうで・・・

行ってみようかな~

 

ところで、昨日の講演は、「SASEBOジャンボリー2012YELL!!」のワンコーナーでした。

佐世保青年会議所主催のイベントで、

「食」「生きる力」「郷土愛」「エネルギー」の4つのテーマを掲げ、

その一つエネルギーに関しては、3つの講演を用意、

その中の一つとしてハウステンボスの取り組みが語られたので、時間的に短くなったのでしょう。

同じ時間帯、大ホールでは、「生きる力」について、俳優の宇梶剛士さんの講演があり、

そのせいか、こちらの観客は20人ほど・・・

 

ところで、その講演の前に青年会議所自身がまとめた「地域の再生可能エネルギーを知ろう!!」

という研究発表があったのですが、意外にもこちらのほうが勉強になりました。

発表の途中から入ったので、前半の説明は聞きそびれました。

私が聴き始めたのは、このバイオマス発電から。 

 

 

 

 など、各自然エネルギーについて、システムや特徴、コスト、メリット&デメリットなどを紹介、

さらに、それらの特徴が、長崎県という地域の特性の中で活かせるかどうかの可能性、

等々をまとめ、最終的な評価を10段階で示していました。

聞き損なった太陽光発電や風力発電については、

発表終了後、後ろの掲示板に、このように展示してあり、知ることができました。

 

総合的に高い評価を得たのは、やはり太陽光と風力。

どちらも総合評価が8で、最高点でした。

しかし、総合評価はそれに次ぐ7点でしたが、

安定性やメリットの面で、9点という高得点をマークした地熱発電に、

私はかなり期待できそうなものを感じました。

 

なんといっても、季節や天候に左右されず、一年中安定的に発電できるのがいいですよね。

特に地熱バイナリー発電は資源が枯渇する心配もないし、メリットいっぱい。

ただ、掘削調査に時間がかかったり、建設コストの面で難点がありますが、

今後の技術開発に期待したいものです。

火山列島で温泉がいっぱいの日本、

地熱発電は、素人考えながら、私も有望だと思います。

 

ところで、

ハウステンボスさんの講演が終わったところで、「こんにちは~」と声をかけられ、

隣の隣の席に居た方が某市議さんだったことに気づきました。

保守系の市議さんですが、

お話していくうちに、原発には反対だということがわかりました。

理由は、やはり未来のこどもたちのために、

そして、リスクを一部地域に負わせるようなやり方にも疑問を感じていらっしゃるようで・・

「そういう意味では、福島も石木も同じですよね」とポロリ。

えっと思い、  顔に出ていたのか、

「それは、私も皆さんの話を聞いて、感じるものはありましたよ」と。

たぶん、石木ダム強制収用反対の請願時の趣旨説明のことをおっしゃっているのだと推察しました。

「嬉しいですね~、是非もっと聞いていただきたいし、私たちも皆さんのご意見を聞きたいし、

意見交換などしませんか?」と言うと、

「そうですね。委員会の委員を辞めたらね」と、かわされてしまいました。

 

う~ん、残念。

辞めてからでは遅いと思うのですが…

でも、この市議さんも、強制収用が現実味を帯びてきたら、きっと反対してくださるに違いない

と感じて、少し嬉しくなりました。

 


音と光~佐世保の夏

2012-08-15 | 佐世保・長崎

パンパンパンというかバリバリバリというか・・とにかくものすごい大音響が響き渡る。

あ、始まったな。

佐世保に来て5回目の夏ともなれば、もう驚かない。

今日は8月15日、お盆の最終日。

死者の魂を送る精霊船の行列だ。

それにしても、やけに大きな音。きっと大きな船が通っているに違いない。

ちょっと見に行こう~

エレベーターで降りていたら、同じような野次馬仲間が、8階からも6階からも乗ってきた。

みんなカメラを持っているのですぐわかる。

外に出ると、ちょうど目の前を大きな船が通過するところだった。

「エレナ」という社名の提灯。

いつも買い物しているスーパーエレナの関係者が亡くなったらしい。

「エレナ」に負けず劣らず大きな船がやってきた。

パーツライン・・・知らないなぁ。でも、きっと大きな企業なのでしょう。

こんな可愛い船も通ります。

こんなユニークな船も。

そして大小に関係なく、爆竹を鳴らしながら通るので、

破裂音と火花と煙が立ち込めて、さながら戦場のよう。

私はどうも爆竹が苦手で、近くで破裂するたびにキャッ!と言って飛び退いてしまう。

そばで見ていた小さな女の子は、喜んで見ているのに…

 

