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ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

173回例会 平安京「大極殿跡・神泉苑・二条城・京都御所」

2011-06-01 08:40:10 | 万葉関係

         新しき 年の始め 初春の 今日降る雪の いや重け吉事

昨年は奈良遷都1300年記念で、玄武会場をはじめ、清龍・白虎・朱雀の各会場を重点的に回り万葉歌はともかく、秘宝、秘仏に接する事が出来有意義でした。 重点的となりましたが、今回は、歴史街道の『五巡目のあがり』となります。 今回はおおむね市街地の平地コースです。

日時            平成23年6月26日(日)
      
集合場所    JR二条駅前 東北舗道付近 午前10:00頃集合。

コース      A 延暦13年(794 10月22日平安遷都当時の跡地。

            B 神泉苑 中国の禁苑にならって造営、苑内は、放正池 中島に善女竜王を祀る。

              乾臨殿・左右楼閣、釣殿など建立。歴代の天皇の行幸・遊宴する。

            C 二条城 徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けるため、京都の宿館として築いた平城。

              雁行の二の丸御殿【国宝】

            D 京都御所 南北朝期以後~明治までの歴代天皇の居所。

              上京区・京都御苑 中央北部にある。禁裏御所ともいう。

              広義には、仙洞御所・大宮御所を含み、京都御苑そのものをさす。

              里内裏であった「東洞院土御門殿」の後身。

              平安京の内裏は、天徳4年(960)9月炎上以来度々焼失、そのつど京中の公家邸宅を

              借用し本来の内裏は、鎌倉初期の安貞元年(1227)4月に類焼以後再建されず、

              宮城域は内野と呼ぶ。


服装       ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品     昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他     京都御所の説明が終わった後、時間の余裕のある方は、お茶でも一緒に如何ですか?

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします。


昨日は172回例会「長岡京」ハイキングに・・・

2011-05-23 14:55:34 | 万葉関係

昨日は、京都地方午前雨がきつく、午後晴れてくると言う予報の中、出かけて行きました。

バスの中で、雨が降ってきた。(やばいなぁ~) 阪急に乗り変え、「西向日駅」に着いた頃は、雨もあまりきつくなく、このままの状態で一日持ってくれれば良いのになぁ~雨降りだから、参加者は少ないかな~と思っていましたら、続々と会員さんが改札から出てこられました。 久し振りに来られた人も居られ最終には、44名になっておりました。

雨足がきつくなってき、しばらく様子を見ていたが、小雨になりそうにもないので、歩き出しました。

最初に行ったのは、「長岡京大極殿跡」

【長岡京】

 長岡京(ながおかきょう)は、山城国乙訓郡(現在の向日市、長岡京市、京都市西京区)の地にあった

 桓武天皇は、父親の光仁天皇の代から皇統が天武系から天智系に変わったことにより、
既存の仏教勢力や貴族勢力と距離をおいて、政治を一新したかったといわれる

  母親方の渡来人勢力が山城国を勢力圏としていたことも影響したといわれる

 長岡京は、平城京、平安京と並ぶ京域を持った都だったとされる

 造営途中ではあったものの、難波宮や多くの旧宮、平城京の建物が移築されていたといわれる

【長岡宮跡】

 大極殿跡の近くには、内裏内郭築地跡や朝堂院西第四堂跡、築地跡などがある

 発掘された木簡などの遺物は、向日市文化資料館に展示されている

 <大極殿公園>
 1965年(皇紀2625)昭和40年
 公園として整備され、日本で最初の史跡公園に指定される

  <長岡京大極殿遺址>
 1895年(皇紀2555)明治28年
 現在の地の北に石碑が立てられる
 その後、発掘調査の結果から、現在の地の大極殿公園に移建された

 <長岡宮宝幢跡(ほうどうあと)>
 宝幢(ほうどう)は、古代中国伝来の儀式用旗飾り
 長さ約9mの大柱の上に、青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・玄武(げんぶ)の
四神の絵がはためき、鳥・日・月の華やかな飾り物が付けられる
 宝幢は、天皇の権威を象徴するもの
 即位式と、元旦に盛大に行われる「朝賀の儀式」でのみ、大極殿の前に7本の宝幢が建てられる
 1997年(皇紀2657)平成9年
 発掘調査で、宝幢を建てた柱の掘形が発見される
 長さ約3m、幅約1.2m、深さ約0.8mの楕円形をしている
 中央に大柱、両側に添柱の痕跡があった
 柱堀形は3基あり、大極殿の前約100尺(29.6m)の位置に、東西方向に3m間隔で並んでいる(net引用)

