貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

知立市無量寿寺その2 芭蕉と亀甲と片思いの杜若姫

2023-10-07 11:43:30 | 日記
令和5年10月7日(土)
4月27日から5月26日まで
毎年
「史跡八橋かきつばたまつり」
を開催。
 二度目の参拝。
<芭蕉連句碑と説明>
<芭蕉連句碑>

 芭蕉連句碑の句は、
「かきつばた 
   我に発句の
     おもひあり」
<その説明>

 芭蕉が
貞享2年(1685)4月に、
鳴海の俳人下郷知足の家を訪れる。
 その時、開かれた俳席での作。     
 芭蕉は、知足の案内で
この八橋に遊び、
古に思いを巡らしたのか。
 知足の句は、
「麦穂 
  なみよる 
    潤ひの里」
 「碑を建てたのは、
知足の子孫である下郷学海で、
『安永6年丁酉夏6月』(1777)
とある。
 三河に残る芭蕉句碑の
代表的なものである。」
と 説明板に記載されている。
 八橋古碑(亀甲碑)(市指定文化財)
の碑文は、
<八橋古碑 (亀碑碑)>

荻生徂徠門下の秋本嵎夷が
岡崎侯に招かれて儒官を勤めていた時、
偶々この地を訪れ、
「八橋記事 弄 王孫歌」
と題して
「八橋と業平の故事」
についてまとめたもの。
 書は門人の国分興伯機で、
同門人の由良不淰により
寛保2年(1742)に建立される。
 亀の上に三五七の漢字を刻んだ
碑柱が建ち、
一般に「亀甲碑」と呼ばれている。
(知立市教育委員会)
[左の写真の碑文を
正しく意訳できれば
亀が動きだすとの伝説がある。」
という。
<鶴田池池の句>

 歌碑は、
鶴田卓池(1768~1846年)の
句碑。
 江戸時代の文化から
天保期にかけて
三河の蕉風継承者として活躍した
俳人。
 卓池は、岡崎城下で紺屋を営む傍ら、
20代から松尾芭蕉に倣って
東北を訪れるなどして句を詠む。
 後に、還暦を前にして、
西日本を旅した紀行文『西遊日記』
を残す。
 この中に、長崎の出島の様子などが
事細かに記され、出島の内部を
ここまで記録した、
数少なく、貴重な資料となっている。
句は、
「鳩の鳴く 
   樹ははるかなり 
      杜若」
 古い宝篋印塔が、
杜若姫の供養塔。
<業平への片想い 杜若姫の墓>

 東下りの業平を追って
都からはるばるこの地に
やって来た杜若姫は
小野篁の娘。
 業平に恋い焦がれて
後を追ってきたがつれなくされ、
悲しみの余りに
この地の池に身を投げて
亡くなったという。