爆竹は魔除けの意味で使うらしい。

死者の霊を乗せた船が通る前に道路に撒いて、清めるのだそうだ。

それにしてもねぇ、こんなにバカスカ撒かなくても良さそうなものだけど。

死者の霊も、うるさくて安らかな気分になれないのじゃないかナと思うのは私だけ?でしょうね。

精霊船も、船というより、博多どんたくの花電車にどうしても見えてしまうのだけれど…

「じげもん」じゃないから、そんなふうに感じてしまうの?でしょうね。

きっと、あと5年くらいしたら、この音にも、派手な電飾の船にも違和感はなくなるでしょう。

 

いずれにしても、明るく賑やかに死者を送るのは、前向きでとてもいいと思う。

 

佐世保の夏には、もう一つ大音響と光に包まれる日がある。

それは、シーサイドフェスティバルの花火大会。

今年は、8月4日だった。

シュルシュルシュル…ドッカーン!

我が家の前の佐世保港で打ち上げられる花火。

特等席のベランダで、まさに目の前で見られるので、しばしうっとり。

大輪の菊のような大きな花火がはじけて、火の涙になって落ちてくる。

赤や緑や青やオレンジ…色とりどりの花火を独り占めできるような近さで見られる特典は、

やがて、激しさを増す音もセットでやってくる。

いくつもの花火を続けざまにまとめて打ち上げるので、雷の競演のようだ。

こちらもちょっと心臓に悪い。

でも、光の美しさに誘われて、ついつい部屋から出てきてしまう。

花火が終わって静けさが戻る。

いえ、眼下に見える佐世保駅のホームに出入りする電車の音は、いつもとてもうるさいのだけれど、

花火大会の後は、電車の音も子守唄のように優しく聞こえました。

 

うるさくて美しい佐世保の夏です。

 


夏は夕方の散歩がお薦め!

2012-07-27 | 佐世保・長崎

梅雨明けと同時に猛暑到来!

毎日暑いですね~

と言っても、我が家は海のそばで、風通しはとてもいい。

だから、昼間はエアコンをつけずに頑張っています。

午後から気温がグングン上がっても、風がピタリと止まっても、

昼間は節電に努めています。

 

家でのんびりできるんだもの、

暑けりゃアイスコーヒーだの麦茶だの、氷を入れていつでも飲めるし、

汗をいっぱいかいたらシャワーをあびればいいし、

全然苦ではありません。

 

そして、夕飯を食べて、お風呂に入り、さっぱりしたところでエアコンをオンにします。

夫は飲兵衛なので、エアコン無しではまた汗だくになってしまいますからねぇ…

 

私は夕食後一休みしたら、散歩に出かけます。

実は、つい最近始めたのですが、一石三鳥ほどの益あり。

もっと早くからやれば良かった・・と思っています。

 

第一に、全く運動しない私にとって、運動不足が少し解消されます。

第二に、昼間の熱風に耐えた体には、夕方の海風がとても心地いい!

