令和6年4月7日(日)
岐阜市長良川ポケットパーク③
文学碑の横の句碑は、
松尾芭蕉の句碑!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/78/f8375c76038443cae5ad915ed6feaf7e.jpg)
句は、
「おもしろうて
「おもしろうて
やがてかなしき
鵜飼哉」 。
刻印もやや薄くなりつつ…。
松の枝が見事な文様となっている。
華やかな鵜飼も鵜舟が去ると
刻印もやや薄くなりつつ…。
松の枝が見事な文様となっている。
華やかな鵜飼も鵜舟が去ると
深い闇の世界になる。
その静寂の中に
芭蕉は鵜の哀れ、生きるため魚を
獲らねばならない人間の宿命を
感じたのだろうか。
以後、
芭蕉は魚類を一切食べなかった
という。
北原白秋の
北原白秋の
鵜匠頭山下幹司翁歌碑もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/31/9ac2063a1a9ec8768759d95c206ffa7d.jpg)
「篝火の朱にはゆる
君こそは鵜匠なれ
濡れしづく腰蓑の
風折鳥帽子古風にて
すばやくも手にさばく
桧の縄の
はらはらに
時の間よゆく
水のかぎりなき
灯ににほへば
香魚を追ふ
鵜の数の
つぎつぎと
目にうつりて
ほうほうと呼ぶこゑの
誰ならず夜を
惜しむなり」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/88/61c3c589f97ef5e66bd16605e2c93bf6.jpg)
白秋が昭和2年(1927)8月初旬
岐阜を訪れ、
鵜飼見物の感興を詠んだ長歌の碑。
その当時の鵜匠頭だった
山下幹司を詠んだもの。
白秋が人を詠んだ歌は、
これのみという珍しい歌碑。