令和6年4月4日(木)
岐阜市妙照寺②
岐阜滞在中、
多くの俳人が芭蕉を招待する。
まず、安川落梧亭に招かれ、
まず、安川落梧亭に招かれ、
この日名古屋から芭蕉を迎えに
きた山本荷兮(名古屋の俳人、
医者)と、
当時流行の三つ物
(俳諧の発句と脇句と第三句を
いう)を試みる。
「蔵かげの
「蔵かげの
かたばみの花
めづらしや」
荷兮
(折りてやトモ)
(折りてやトモ)
「ゆきてや
掃かむ庭に
箒木」
落梧
「七夕の
「七夕の
八月はものの
淋しくて」
芭蕉
<珍しい鬼の阿吽像>
ついで、
中川原新田(岐阜市湊町)の油屋、
賀嶋善右衛門(俳号歩)の
水楼(長良川に臨んだ高殿)で遊ぶ。
主人の求めに応じて楼名を選び、
主人の求めに応じて楼名を選び、
有名な「十八楼の記」を書く。
(現在、「十八楼」の一階
(現在、「十八楼」の一階
ロビー壁面に、芭蕉の「十八楼の記」
が展示されている。)
境内には、彼岸花や萩の花が
満開。
<満開の萩や彼岸花>
そして、
秋にぐうんと伸び、杖になる
秋にぐうんと伸び、杖になる
という藜(あかざ)もひょろひょろと
伸びていたが、藜の手入れが
今少しかな。
これでは、杖にはならないな?