第三に、帰りにスーパーに寄ってお買い物。これが超お得。

     炎天下に出かけなくていいし、お魚などはかなり値引きされています。

 

では、散歩コースを少しだけご紹介しましょう。

 

マンションを出てすぐ前が佐世保駅。

駅の構内に入り、反対側の港口に出ます。

出てすぐの信号を渡ると、そこはもうポートサイドパーク。

ジョギングする人やワンちゃんのお散歩をする人、ベンチでぼーっとしてる人などなど。

ポートサイドテラスには、船もよく泊まっています。

3日前の午後7時半頃、水産庁の「海凰丸」が停泊していました。

この船は、漁業取締船で499トン。

外国漁船による不法操業漁具の回収が主な任務だそうです。

 

沖の方を見ながら、ポートサイドテラスに沿って散歩します。

深呼吸すると、海の匂いが体中に広がって、なぜか元気が出てきます。

鯨瀬桟橋には、離島への小さな連絡船も泊まっています。

鯨瀬ターミナルの向こうには、シーサイドパークがあり、

その向こうは海で、

海の向こうに見えるビルは、米海軍の建物です。

公園の中に入るには暗すぎてちょっと怖かったので、引き返しました。

この広い遊歩道もとても気持ちいいのですが、夜は一人じゃね・・

で、翌日は30分早く7時に出発。

佐世保の今の午後7時は、こんなに明るいんですよ~

歩道も同じ石畳。

この石畳がとても歩きやすくて気持ちいい!

材質はなんでしょう?

レンガかな?

コンクリートやアスファルトと違って、足の裏に硬さを感じません。

その歩道に沿って歩いていくと「くじらせ橋」に出ました。

橋の欄干に鯨のレリーフがあって、カッコイイでしょ?

新港町から塩浜町、山県町、島地町(しまんじちょう)まで歩き、戻ってくると、

もう港は夜でした。

 

スーパーエレナで翌日の食材を買い、アイスを買って帰りました。

お風呂上がりのアイスの美味しかったこと!

 


ホタルの季節

2012-06-11 | 佐世保・長崎

先日(6月6日)夜8時頃、川棚町の川原公民館での会議の途中、

一時休憩して、皆でホタルを見に行きました。

見に行くと言っても、すぐそば。

公民館を出て1分も歩くと、目の前をスーッと横切る小さな灯り。

アッと思った時はもう消えて…

今度は10mほど向こうの川岸で7つ~8つの灯りがポワ~ン、ポワ~ン。

橋まで歩くと、川向こうの樹木の辺りで、何十もの灯りが一斉にピカ~、ピカ~。

 

街灯もない真っ暗闇だから、ホタルも安心して光るのでしょう。

「おーい、ボクはここだよ~」って。

あの幻想的な瞬きは、オスからの求愛メッセージと、それを受諾するメスからの返信なんですって!

ご存知でしたか?

 

先日、6月3日の長崎新聞の「キッズわーるど」のコーナーに解説がありました。

 

オスの成虫が生きるのはわずか7日間ほどで、

そのうち5日はじっとしていて、最後の2日で光を放ち、パートナーを探します。

メスは夫になるオスを選ぶと、その雄の光の強弱に自分の光を合わせて光り、

選ばれたオスは勢いよく降りてきて、メスに近づくのだそうです。

 

ホタルの乱舞が見られるチャンスは一日に2回あるそうです。

午後7時半~9時頃と、午前1時~2時頃。

なぜ2回あるかというと、

メスに選んでもらえなかったオスたちが、真夜中に敗者復活戦をするから…

おもしろい!ですね。

 

ホタルといえば、私はゲンジボタルとヘイケボタルしか知りませんが、

(それも名前だけ。それぞれを識別できるわけではありません)

日本には40種類ものホタルがいるそうです。

世界中には2000種類も!

 

そうして、面白いことに、同じゲンジボタルでも、

東日本のゲンジ君は4秒に1回光り、西日本のゲンジ君は2秒に1回光るんだって!

人間と同じで、西の方がせっかちなのかな?

 

生息数も、温かい西の方がきっと多いのでしょうか?

