ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

サイクリング~(^O^)/

2012-11-30 08:31:17 | 万葉関係

25日今年最後の「明日香」の旅サイクリング第三次に行って来ました。  

今日は良いお天気だそうですので、皆さんと一緒にサイクリングが出来るのを楽しみに近鉄京都駅に行きました。懐かしい人達が見えた。

集合場所「橿原神宮前」では、12人が集まりましたが、一人は自転車が苦手でバスで行かれた。  私達11人は、自転車で最初の場所「本薬師寺跡」に~

本(元)薬師寺は西の京の薬師寺の前身で、斉明6年(660)、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して健立を発願されたのに始まる。藤原京右京に竜宮のような華麗しな堂塔を誇ったが、平城遷都と共に寺は西の京に移された。白鳳山医王院という小堂の前には金堂や東・西両塔の礎石が整然と並び往事を偲ばせている。

        本薬師跡の説明

金剛山をバックに記念撮影  

次の場所「雷丘」に向かって~サイクリング~小春日和で、ひなびた小道を~心地よい風が頬に当たり気持ちいい

これが明日香風か~(^_-)-☆

雷丘で、バスで行動されている今井さんと合流  説明を聞く

 小子部栖軽(ちいさこべのすがる)が雷神を捉えし縁

 古代日本の仏教説話を集めた『日本霊異記』は、その上巻第一話に「雷を捉えし縁」と題して、雷丘の名の由来に関係した説話を載せている。説話の概要は次の通りである。

 雄略天皇の護衛武官であり腹心の従者であった小子部栖軽(ちいさこべのすがる)は、天皇が大極殿で后と婚合しているときに、そうとは知らずに大極殿に入ってしまった。天皇は恥ずかしがって事を止めてしまったが、そのとき空に雷が鳴ったので、腹いせに雷を呼んでくるように栖軽に命じた。栖軽は山田道を通り軽の巷まで雷を求めてきたが雷は見あたらなかった。仕方なく折り返してくると、豊浦寺と飯岡との中間の所に雷が落ちていた。そこで、輿に雷を乗せ宮殿に運んで、雷を連れてきたことを天皇に奏上した。そのとき、雷が光りを放ち明るく輝いたのを見て、天皇は恐れをなして、雷が落ちていた所へ返させた。その落ちていた所を、今でも雷の岡と呼んでいる。....

 この話には後日談がある。何年かして栖軽が死んだとき、天皇はその忠勤ぶりをしのんで、雷の落ちた場所に栖軽の墓と作り、「雷を捕らえた栖軽の墓」と記した柱と立てさせた。雷は碑文を立てたのを恨み憎んで、碑文の柱を蹴飛ばし踏みつけた。ところが柱の裂け目に挟まれて、またもや捕らえられてしまった。天皇は雷を許してやり、新たに碑文の柱を立てさせた。碑文には、「生きている時ばかりでなく、死んでからも雷を捕らえた栖軽の墓」と書かせた。

万葉集に集められた和歌には飛鳥を題材にとった秀歌が多い。だが、雷丘を詠んだ歌は、柿本人麻呂が「天皇、雷丘に出でます時」に作ったと題する次の歌だけである。

3-325  大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも   柿本人麻呂
意味:大君は神でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に仮の宮殿をお造りになっていらっしゃることだ   net引用

雷丘の丘から「甘樫の丘」が南の方に見えていた。なお此処には「飛鳥坐神社」が有ったと言われている。

次は「飛鳥坐神社」(あすかにいますじんじゃ)

 大国主神は、皇孫に「国譲り」をした際に一番信頼のおける神として、我が子の事代主神に相談・決断して出雲に鎮座した。そして、当社の祭神であり八重事代主神をヒトゴノ神(統率神)と称え「この神を祀れば国造りに逆らう神はあらじ」と、天高市(飛鳥)に八十万の神々を集め、飛鳥の神南備に鎮めた。万葉集には、願いを叶え幸せを導く神様だとうたわれている。
飛鳥坐神社は奇祭「おんだ祭り」が行われる事で有名な神社で、飛鳥寺の近く東北方向にあります。
「おんだ祭り」とは毎年二月の第一日曜日に行われるお祭りで、舞台の上で天狗とお多福が演じる夫婦和合の儀式が行われる。 ( 子孫繁栄、五穀豊穣を祈って)