天平宝字3年(759)正月元旦 因幡国庁において多くの軍使及び国庁の職員を前に・・

●20-4516  新しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重け吉事   大伴宿禰家持

これを最後に万葉は一般的に終焉を迎えている。 長岡京遷都からすると25年前になる。

古歌12集ぐらいの歌が認められる。 家持はその後26年間生存し「歌は亡くなった家持」は、相模守(兼上総守)・薩摩守・大宰少弐・伊勢守等周辺地へ派遣される。 万葉集の中で家持は478集を残している。

もっもも多く残している処から、歌は作り続け歌集・草稿・歌日記等、多くを残していたと思います。

藤原種継事件連座のかどですべての財産書類等も没収され事件発生の24日前家持は、死亡している。処分として、葬儀の停止まで宣告される。後刻無罪復権された。

藤原種継暗殺事件で首謀者に早良親王ともいわれ、実質不明 、遷都反対のテロと思われる。一族と対立族との複雑な中傷・讒言の渦巻く中、疑心暗鬼な処分で早良親王の断食死となり、行きすぎた処分も見られ、桓武天皇の身近な夫人が病死、生母高野新笠薨去・皇后乙牟漏31歳薨去・皇太子、安殿親王病気ト定で早良親王の怨霊と言う事で、毎年の不幸と怨霊に悩まされた。延暦11年6月と8月の2回にわたる大洪水が有り水が引かず京域の参分の一が大災害を受け、再度遷都を決め「延暦13年(794)10月22日平安京へ遷都した。」  「長岡京」は10年で終わった。(10月22日平安京へ遷都したので、この日が、時代祭りの日になった。)

雨の中、説明が有るが、雨がきつく降り、説明が聞きにくかったと・・・(-_-メ)     

 次に行く前に三分の二ぐらいの人がリタイヤした。(靴の中に雨が入っては仕方ないですね。)

少ない人数になりましたが、次を目指して歩く・・・16名

「乙訓座火雷神社」  (角の宮神社)

祭神賀茂建角御命が祭られている。長岡京市井の内・南内畑に鎮座。 「続日本紀」に長岡京遷都のおり『神階従五位下』が送られている。神婚説話~丹塗矢伝承~別雷命誕生。

         乙訓座火雷神社「角の宮神社」                 説明をしているところ

次に向かって歩き出す。(この時から雨が上がって晴れてきた。)(^o^)

「乙訓寺 」 長岡京市今里広野に有る真言宗・豊山派・大悲山と号す。(法皇寺)とも言う。 早良親王幽閉の地として有名。

推古天皇の勅願により聖徳天皇の創建と伝えるが未詳、弘仁2年(811)~3年(812)にかけて空海が別当をつとめ最澄が訪れたこともある。以後真言宗となる。空海別当は怨霊は存在しない。怨霊を恐れる者の心、良心の中に棲む幻影にすぎない。継体天皇の弟国宮について確証はないが、乙訓寺周辺と推定され、当時の乙訓郷の中心部は今里・井の内とされる。

 乙訓寺は花の寺として知られていますが、昨日はボタンの花の時期が済んでいました。

次に行ったのは、「長岡天満宮」

長岡京市開田天神山「長岡天満宮」祭神は「菅原道真」社伝によれば、この地は道真の所領で、築地に向かうとき立ち寄って名残り惜しむ、乙訓寺に付属した長岡精舎の坊官、中小路宗則・西小路祐仲・東小路祐房らが都へ菅原公の配所まで御供を届出て許可をうけて同行することとなり、淀から舟で下り、海路で配所へ向かうが、菅原公は再び帰ることは無かった。

