貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

詳細な記録がほしかった金沢での日々!?

2022-01-02 15:55:56 | 日記
令和4年1月2日(日)
 城下町金沢に着いたのは、
元禄二年七月十五日。
 この地には七月二十四日まで滞在。
 最初の夜は、薬種業の宮竹屋の
経営する宿屋に泊まった。
 そこに、金沢の俳人たちが集まり、
芭蕉が会いたいと思っていた一笑が
去年十二月に死去の由を伝えられる。
 翌日は、宮竹屋の本家に招待されて、
俳人たちが大勢(人数不明)長旅の末に
現れた芭蕉をねぎらい、挨拶をした。
 芭蕉接待の中心にいたのは、
小春と名乗る宮竹屋の三男であった。
 その後も宮竹屋の分家の経営する宿に
泊まることが多かったようだが、
 正確な記録はないようである。
 金沢の場合、豪華な宴席が多く、
連句を巻くことはなかったようだ。
 金沢に滞在して多くの門人・知人
との交友があったことが、
『曽良日記』には記されてあるが、
日々に誰が同宿したか、
あるいは誰の接待を受けたかについては、
あまり具体的な記述がない。
 人の名前やと地名も耳で聞いた
だけの場合、誤記がままにある。
 また、後世の研究によって、
判明した新事実がある反面、
創作上句会が開かれ、
芭蕉も『おくのほそ道』以外の句を
詠んだことになっている偽作も
流通していたようだ。