ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

大和ご利益寺院巡り~3 (^0_0^)

2010-04-16 10:50:55 | 日常の事
大和ご利益寺院巡り~1・2とお付き合いいただきまして、有難うございます。

今日は最後の(3)を書かせていただきますが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

「安倍文殊院」で、頭への御加持祈祷をしていただき、「おふさ観音」へとバスは移動

「安倍の文殊は金剛界、おふさ観音は、胎蔵界、どちら欠けても片まいり」と巷でうたいつがれている様に、金剛界が父ならば胎蔵界は母、金剛界が理ならば胎蔵界は情となります。

即ち広大無辺の宇宙は「金胎両部」が相整いてこそ円満の相を示すものです。いずれが欠けても調和を欠くものです。

「おふさ観音」  ”体からのぼけ封じの寺”

奈良県橿原市小房(おうさ)町にある寺院の通称名で、正式名は高野山真言宗別格本山+無量山観音寺。

大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する寺院で、慶安3年(1650)に鯉ヶ淵という池の中から白いカメに乗った観音が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して観音を祀ったことが起源とされている。
境内では、四季それぞれの花が、鉢植えで管理され、境内で栽培展示されている。
 
”花まんだらのお寺”として有名です。


本堂に入り、参拝と法話を拝聴後身体への御加護祈祷を受ける。




「おふさ観音」  あいにくと境内には、花が咲いていなかった。        「子安地蔵」

「おふさ観音」を後にして、「大安寺」に向かいバスは走る。

最後の訪問、「大安寺」”がん封じの寺” 

奈良県奈良市にある高野山真言宗の別格本山で、開基(創立者)は聖徳太子が平群に建てた熊疑精舎がその草創と伝わる。
南都七大寺のひとつに数えられ、奈良時代(平城京)には東大寺、興福寺と並ぶ大寺でした。東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、「南大寺」とも呼ばれた。
しかし、平安時代以後は徐々に衰退し寛仁元年(1017)の火災で主要堂塔を焼失した。
現存する堂宇はいずれも近世末~近代の再建であり、規模も著しく縮小し、遺品としては8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9たいが残る。
ガン封じの寺として名高い。

本堂では、遷都1300年記念特別公開として「十一面観音立像、馬頭観音立像」が公開

参拝と法話拝聴、宝物殿拝観



      正門                         昔はこんなんでしたと、写真が飾ってあった。

宝物殿では、沢山の仏像が有り、横には当時の模型が展示されていた。



   大安寺復元模型 (縮尺600分の1)当時の資料にもとづいて作成された。

「大安寺」を後に、バスはJR奈良駅に、

散会して、私達は、17時39分発快速京都行きに、ぎりぎり間に合い乗車

今日一日、非公開の秘仏や、ぼけ封じ、がん封じ等の御加持祈祷等と、有意義な時間を過ごせた事に感謝感謝

又 つたない日記にお付き合いしていただいた皆様に感謝
お疲れになったでしょう~
書いている私も疲れました。