埼玉にいた時はホタルなんて見たことなかったけど、

こちらに来て、初めて、その感動的な光景を見ることができました。

 

川棚町だけでなく、佐世保にもけっこうホタルスポットがあるみたいですよ。

柚木のホタルの里は旅行サイト「じゃらん」にも出てるし、
http://www.jalan.net/kankou/420000/420600/spt_themeF80016000000/

世知原町赤木場では、 9~16日の夜に「ほたる観賞会」を開くと新聞にあったし、
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20120609/07.shtml

佐世保市のHPにはホタルマップ(ホタルの目撃情報)もあるし!
http://www.machi-info.jp/machikado/sasebo_city/index.jsp?lon=129.71745205026454&lat=33.22043346774193&scale=150000&mode=31&label=0

すごいですね~

ホタルがいるというのは、川の水がきれいだということ。

きれいな川があるということは、自然に恵まれているということ。

 

この恵みを未来にも渡し続けたいですね~  

 


佐世保「市民展」

2012-05-16 | 佐世保・長崎

今日から島瀬美術センターで開催中の「市民展」を見に行ってきました。

絵も書も私はさっぱりわからないんですけどね・・・

 

わからないなりに、好きだな~と思う絵はあります。

描かれたそこの空気が伝わってくるような絵が好きです。

 

「雪解けの街」

寒さと何故か明るい気分がが伝わってくるようでいいな~

と思ったら、審査員の方が描かれた作品でした。

 

こちらは、「奨励賞」を頂いたマイ・ハズバンドの作品です。

何度も何度も塗っては乾かし、塗っては乾かし、中腰でやってたので腰を痛めて病院通い。

絵を描くのも楽じゃないんですね~

 

こちらは、4Fのデザイン部門の作品です。

 

中2階には、焼物やレリーフ、ステンドグラス、刺繍等々、工芸部門の作品があり・・・

私は、この作品にとても惹かれました。

針金のようなもので鳥の骨格や翼の輪郭を造り、

あとは、灰色のレースのようなもので羽毛を形造ってありました。

間近で見ると、まさに飛翔しようとする迫力と羽の美しさが融合して、

不思議な雰囲気を醸し出していました。

 

手先が不器用で、芸術的センスも全く無い私は、ただただ見とれるばかり・・・

天は二物を与えずと言うけれど、私は一物も与えられていませ-ん

 


西海橋の桜

2012-04-07 | 佐世保・長崎

海の青が桜色をますます優しく美しく引き立てています。

ここはどーこだ?

長崎県人なら誰もが知っている?

そう。桜の名所、西海橋公園です。

お天気に誘われて、今日は西海橋までドライブしました。

(と言っても私は運転できません。ドライバーはオットさん)

正面に見えるアーチ橋が西海橋。赤い欄干がトレードマークです。

先日の春の嵐でかなり散っていましたが、今年最後の桜を楽しむことができました。

木によっては、まだまだ見頃の桜もあり・・

水色の弧を描いているのは、新西海橋。

遠くから見るとこんな感じ。

西海橋と並行して走っています。

この狭い針尾瀬戸を抜けて手前にずっと流れると大村湾、

奥の方は佐世保湾、そして外海へと繋がります。

この辺りは渦潮の名所でもありますが、今日はとても穏やかで・・

岸辺の水はこんなに澄んでいました。

途中の石垣に咲いていたこの可憐な花は何でしょう?

こちらは、大島桜でしょうか?

優しい桜色も好きですが、凛とした真白の桜も惹かれます。

 

白い桜の花言葉は、「あなたに微笑む」だそうです。

ほら、微笑んでいるでしょう?

 


春を呼ぶ「あたご市」

2012-02-25 | 佐世保・長崎

まだ行ったこと無いの?そら、行かんば!春が来んよ。

と、友人たちに言われ、何で~?と思いつつも、

夫を誘い、電車に乗って「あたご市」に出かけました。

 

「あたご市」とは、相浦にある愛宕神社の祭りで、植木や陶器、竹細工、などの店が並び、

相浦橋から海岸までの約1kmが歩行者天国となり、買い物客で賑わう。

との説明通り、道路の両脇にはテントや植木がズラリと並び、

うどん、ラーメン、たこ焼き、焼きそば、綿あめなどお馴染みの屋台だけでなく、

ナマコや牡蠣の生もの、イカやアゴの干物、すり身や練り物、新鮮野菜等々…

これぞ「ストリート マーケット」という感じで、小雨にもかかわらず、たくさんの人です。

 

  愛宕神社の鳥居をくぐり石段を登って境内へ。

手洗い場の水は、竜の涎??