前途有為な若者を田舎に朽ちさすことはできないから、早く都へ帰るように促すと、「私達は、菅原公のお側に仕えるだけで満足です。」とこの地に留まる事を願った。やむなく菅原公は自分の姿を彫った一寸八分(約6センチ)木彫りを贈り名残惜しんだ。それから約2年後の延喜3年(903)道真が太宰府の配所で寂しく世を去ったと聞いた宗則らは、この木像を神霊ご神体として信仰をあつめている。

            拝殿の前で記念撮影               天満宮と言えば牛ですね。

天満宮の休憩所で昼食を済ませ、記念撮影を済ませて、14時28分のサントリー工場の送迎バスに乗り工場に行く。

3時過ぎに30分の工場案内をして貰い、それから試飲に行く

出来たてのビールとおつまみを頂き、売店でビールを買って、又送迎バスで「長岡駅」まで送ってもらい帰ってきました。

今日は色々と有りましたが、会員さんが「終わりが良ければ良しとしよう~」と言ってくださり、嬉しかったです。

雨にぬれて帰られた人達、風邪をひいておられないかと心配をしておりますが・・・又 帰られた人の中で、挨拶もなしで帰って行かれた人も居られます。(-_-メ)  皆さん大人なんだから、きちんと挨拶ぐらいはして欲しいなぁ~と思いました。(^o^)

 

 

 

 

 

 


明日は172回例会「長岡京」旅ハイキング

2011-05-21 09:19:28 | 万葉関係

京都・長岡京の旅です。 延歴3年(784)11月11日 桓武天皇は、都を長岡京に遷す。浪速長柄豊崎宮からの宮材も移転されたようです。

日時            平成23年5月22日(日)
      
集合場所    京都市内からは阪急線利用「急行」桂駅で普通乗換え「西向日駅」下車 

            「西向日駅」 10時頃「目標」で集合。

コース      阪急西向日駅ー長岡京大極殿跡ー角ノ宮乙訓神社ー乙訓寺ー長岡天満宮

          
服装       ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品     昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他     第173回 平成23年6月26日(日)

           「京都遷都ー神泉苑ー二条城ー京都御苑」の旅ハイキング

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします。

明日のお天気、チョット不安定なお天気ですが、万葉ハイキングも終盤を迎えました。

皆様悔いのないように~お待ちしております。(^_-)-☆

    サントリービール 工場見学と試飲等  30名様限定  (送迎バスあり)

 


第172回例会 「長岡京」の旅ハイキング

2011-05-01 07:55:48 | 万葉関係
 
  ◎ 太刀の後 鞘に入野に 葛引く 我妹 も袖もち 着せてむとかも 夏草刈るも
 
 
        お知らせ
           

京都・長岡京の旅です。 延歴3年(784)11月11日 桓武天皇は、都を長岡京に遷す。浪速長柄豊崎宮からの宮材も移転されたようです。

日時            平成23年5月22日(日)
      
集合場所    京都市内からは阪急線利用「急行」桂駅で普通乗換え「西向日駅」下車 

            「西向日駅」 10時頃「目標」で集合。

コース      阪急西向日駅ー長岡京大極殿跡ー角ノ宮乙訓神社ー乙訓寺ー長岡天満宮

            (サントリービール 工場見学予定(試飲等))

服装       ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品     昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他     第173回 平成23年6月26日(日)

           「京都遷都ー神泉苑ー二条城ー京都御苑」の旅ハイキング

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします

◎   親しんできた「万葉の故地めぐり」「万葉歌で辿る歴史街道」の旅を、京都遷都を期に終了したいと思います。

 22年の長きに亘り親睦と、御協力を賜り有難うございました。(^o^)



