令和5年1月18日(水)
鶴岡市: 羽 黒 山
<羽黒山鳥居>
『奥の細道』での「出羽三山」。
「6月3日、羽黒山に登る。
図司佐吉といふ者を尋ねて、
別当代会覚阿闍梨に謁す。
南谷の別院に宿して、
憐愍の情こまやかに
あるじせらるる。」
と記されている。
今回は、羽黒山から入る。
今回は、羽黒山から入る。
翌日、芭蕉は俳諧興行。
その時の句が、
「ありがたや
「ありがたや
雪をかをらす
南谷」。
続けて、
「5日、権現に詣づ。
当山開闢能除大師は、
いづれの代の人と
いふことを知らず。
延喜式に
延喜式に
「羽州里山の神社」とあり。
書写、「黒」の字を
「里山」となせるにや。
『羽州黒山』を中略して
『羽黒山』と云にや。
『出羽』といへるは、
『鳥の毛羽を此国の貢に献る』
と風土記に侍とやらん。」
と、羽黒山や出羽の命名の由来等
と、羽黒山や出羽の命名の由来等
きちんと調べ、
書き記している。
これも珍しい。
そして、
そして、
8日に月山を登頂。
「息絶え身凍えて、
頂上に至れば、
日没して月顕はる。
笹を敷き、
篠を枕として、
臥して明くるを待つ。」
寒さと疲れから、
寒さと疲れから、
月を楽しむ気にもならなかった
ようである。
そして、湯殿に下る。
坊に戻って、
そして、湯殿に下る。
坊に戻って、
阿闍梨の求めに応じて、
三山巡礼の句々を
短冊にしたためる。
芭蕉の句は、三句。
「涼しさや
芭蕉の句は、三句。
「涼しさや
ほの三日月の
羽黒山」
「雲の峯
いくつ崩れて
月の山」
「語られぬ
湯殿にぬらす
袂かな」
<出羽三山歴史博物館>
~つづく。