 

約1kmの端から端を覗き終わった頃、雨もそろそろ本気で降りだしてきたので、

結局、食べ物ばかり買って、急ぎ足でUターン。

 

でも、ラッキーなことに、駅に着いてすぐに電車が来ました。

MR=松浦鉄道の電車。

車両が1両だけのかわいい電車です。

無人駅が多いので、バスのように車内に運賃箱が設置されていて、

運転手さんが、定期券や運賃などを確認していました。

 

私の前には、植木の袋を横に置いた女性が立っていて、(はは~ん、あたご市の帰りだな?)

と思いつつ、その植木に目をやると、とても可愛いネコヤナギ!

あのフワフワのふくらみが何とも可憐な赤っぽい色をしてるんです。

魅力的な色だなぁ・・・

隣の女性も、じ~っと見ています。

 

思いきって、「可愛いですね」と声をかけると、

「そうでしょう?アカメって言うそうです」

「赤いから赤芽?」

「そう。でも花は黄色らしいんですけどね」

へー、面白い!

(あとで調べたら、赤芽柳、別名「振袖柳」http://www.hana300.com/furiso.html

 

2つ目の駅で席が空くと、その女性は、植木をそこに置いたまま、離れた席に座りました。

もう一人の女性と、二人で植木を守るように向かい合っておしゃべりしていましたが、

いくつめかの駅でその女性は降りてゆき、「赤芽」のそばには私一人。

トントンと誰かに肩をたたかれ、「席が空きましたよ」との声。

振り返ると、坊主頭の高校生が少し向こうを指さしています。

そして「どうぞ」とエスコートしようとするのです。

 

えー?私は、この植木の番をしてるのに…と思って、持ち主の方に目をやると、

にっこり笑って頷いています。

(どうぞ、彼について行って座って下さい)とでも言うように。

それで、素直について行くと、2つ分ほどの席が空いていました。

「ありがとう」と言って座ると、彼は友だちのいる方へ戻っていきました。

 

ん?私はそんなに老人に見られたんだろうか?

座った後でショックを受け、周りを見渡すと・・・

立っているのは「清峰」の文字が刺しゅうされたジャージ姿の高校生ばかり。

あとは皆、男も女も老いも若きも座っています。

しかも、私の横と、向こうにも1つ、2つ空席があるのに、彼らは立ったまま座ろうとしません。

昨今は車内の床に座り込む学生さえ多いというのに・・

 

佐世保中央でドドーっと人が降りても彼らは立ったままで、

そこから乗ってきた人が次々に座りました。

彼らは運動部の学生で、もしかしたら、体を鍛えるために、

「乗り物の中では立つように」と、監督や先輩から指導されているのかな?

でも、わざわざ「空いてますから、どうぞ」と声かけをするのは、鍛錬のためだけではありえない。

 

清峰高校と言えば、3年前春の甲子園で優勝した、あの高校だァ!

たしか、生徒も監督もすごく爽やかな印象だったっけ…

そぉか~、いい高校なんだな~(単純な私)

 

「あたご市」が終わると春が来るという言い伝え通り、私には一足早い春がやってきた気分。

愛宕神社の神様のご利益か…?

 


弁護士の仕事

2012-02-13 | 佐世保・長崎

私は何かをネット上で調べる時、だいたい最初はwikipediaから見ていく。

まあ、百科事典のようなもので広く浅く客観的な記述がわかりやすく書かれているからだが、

昨日覗いた橋下徹氏のページは、ずいぶん違った感じだった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1

特に「弁護士として」の部分では、驚くほど批判的な内容である。

「異常なほど金に拘る人間であった」とか、

「どこの管財人が何億儲けただの、あの弁護士は幾ら稼いだだの、そんなことばかり」

「橋下は強きに弱く、弱きに強い。金を持っている依頼人への媚びへつらいは酷いものだった」

など、先輩弁護士の評価はバッシングにさえ聞こえる。

 