昨日は、第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵」の旅ハイキング

2011-04-25 15:12:38 | 万葉関係

24日は、第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵」の旅ハイキングに行ってきました。

京都駅の集合場所から、人が集まり、今日は多くの参加者が来られるんではないかと、わくわくしながら~近鉄奈良駅に着いた。 最終には42名でした。

先日、奈良交通に電話で、「田原御陵前」迄、増便を出していただけるようにとお願いしたところ、「それはして居りません」と、主人が断られました。(;一_一)

それでは、私が交渉してみよう~と、駄目もとで交渉したところ、「チョット待ってくださいね、相談してみます。」

暫くしてOKが出ました。やったね、「流石事務局長だ」と主人に言われた。(^_-)-☆

その時に、「何名ですか?」と聞かれましたが、「この会は、その日に集まってみないと分かりませんが、30名~40名ぐらいだと思いますが・・・」と答えましたので、もし30名切れたらどうしようか~と思っていたので、42名集まってホッとしました。(^o^)

9時40分に、バスが来て、「田原御陵前」までノンストップで行きました。(早かったです。)

バスの前のフロントガラスには、「京都万葉同好会様」と張り紙がしてありました。(#^.^#)

「田原西陵」  奈良市須山町[東金坊]に、天智天皇第七皇子:志貴皇子[施基親王](追尊:春日宮天皇)母は、越道君伊羅都売。白壁皇子[第49代光仁天皇]:湯原王らの父。

志貴皇子の薨去は、続日本書紀には霊亀2年(716)8月11日 [万葉]では「秋9月」

              宮内庁の立て札が有り・・・    その奥には「志貴皇子」(追尊)田原西陵に行く参道

                                                                                                                     「志貴皇子」(追尊)田原西陵、春日宮天皇・田原陵 の前で説明と歌を朗唱

笠朝臣金村の歌った挽歌は、数多い万葉挽歌の中でも白眉のもので、限られた詩中に舞台設定や第三者を登場させ葬送の答えをだす,戯巧は見事。

2●2-230 梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向かふ 高円山に。

         春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 如何に問えば 玉桙の 道来る人の 泣く涙 

         小雨に降  れば 白妙の 衣ひづちて 立ち止まり 我に語らく 何し鴨 もとな謂ふ 聞けば 

         哭のみし泣かゆ 心そ痛き 天皇の 神の御子の 出ましの 手火の光そ ここだ照りたる

                                            笠朝臣金村

説明が終わり「太安萬侶」墓へと向かう・・・途中道端には花の競演

                 馬酔木(アシビ)                             椿

                ツツジ・ボタン・アシビ                           紫木蓮

   桜の大木 や 水仙等を愛でながら、長閑な田舎道を歩く・・(今は何処の道でも舗装されていますね。)

[太安萬侶]墓   奈良市批瀬町、昭和54年1月18日、火葬された骨や真珠が納められた木棺と共に墓誌が発掘された。

下から見上げ、茶畑の先に、桜の木の下に墓が有る。  墓はこの様に丸く綺麗に手入れがして有る。

この場所で昼食となる。  何時も静かな墓地に今日は賑やかなので、[太安萬侶]さんも驚かれているかな~

高台に居ると、風が有り寒いので、昼食を済ませた人から下に降りる。

       団体写真を撮る。(前田氏提供)

皆が揃ったところで、最後の[田原東陵]へと歩き出す。

[田原東陵]  奈良市日笠町に光仁天皇の田原東陵がある。 土地では「オウノツカ」と呼ぶ墳墓である。

『王城の旅』所収『御陵慕情』津田由伎子氏 御陵の参道から眺めて「光仁陵の樹叢の、まろやかで整な姿は、御陵中随一」と絶賛する。

東陵の前で説明を受ける。

志貴皇子の懽の御歌一首

1● 8-1418  石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出ずる春に なりにけるかも

湯原王の芳野にして作れる歌一首

2● 3-375   吉野なる 夏実の河の 川淀に 鴨ぞ鳴くなる 山陰にして

最後に団体写真を撮り、バス停に向かう

帰りも増便をお願いして居り、ノンストップで、近鉄奈良駅まで行き散会とする。

比較的今日は早く奈良駅に着いたので、お茶でもと・・・私はケーキセットを頼む。

電車、バスを乗り継ぎ家に着いたのは、17時30分ごろでした。今日は12、000歩、歩きました 。年々疲れるねと話す。(-_-メ)

