須磨にも勝るか、浜の寂しさ! 2022-01-26 15:35:17 | 日記 令和4年1月26日(水)さびしさや すまにかちたる 浜の秋 この浜の寂しさは、『源氏物語』の須磨にも勝っているのではないか。 いや、それほどでもないが、昔の寂しさを再現したような浜であったことよ、の意。波の間や 小貝まじる 萩の塵 波が寄せては返している。 桜色の小貝に萩の花が浮いて美しい。 それ故に無惨な塵となっていて寂しさを倍加する、の意。
定めなき北国(ほっこく)日和?! 2022-01-25 14:46:36 | 日記 令和4年1月25日(火)名月や 北国日和 定めなき 八月十六日、空が晴れたので、薄紅色の小貝、土地の人が「ますおの小貝」と呼んでいるものを拾おうとして、種の浜、すなわち敦賀の色の浜に向けて舟を走らせた。 海上七里もある。 天屋何某という者、敦賀の廻船問屋が破(わり)籠(ご)・小竹筒(ささえ) などこまやかに用意させ、あまた舟にとり乗せて、追い風で、たちまち吹き着いた。 浜は、わずかな海士の小家ばかりで、侘しい法華寺がある。 ここにて茶を飲み、酒を温めて夕暮れの淋しい景色に心が引き入れられたことである。
中秋の明月! 2022-01-24 14:47:32 | 日記 令和4年1月24日(月) 八月十四日、中秋の名月の日に、気比の明神(越前の一宮神社)で、昔遊行二世の上人、(時宗の開祖の一遍上人の後を受け、遊行に正法衣を継いだ他阿上人)が神前に真砂をまいたという故事を思う。 この時の作句は、月清し 遊行のもてる 砂の上
隠士等栽の家に、二泊して・・・敦賀へ! 2022-01-23 13:50:51 | 日記 令和4年1月23日(日) 等栽という人を訪ねる。「いづれの年にか、江戸に来たりて、 予を訪ぬ。 はるか十(と)年(とせ)あまりなり。 いかに老いさらぼひてあるにや。 はた死にけるにや、と人に尋ねはべれば、いまだ存命して、「そこそこ」と教ゆ(そこそこというのが面白い。)市中ひそかに引き入りて、あやしの(ふうがわりな)小家に夕顔・へちまの延へかかりて、鶏頭・帚木に戸ぼそを隠す。 さてはこのうちにこそ、と門をたたけば、侘しげなる(こころぼそげな)女の出でて、「いづくよりわたりたまふ道心の御坊(修行中の坊さん)にや。 あるじはこのあたり何某といふ者のかたに行きぬ。 もし用あらば訪ねたまへ。」と言ふ。 かれが妻なるべしと知らる。 昔物語にこそ、かかる風情ははべれと、やがて訪ね会ひて、その家に二夜泊りて、名月は敦賀の港に、と旅立つ。 等栽も共に送らんと、裾をかしからげて、道の枝折りと浮かれ立つ。」 名文である。 そのままで現代の文章として読める。 一風変わった等栽という人物が彷彿と描き出されている。
等栽という隠士登場! 2022-01-22 15:18:12 | 日記 令和4年1月22日(土) やはり同日(八月十日)夕方、「福井は3里ばかりなれば、夕飯したためて出づるにたそがれの道たどたどし(この文章、簡にしてにして要を得る。日本語の美を教えられる。)。と、師匠は讃歎!ここに、等栽という古き隠士あり。 つづく