それが橋下氏の実像かどうか、私は知る由もないし、過去はどうでもいいと思っているが、

その橋下像とは正反対のような弁護士さんが佐世保にいることを知って嬉しくなった。

 

田中亮弁護士、38歳。

(新聞記事の中で公表されていたのだから、ここに名前を記してもいいだろう)

 

長崎新聞年間企画「居場所を探して―累犯障害者たち」第5部・見放された人

の記事の中に、その名前はあった。

 

第5部では、宮沢春男(仮名)にスポットを当て、事故の後遺症による累犯障害者の実態に迫っている。

春男は小学5年生の時トラックに撥ねられ生死をさまよう大怪我をした。

一命は取り留めたが、その後、彼の言動はおかしくなった。

壊れたラジオのように同じ話を繰り返したり、意味不明の文章を書いたり、友人の財布を盗んだり…

高校中退、父の漁業を手伝うが、夜になると繁華街に出かけては無銭飲食を繰り返した。

通報がある度に両親はタクシーを飛ばし、お金を払い、ひたすら詫びる、その繰り返し。

春男は叱られると「二度としない」と反省するが、また両親のすきを見ては飛び出していった。

実刑判決を受け刑務所に入っても、出所すると懲りずに罪を重ねた。

両親は途方に暮れ、あちこちに助けを求めた。

役所、病院、福祉、警察、弁護士・・・しかし、誰も相手にしてくれなかった。

 

一昨年の3月、春男は佐世保署で田中弁護士と出会う。

田中弁護士は春男と話すうちに、事故の後遺症を疑い始め、初公判で精神鑑定の実施を求めた。

そこまでする必要があるのかと、裁判所関係者には冷笑された。

が、長崎大学精神神経科が出した答えは、

20年前の交通事故による脳挫傷を原因とした人格変化、及び知能低下が認められ、

その結果、記憶障害や注意障害といった『高次脳機能障害』を呈している

だった。

しかもIQは36で5歳10カ月並み、早期のリハビリ治療が必要と書かれていた。

が、判決は懲役10ヵ月の実刑。

せっかく累犯の原因を突き止めたのに、それは活かされなかった。

正義って何だろう?

自分にできることは何だろう?

田中弁護士は、その日から一心不乱にパソコンのキーを叩き続けた。

そして、8日後の昨年3月11日、損害賠償請求訴訟の訴状を書きあげた。

相手は、20年前春男をトラックで撥ねた元運転手と会社。

民法では損害賠償の請求権は20年で消滅するが、田中弁護士はその1日前に書きあげた。

時効の前日。

 

お金にも名誉にもならないことを必死でやり遂げ、

「見放された人」に寄り添う弁護士が、この佐世保にはいるんだ…

 

急に胸のあたりが熱く、温かくなった。。 

 

 


今年も雪が降りました

2012-01-04 | 佐世保・長崎

外は白く煙っていた。

ベランダに出て向こうの山にズームアップしても・・・ほとんど見えない。

向かいのマンションにズームインすると、舞い踊る雪の存在がわかる。

こんなに・・・

降っていたのは10時過ぎ頃。

今(14:33)はもう視界良好。雪の名残もありません。

雨上がりのように道路が濡れているだけ。

 

でも、佐世保のお正月は雪が付き物なのでしょうか?

毎年降っているような・・?

今年でまだ4回目のお正月ですが、ちょっと調べてみました。

1回目 2009年=元日から大雪
http://blog.goo.ne.jp/michie39/d/20090101

2回目 2010年=元日は降らなかったけれど、前日の大晦日は吹雪でした。
http://blog.goo.ne.jp/michie39/d/20091231

3回目 2011年=前年同様、大晦日が大雪でした
http://blog.goo.ne.jp/michie39/d/20110101

そして、4回目の今年は、三が日を過ぎた4日に初雪?

つまり、この4年間、年末年始week(12/30~1/5)に毎年かならず降っていたんです!