夜お風呂で、足のふくろはぎを、下から上にかけてマッサージをすると、(30回ぐらい)あくる日、足の疲れが残りませんですよ~(おためしあれ~)

参加していただきました、会員様有難うございました。(^o^)

 

 

 

 

 

 

 


明日は、第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵」の旅ハイキング

2011-04-23 09:54:58 | 万葉関係

     

      ◎高円の 野辺の秋萩 な散そね 君が形見に 見つつ思はむ


                      お知らせ

前回に引き続いて、『田原の里の旅』ハイキングです。 万葉集に関連する問題についても掘り下げてみたいと思います。

日時      平成23年4月24日(日)
      
           乗車券は「近鉄奈良駅」まで購入

集合場所   近鉄京都駅②③番ホーム付近 08:20分頃集合 08:31分発「急行奈良行」乗車 
           近鉄奈良駅09:16分着 ▲奈良交通バス停(日笠方面行き)乗車

コース     日笠バス停下車ー田原東陵 [第49代光仁天皇陵]ー奈良県奈良市批瀬・【太安萬侶(墓)】 

        「古事記」編者の墓誌ー田原西陵[志貴皇子・追尊、春日宮・田原天皇]奈良県奈良市須山町金坊。

服装      ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品    昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他    第172回 平成23年5月22日(日)

          「長岡京」の旅ハイキング

          第173回 平成23年6月26日(日)

          「京都御所への遷都」

◎ 今回の奈良行きで、奈良のハイキングは終わりになります。 

◎ 又第173回 平成23年6月26日(日) 「京都御所への遷都」で、京都万葉同好会のハイキングを終息したいと思います。

田原の里に行くバスが、通常だと1時間待ちになるところ、奈良交通と交渉した結果、増便を出していただけることになりました。皆さん最後の奈良ハイキングを楽しみましょう~(*^_^*)

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします


第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵の旅」ハイキング

2011-04-01 09:36:38 | 万葉関係

         ◎高円の 野辺の秋萩 な散そね 君が形見に 見つつ思はむ


                      お知らせ

前回に引き続いて、『田原の里の旅』ハイキングです。 万葉集に関連する問題についても掘り下げてみたいと思います。

日時      平成23年4月24日(日)
      
           乗車券は「近鉄奈良駅」まで購入

集合場所   近鉄京都駅②③番ホーム付近 08:20分頃集合 08:31分発「急行奈良行」乗車 
           近鉄奈良駅09:16分着 ▲奈良交通バス停(日笠方面行き)乗車

コース     日笠バス停下車ー田原東陵 [第49代光仁天皇陵]ー奈良県奈良市批瀬・【太安萬侶(墓)】 

        「古事記」編者の墓誌ー田原西陵[志貴皇子・追尊、春日宮・田原天皇]奈良県奈良市須山町金坊。

服装      ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品    昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他    第172回 平成23年4月24日(日)

          場所 当尾[岩船寺~浄瑠璃寺]。または、加茂長町~恭仁京跡。検討中。

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします

天武天皇の命で『帝紀』『旧辞』を誦習した稗田阿礼。いったん見たもの・聞いたことは忘れない、天才的記憶力と理解力を発揮した舎人だったという。この作業は天武天皇の崩御により一時途切れるが、後を継いだ元明天皇が「稗田阿礼誦む所」を撰録して献上するよう太安万侶に命令し、ここに『古事記』が完成した。

『古事記』巻頭の序文は安万侶が元明天皇へ奉った「上表文」だが、駢麗体(べんれいたい・隋〜唐時代に流行した文体)の見事な文であるという。この二人の天才なくして、『古事記』のクオリティは成立しなかったかもしれない。

