貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

浪こさじとは・・・

2018-06-03 08:44:01 | 日記
浪こさじとは・・・

平成30年6月3日(日)

 今朝も快晴。五月晴れ!

 多賀城祉まで津波が襲ったという過去

がある。予想を覆し、浪は越してきた。

 今朝は多賀城市へ。

 歌枕『末の松山」だ。



 多賀城には、坂上田村麻呂や万葉歌人

である大伴家持らも派遣されてきた。

 また、平安時代には、風流を愛する都人

が「歌枕の地」として憧れ、地名を詠み

込んだ多くの和歌を作っている。

 ここは、多賀城市八幡地区。

 歌枕の地「末の松山」だ。



解説板

やはり、伊達政宗の威力あり。






 有名な歌は、小倉百人一首の清原元輔の歌、

「契りきな かたみに袖を しぼりつつ
 
    末の松山 波越さじとは」

(後拾遺集)だ。


「約束しましたよね。

 涙に濡れた着物の袖を絞りながら。

 末の松山を波が越すことなどあり得

 ないように、私たちの心も決して

 変わらない」

という意。

 しかし、どうして「末の松山」と「波」は、

一緒に詠まれているのだろう?

「実は、869年(貞観11年)、陸奧国で

大地震が発生し、多賀城の国府のそばまで

大津波が襲ったという貞観地震。

 多賀城政庁の建物が壊れ、1000人以上の

人の犠牲者も出たそうだ。

 標高10メートル程の小山の末の松山の

麓まで津波が押し寄せたそうだが、山を

飲み込むことはなく、無事だった。」

という記録があるそうだ。

そのことから、「末の松山」は、決して

波が越すことのない場所、契りや約束を

表す言葉として詠まれるようになったの

だといわれている。

 そして、歌碑は、

「君をおきて あだし心を わがもたば

    すゑの松山 浪もこえなむ」





 「あなたを差し置いて、他の女に心を

 移すようなことがもしあったとしたら、

 浪が越えるはずがないといわれている

 末の松山さえ浪が越すことでしょう。」

 熱き熱き恋の歌。

 古今和歌集掲載の歌。



現在の二本の黒松は、推定樹齢480年だそうな。



 末の松山の石碑と倶に大事にされている。