令和5年10月5日(木)
安城市: 弥 厚 公 園
弥厚公園は、
都築弥厚さんの銅像が建つ
公園。
<都築弥厚の銅像と句碑群>
説明板には、
「明治用水の先覚者」
と題される人。
碧(へき)海(かい)地域のうち
碧(へき)海(かい)地域のうち
明治村・依(よ)佐(さ)美(み)などの
地域は台地で、農耕をするため
にはため池の水に頼る他ない
枯れた土地であった。
明治村の酒屋に生まれた
弥厚はその現状をとらえ、
台地上に用水を通すことを考える。
地域住民からの強い反発を受け、
測量をするに当たっては夜中
密かに行わねばならぬような状況。
それでも算術家の石川喜平らの
手助けを借りて何とか測量を
終える。
その後、数回幕府に嘆願にいくが、
夢叶うことなく逝去。
私財のすべてを投げうち、
多額の借金だけが残る。
<その説明>
その後、
その意志を碧南の岡本兵松、
挙母の伊豫田与八郎が受け継ぎ、
見事に明治用水は完成。
後に
後に
「日本デンマーク」とうたわれた
安城の発展はここから始まった
という。
都築弥厚没後180年を記念し、
弥厚翁の功績を記した看板や
東屋を新しく設置。
身障者にも配慮した駐車場や
歩道が整備され、弥厚公園が
リニューアルされる。
芭蕉句碑も句碑群にあり。
芭蕉句碑も句碑群にあり。
<芭蕉句碑>
句は、
「風かほる
はをりはゑりも
つくろはす」 。
句碑の背面に、
句碑の背面に、
句碑の由来が刻印されている。
<芭蕉句碑の由来>