ところで「稗田阿礼は男か女か」という論争が江戸後期に巻き起こっている。

女性説は名前の持つ響き、稗田氏が女性を宮中へ遣わす猨女君(さるめのきみ)と同じ天鈿女命(あまのうずめのみこと)の末であるなどの伝承から、平田篤胤らが唱えたもの。

ただ、性別の記載はないものの「舎人」と書かれているから、通説通りの男性説が有力なようだが…。はたして。


第170回例会「伊久理の社~白毫寺」ハイキングに行ってきました。

2011-03-29 09:28:38 | 万葉関係

27日の日曜日、今年初めてのハイキングに行ってきました。

チョット肌寒い朝で、下に一枚重ね着をして、小さいホカロンを持って出かけた。

京都駅の集合場所では、私達より早い人が居られた。懐かしい人達のお顔を見て、今年も頑張ろうと思いました。(^O^)/

最終の集合場所では、37人の人が来られた。その中には、最初からの会員さんがおられ、「メンバーがすっかり変ったね~」「23年もたつと会員さんの顔ぶれも変わるわね~」「長いこと良く頑張ってるね~」「一人でも参加者が居られたら、会長が倒れない限り続けていきますよ~」と言いながら、最初の【円照寺】に向け歩く・・・

【円照寺】  

非公開ですが、山門から覗くだけでも美しい尼寺です

 山村御殿とも呼ばれ、中宮寺法華寺と並ぶ大和三門跡寺院の一つ

正式には(臨済宗妙心寺派) 普門山「円照寺」です 

 寛永18年(1641)に、後水尾天皇の第1皇女・文智女王(大通文智)が京都の修学院の地に草庵を結んだのが始め
 明暦2年(1656)に、大和国添上郡八嶋の地に移り「八嶋御所」と称しました
 寛文9年(1669)に、現在地に移転

本尊;木造如意輪観音像 

 華道の「山村御流」の家元でもあります

 茅葺のきれいな本堂(円通殿)は県指定文化財です
 寺宝の帯解山村廃寺出土品は国重文です。

                                   

                                       五本松

【円照寺】を後に・・追尊【崇道天皇陵】に向かう。

追尊【崇道天皇陵】

早良親王(さわらしんのう、天平勝宝2年(750年)? - 延暦4年9月28日(785年11月8日))は、奈良時代末期の皇族。
光仁天皇の皇子。母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、761年に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み、親王禅師と呼ばれていた。781年、兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し、立太子。だが785年、造長岡宮使 藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、河内国高瀬橋付近で憤死した。(
net引用)

追尊【崇道天皇陵】の付近で昼食

昼食後、【百毫寺】に向かい歩きだすが、今年初めてのハイキングで、疲れが出てくる。元気な人は歩き、足に自信のない人は、【百毫寺】の近くまでバスで行く。

              道端には「ミモザ」「椿」が咲いていた。

  【百毫寺】

 高円山のふもとにあり、境内からの展望は大変すぐれています。雲亀元年(715)志貴皇子の没後、その地を寺としたのに始まると伝えられ、鎌倉時代に再興されました。とくに道照が中国から宋版一切経の摺本を持ち帰ってからは一切経寺とも呼ばれ、庶民信仰の場として栄えました。現在は本堂と御影堂などが残っています。境内には天然記念物の五色椿が植えられており、奈良三名椿の一つとして有名です。

最後の力を振りしぼり階段を上っていく。

宝蔵に本尊阿弥陀如来坐像をはじめ閻魔大王坐像ほか重要文化財を、本堂(江戸時代)に勢至・観音菩薩像、聖徳太子二歳像他を安置する。また御影堂(江戸時代)には中興の祖空慶上人をおまつりしている。

●2-230 梓 弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向かふ 高円山に。

春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 何かと問えば 玉桙の 道来る人の 泣く涙 小雨に降れば 白妙の 衣ひづちて 立留まり 我に語らく 何しかも もとな唁ふ 聞けば 音のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇の 神の皇子の 出でましの 手火の光そ ここだ照りたる。                               笠 金村