 

白い雪は、いろんな穢れを取り除いてくれそうで、

ニュー・イヤーの幕開けに相応しい、まるで空からの贈り物のようで、ここでは嬉しいけれど、

東北の地では、どうぞ穏やかで暖かい日差しが降り注いでいますように…   

 

 


平戸オランダ商館

2012-01-03 | 佐世保・長崎

ここは平戸のオランダ商館。

約400年前の建造物が、昨年秋に復元されたばかりです。

昨日、初詣の後、訪れました。

 

当時描かれた平戸オランダ商館の絵。

16669年アムステルダムで刊行された『モンタヌスの日本誌』に出てくる挿絵です。

また、当時の建設費明細(木材、石材、鉄材、石灰、瓦、工賃)などの資料も残っていて、

それらを基に、この建物はかなり精巧に再現されたようです。

 

 商館内部の部屋。

ここで、日蘭貿易の取引がなされていたのでしょう。

取引一覧表を見ると、

コップやグラス、ナイフやお皿などの食器類、

インクや紙やペンなどの筆記具、オリーブオイルや酢、ワイン、バターなどの食品が

オランダから輸入されています。

これは何かおわかりですか?

実は花瓶です。あの指のようなところに主にチューリップを挿していたので、
チューリップ・ピラミッドと呼ばれているそうです。

 

オランダ以外にも、インドからは毛布や石鹸、

バタヴィア(ジャカルタ)からはハム、チーズ、干魚など、

タイオワン(台湾)からは塩、ベーコン、酒などが輸入されています。

 

面白いのは、動物も輸入していて、

ペルシャからは羊を、

バタヴィアからは犬、ヤギ、七面鳥、孔雀、

そしてナマケモノやオランウータンまで輸入していたと記録されています。

それらは何に使用していたのでしょうか?

まさか動物園???

  

これがかの有名な朱印状。歴史で習いましたね~

ここにはこう書かれています。

おらんだ船、日本へ渡海の時、何れの

浦に着岸なすといえども、相違あるべからず候

向後、この旨を守り、異議なく往来せらるべく

聊かも疎意あるまじく候なり、

よって件のごとし

  慶長十四年七月二十五日

 

こちらは贈答品の一覧です。

当時のオランダ商館の方も、現代の営業マン同様、取引先にはかなり気を使ったのですね。

平戸藩主の母あてに、反物(綸子や縮緬)を21反、

同じく妻あてに21反(同じ品を同じ数。これも気配り?)、

なんと祖母あてにも反物を贈っていますが、こちらは11反。

また、幕府関係では、偉い方たちだけでなく、

「将軍への献上品を取り次ぎたる御坊主衆五名」にも礼を尽くして贈り物をしています。

 

そんな資料があちこちに展示されていて、400年前の世界をとても身近に感じることができます。

 

それにしても、この素晴らしいオランダ商館が、当時できたばかりですぐに取り壊されています。

1639年に建設して、翌1640年に幕府から取り壊しの命が下ったからです。

なぜでしょう?

 

そのきっかけは実は、「島原・天草の乱」にありました。

幕府軍の指揮を執っていた松平信綱は、

原城攻撃に軍船を派遣して幕府に協力したオランダ商館長の労をねぎらうため平戸を訪れ、

そのときオランダの大砲を見学し、その威力に驚きました。

そして将軍に「オランダの技術は幕府の脅威となるであろう」と報告したのです。

 

また、1640年、将軍の命でオランダ商館を訪れた大目付の井上政重は、

新築されたばかりの倉庫の破風に刻まれた1639(西暦)の文字を見つけました。

禁教令が布かれていた当時、西暦はキリスト生誕にちなむ年号で忌々しきことだったのでしょう。

全ての建物の破壊が命じられました。

 

時の将軍家光は、ウイリアム・アダムス=三浦按針を重用した家康とは異なり、

キリスト教も南蛮貿易も脅威の対象としか映らなかったのでしょうか。

 

異文化を取り入れ、平戸を「西の都」として繁栄させた松浦隆信が生きていたら、

どんな行動に出たかなぁ。。。