貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

梅雨の渡しもそうそうと・・・。

2018-06-29 13:07:26 | 日記
梅雨の渡しもそうそうと・・・。

平成30年6月29日(金)

 久し振りに夜半のテレビを観た。

今朝は、いつもどおりの起床だが、

ちょっと朦朧?

 東京は梅雨明けとのこと。

 昨日梅雨の渡りで、翌朝には

「梅雨の渡し」も結末となる転回。

 眼玉が飛び出しそう!?

 袖の渡しの続き・・・。





 大嶋神社には鐘楼がある。

 神社に鐘楼?      

 これは、江戸時代に寿福寺という

お寺がこの境内にあり、その名残

だそう。

 津波にも耐えたようだ。   

 袖の渡しは、常緑の松に囲まれ

東屋があった渡し場であったが、

津波で松も東屋も流され、枯れた松

が残っていた。 

   

 道標には、石巻街道、金花山道、

一関街道となっている。

 説明によると、

「石巻街道は、仙台城下と石巻を

結ぶ道で、この街道から北部への道

として、涌谷・登米道、気仙道が

分かれていた。

 金花山道は、石巻から山鳥に至る

道で、金華山への参詣の道として

利用された。

 一関道は、石巻から登米を経て

一関(岩手県)に至り、奥州街道と

接続する道でした。」

とある。



さて、「袖の渡し」の先端の松の

木の下、川の中に「石の巻き石」が

見えるそう。

仙台藩が編纂した封内風土記

(ほうないふどき)には、

「古来伝えられた説によれば、地元

の人が(石巻石)と呼ぶ巨石が、

住吉社の前にあり、形が烏帽子に

見える。

 その石の周りに水の渦が回って

自然の紋ができ、物を巻いたように

見えるところから

「石旋/イシノマキ」

と呼ばれるようになり、

そこから地名が生まれた――。」

という。

津波で枯れた松の横、川の中に見える石が

、地名の由来となった巻き石。

 今回は、数多い石碑の読み取りや

復興の実情に気をとられてしまった。