貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

希からのより道 Ⅵ  蕉 道 : 鹿 島 詣の体験!

2024-04-21 10:26:57 | 日記
令和6年4月21日(日)
古希からのより道 Ⅵ  蕉 道 :   鹿 島 詣         
 ☆☆☆     
「夏衣 
  いまだ虱を 
   とりつくさず」
 『野ざらし紀行』を締め括った
芭蕉の句である。
 巻頭の暗い句との差を
指摘したのは、ドナルド・キーンさん。
 「旅の苦労を言っているが、
句の調子は、一目瞭然明るいもの
である。」と。
 そう言われれば
そんな感じがしないでもない。
 江戸に帰着したのは、
貞享2年(1685)4月末である。
 鹿島の根(こん)本(ぽん)寺の
仏頂和尚の誘いに応じたのが
その2年後で、
これが鹿島詣。
 『野ざらし紀行』は
江戸の大火で庵を焼かれ、
無常の念を抱く決死の
旅立ちである。  
 しかし、
鹿島詣は、心に余裕のある
風流な旅といえる。
 同行者は、
曾良と住職の宗波で、
両人とも門弟。
<鹿島神宮前参道にあり>

 さて、
「月を見にいらっしゃい。」
と誘いの手紙を送った仏頂和尚。
 寺領を鹿島神宮側に奪われ、
それを取り返すべく江戸寺社奉行
に訴え、訴訟審議の9年間、
深川の臨川寺を住まいとしている。
 臨川寺で開かれる句会だけでなく、
芭蕉が仏頂和尚からいろいろ
教わったようだ。
 貞享4年(1687)8月14日、
鹿島へ向かう。 
 芭蕉庵の門前は小名木川に
通じる水路。  
 船で港町行徳(現市川市)まで
行き、布佐(我孫子市)まで徒歩。
 そして布佐より利根川を
船で佐原へ。
 水郷を船で潮来へ出、
また船で大船津に出て、
目的地の鹿島へ。
 3分の2は水路の船旅。
 さて、
月見だが、芭蕉は生涯に月の句を
60句ほど詠んでいる。
 さてさて、芭蕉は、
中秋の名月を拝むという幸運に
恵まれるのだろうか。
 私は息子が柏市にいるので、
息子の所に行く用もあり、
陸路での鹿島詣をし、
二つの用を足すことにする。