貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

偶然の重なり

2018-06-25 08:19:47 | 日記
偶然の重なり

平成30年6月25日(月)

 昨夜、ニュースで、

「平成の大修理終わり落成記念法要」

を知る。

 伊達政宗の菩提寺、瑞巌寺の平成の

大修理が完了したよう。

 ちょうどこのブログで,瑞巌寺を

扱っている所に、朗報!

 そして、家内の誕生日と・・・。

 偶然の嬉しい重なり!

 この大修理は、

「10年がかりの『平成の大修理』の

期間中に東日本大震災による被害も

受けましたが、修復も終わり、24日、

落成を記念する法要が行われました。

24にちは、屋根の葺き替えや耐震

補強等平成の大修理で生まれ変わった

本堂で、落成を記念する法要が営まれ

ました。・・・・・・」

と報道していました。

 近いうちに,二人で参拝したいな!

参拝後。







池に大釜?





瑞巌寺の瓦



登り龍



青龍殿のガラス戸には、



前進松島の力強い書が

 「前進松島」に声援を!






剪定後の新葉と臥龍梅紅

2018-06-24 08:58:25 | 日記
剪定後の新葉と臥龍梅紅

平成30年6月24日(日)

 剪定後の梅の新芽の色づきが

梅雨に映える。昨夕気づく。





 松島瑞巌寺の臥龍梅も懐かしい。



 説明板には、

「この梅は藩祖政宗公が朝鮮より

持ち帰り,慶長14年(1609)

3月26日、瑞巌寺の上棟の祝いに

手植えされた紅白梅樹の紅樹で

ある。『臥せた龍』の姿をしてい

るから臥龍梅と名付けられている。

別名『八房の梅』とも呼ばれている。」

と記されていた。



 参道にはシンボルとも言える杉並木

があったが、平成23年(2011年)

3月11日の東日本大震災の津波に

見舞われしまい、その後の塩害に

よって立ち枯れが目立ったこと

から、約300本が伐採されたそうだ。



ここまで津波が来たよという表示板

だ。

 「四寺廻廊」という巡礼コースは、

瑞巌寺、平泉中尊寺・毛越寺、

山形立石寺を巡ること。

 これからの予定のコースだ。

毎年、11月第2日曜日には芭蕉祭が

行われているそうだ。           

雨乞いの歌?

2018-06-23 08:30:27 | 日記
雨乞いの歌?

平成30年6月23日(土)

 夕方から雨の予報?

 そう言えば最近雨乞いすることが

少なくなったなあ。

 雨乞山とか、雨呼山、雨告山とか

全国には山名がついた所もある。

 「天の川苗代水にせき下せ

   あま下りますかみならばかみ」

  (能因入道伊予守実網・古今著聞集」

 雨乞い歌の一つ。

 最近は,台風と長雨の災害が多いかな?

 調べると、11世紀までは旱魃が多く、

12世紀以降台風と長雨の災害が多くなって

きたそうだ。

 灌漑施設の充実も功を奏したのだろう。

 都区内の地下に長雨や台風などの大雨

の時、その地下道を雨水が排水されていく

という。

 蘇生の早い島国日本の雨対策は,綿々と

続いている。

瑞 巌 寺     

2017(平成29)年 7月14日 11:00~

 やはり観光客で賑わっている。



 山門で軽く一礼。

 伊達なお土産屋さん。



「松島や・・・」の歌も店先に。



何と,平成の大修理真っ最中の参拝。



参道はこんなふうに。



鉄の灯籠。



延命地蔵かな。





大修理のため観られないので、

建造物や宝物などの拡大写真や

諸々の工事の説明など写真付きで

よく分かるように工夫されていた。













幸いなるかな巡り合わせかも・・・・。

つづく。







日長きこと極まれり

2018-06-22 08:48:58 | 日記
日長きこと極まれり

平成30年6月22日(金)

 今朝は青空がいっぱい、いっぱい!

 14時間50分という一年で一番

長い昼間の一日が過ぎた。

 日長きこと極まれり!



 そして、薄雲も顔を出す。



 小作坂上の芭蕉。

 冬の寒さでやられたかな?

と心配した2月頃・・・。

 強し!

 すっかり変わらぬ姿でお目見え。

 車で通る度に、ぽっと芭蕉の小径

が開けるよう。



 傍まで行って、感謝の辞を

写真に込める。



さあ、いよいよ松島瑞巌寺へ。




渡る橋に怖いもの有り

2018-06-21 08:37:21 | 日記
渡る橋に怖いもの有り

平成30年6月21日(木)

 今日は,夏至。

 7時頃までの日没がこれから

少しずつ早くなっていく。

 曇天から夜半晴天に変わる予報。

 さあ、「伊達」な文化に突入するかな。



 現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗公

の造営。東北地方最古の桃山建築だそう。

 大きさ方三間(22.68尺=6.87m)、宝形造、

本瓦葺。軒まわりの蟇股に、方位に従って

十二支の彫刻が配されている。 

 正面に掲げられている額には「五太堂」と

彫られているが、正確には「大」が正しい。

 揮毫は105世天嶺。

「太」の字は筆の遊びともいわれている。

慈覚大師手彫りと伝えられる厨子内の

五大明王(国重文、中央・不動 東・降三世

南・軍荼利 西・大威徳 北・金剛夜叉)は、

平安時代中期に制作された秘仏で、33年に

一度開帳される。

 次回の開帳は2039年の予定。

祭礼日は8月20日。

 現在の堂へ渡るすかし橋は、



このように、縦板が2枚しつらえられているが、

もともとこの板はなく、はしご状だったそう。

 横板の間隔も5寸(約15cm)程有り、

江戸後期の紀行文に、恐ろしくて渡る事が

できなかった人の事が紹介されている。



 江戸の井上春蟻の句碑。

春蟻の句は、 

「世の中の 櫻おもはす 千松島」 。

他にもいろいろな石碑があった。







五大堂から見る松島の風景も

また良しかな。