●2-231 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲か散るらむ 見る人なしに         

                                            笠 金村 

●2-232 三笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに

                                            笠 金村

  万葉の資料の中の一部を朗唱後、解散

早く来ておられる人は、15時のバスに間に合うように帰って行かれるが、私達はゆっくりと来たので、見学して帰る。

今年初めのハイキングにしては、チョットきつかった・・・

家に帰り、歩数計を見ると、何と2万歩も歩いていた。(;一_一)

皆さんお疲れ様でした。(^O^)/

 

 

 

 



 


明日は、第170回例会「伊久理の社~白毫寺」ハイキング

2011-03-26 07:31:29 | 万葉関係

       今年も、ハイキングの時期がやってきました。(*^_^*)

   ◎高円の 野辺の 秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人無しに  (笠 金村)

山町八島【崇道(早良)天皇陵】~伊久理の社(穴吹神社):円照寺(山村御殿)~白毫寺の旅

犬飼孝先生・推奨の「笠 金村の挽歌」を挽歌中の白眉と讃め、斬新的な技巧をこらした点を激賞されていたので、工夫して、現地で再現をしてみたいと思います。

興味ある方、知人ご友人の方々、お誘い合わせの上、ご参加をお待ちします。

                           お知らせ     

               ◎ 【ご注意】 今回はJR京都奈良線です。                   


日時        3月27日(日)

集合        JR京都奈良線 8時半集合 ◎JR京都駅経由・桜井線帯解(おびとけ)まで購入 

             ⑨⑩番ホーム 08:49分発・奈良行 快速乗車
          
             JR奈良駅09:34着  JR桜井線:和歌山行き快速 09:40発乗車  09:47分帯解駅

             (下車)
           
             

コース       JR桜井線 帯解駅から東へ~円照寺(山村御殿)~崇道(早良)天皇陵 八島伊久理の社         

             (現穴吹神社)山町~古市町~高円宮 ~白毫寺

服装        ハイキング出来る服装、履物は楽なシューズ

携行品       昼食、飲み物、筆記具、カーペット、にわか雨対策として折り畳み傘用意

 その他        次回予定 4月24日(日) 

皆さんのご参加お待ちしております。(^O^)/

            


第170回例会「伊久理の社~白毫寺」ハイキング

2011-03-01 14:11:29 | 万葉関係

   ◎高円の 野辺の 秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人無しに  (笠 金村)

今年も、三月ハイキングの時期がやってきました。

山町八島【崇道(早良)天皇陵】~伊久理の社(穴吹神社):円照寺(山村御殿)~白毫寺の旅

犬飼孝先生・推奨の「笠 金村の挽歌」を挽歌中の白眉と讃め、斬新的な技巧をこらした点を激賞されていたので、工夫して、現地で再現をしてみたいと思います。

興味ある方、知人ご友人の方々、お誘い合わせの上、ご参加をお待ちします。

                           お知らせ     

             ◎ 【ご注意】 今回はJR京都奈良線です。                   


日時        3月27日(日)

集合        JR京都奈良線 8時半集合 ◎JR京都駅経由・桜井線帯解(おびとけ)まで購入 

             ⑨⑩番ホーム 08:49分発・奈良行 快速乗車
          
             JR奈良駅09:34着  JR桜井線:和歌山行き快速 09:40発乗車  09:47分帯解駅

             (下車)
           
             

コース       JR桜井線 帯解駅から東へ~円照寺(山村御殿)~崇道(早良)天皇陵 八島伊久理の社         

             (現穴吹神社)山町~古市町~高円宮 ~白毫寺

服装        ハイキング出来る服装、履物は楽なシューズ

携行品       昼食、飲み物、筆記具、カーペット、にわか雨対策として折り畳み傘用意

 その他        次回予定 4月24日(日) 

            第171回 田原の里、 日笠・田原東陵、田原町此瀬・太安萬侶墓、須山東金坊・田原西陵