貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

中央区築地本願寺②重要文化財の本堂と大いなる銀杏と・・・!

2024-04-29 10:18:56 | 日記
令和6年4月29日(月)
中央区築地本願寺②
 堂内に入ると、
30数名の方が参拝し、
法要を待つのか、
説話を待つのか
席に着いておられる。

 皆無言。
 静寂は、荘厳さを道連れに。
 そして、私の穢れ、
疲れた魂をも洗ってくれるよう。
 大都会には、
こういう所が必ずある。
 予期せぬひとつの楽しみ。 

 築地本願寺は
江戸時代の1617年に、
西本願寺の別院として
浅草御門南の横山町
(現在の日本橋横山町、東日本橋)
に建立。
 「江戸海岸御坊」「浜町御坊」
と呼ばれる。
 しかし
明暦の大火(振袖火事)により
本堂を焼失。
 その後、
江戸幕府による区画整理のため
旧地への再建が許されず、
その代替地として
八丁堀沖の海上が下付される。
 そこで、
佃島(現:中央区佃)の門徒が
中心となり、本堂再建のために
海を埋め立てて土地を築き
(この埋め立て工事が地名築地の由来)、
1679年に再建。
 「築地御坊」と呼ばれるようになる。


 なお、
この時の本堂は
西南(現在の築地市場)を向いて
建てられ、場外市場のあたりが
門前町となっている。
 1923年9月1日の
関東大震災では、
地震による倒壊は免れたが、
直後の火災により再び伽藍を焼失。

 現在の本堂は
1934年の竣工。
 古代インド様式をモチーフとした
この建物は、
当時の浄土真宗本願寺派法主・
大谷光瑞と親交のあった
東京帝国大学工学部名誉教授・
伊東忠太による設計。
 当時の宗教施設としては
珍しい鉄筋コンクリート造。
 大理石彫刻がふんだんに用いられ、
そのスタイルは現在においても
斬新かつ荘厳で、
築地の街の代表的な顔となる。
 本堂は重要文化財に指定される。

 境内には、九條武子の歌碑 
<九條武子の歌碑>

 「おおいなる 
  もののちからに 
      ひかれゆく 
 わがあしあとの 
    おぼつかなしや」
が築地本願寺を形容している。