境内にある「力石」            境内には、石像物が並んでいた。
男性は左手で、女性は右手で持ち上げると幸運がつかめるといわれています。

 

「小原神社」

 この地には、藤原鎌足の母、大伴夫人の墓と伝える円墳があります。大きさは、東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mだそうです。   また、ここは藤原鎌足の誕生地ともいいます。

犬養先生の歌碑が有ります。

2-103  我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後      天武帝

2-104  我が岡の 水神(おかみ)に言ひて 降らしめし 雪の砕けし そこに散りけむ  藤原夫人

贈答歌であるが、夫婦の私的な恋愛歌と言われている。  五百枝娘子の当委即妙のセンスは見事である。

次は最終の地「甘樫の丘」に行き昼食

甘樫丘は、古くは日本書紀などの中にのその記述がみられ、7世紀前期には当時の有力者であった蘇我蝦夷、入鹿親子が大邸宅を構えていた場所でもあるとも言われている。地区内には、眼下に飛鳥古京(明日香村内)の集落、北側に大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)とその中央に位置する藤原京(橿原市内)さらに遠くの生駒山、二上山、葛城山、金剛山系の山並みを望める展望広場(標高148m)や、万葉集などに歌われた植物を散策しながら楽しめる万葉植物園路まどを設けている。

 甘樫丘は、飛鳥の里を見下ろす標高148mの小高い丘で、北方に耳成山、香具山、西方に畝傍山などの大和三山や藤原京、飛鳥京など大和の美しい風景、のどかな飛鳥の里を眺めることができる。丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。

      昼食後、葛城山の方面                  畝傍山耳成山方面

遠望歌  「春楊 葛山 發雲 立座 妹念」 葛城山の歌。 「三山歌」。百済救援のため大本営の移動の時、明石の沖の船上で、中大兄皇子の歌。 「二上山の歌・大伯皇女」。「国見歌」 高市岡本御宇天皇・息長足日廣額天皇・(名)舒明天皇御製。  「剣の池の歌」。等の歌の朗唱と解説をして本日は終了。

畝傍山・二上山 お天気が良いから、遠くまで見えます。        多武峰

       真神の原方面                  甘樫の丘から降りて自転車が置いて有る場所。此処で団体写真を撮ってもらったのが、消えちゃった・・・(-_-メ)  皆さんゴメンね。   今日は晴天に恵まれサイクリング日和でした。  朝出発した、近鉄橿原神宮前に帰る。

秋は日が暮れるのが早く、(つるべ落とし)日のあるうちに、電車に乗りましたが、自宅に着いた時には、日が暮れていた。    皆さんお疲れ様でした。(*^_^*)

 

 

 

 

 

       

 

 


夏期講座

2012-06-17 11:57:24 | 万葉関係

一部の人を除き、会員さんとは長らくのご無沙汰をしておりますが、皆様お変わりございませんか?

夏期講座をして欲しいとの要望が有り、会場をお世話して下さいます「前田様」が居られ、来月に行う事になりました。

          夏期講座  「文化講演」

◎   7月15日(日曜) 午後1時~5時迄

◎   紫明センター   京都市北区「地下鉄北大路駅」より北大路通りを西に行き、室町通りを下り、「紫明小学 校」敷地内 紫明センター(公民館) 机・椅子席の会議室

◎    講師 

      水口昭男     京都万葉同好会 (代表)  「万葉集の理解のために」

      前田健治先生  培華学院客員教授      「私とカサブランカ」

           弦巻克二先生  奈良女子大学名誉教授   「志賀直哉文学」

  

             

紫明センター   賀茂川. 京都市北区小山東大野町55 最寄り駅: 地下鉄烏丸線「 北大路駅」(徒歩7分) 最寄り駅から教室までの行き方: 北大路駅から地上に出て、烏丸 北大路の交差点から北大路通りを100mほど西に歩き、室町通りで左に曲がって200m ほど ...

追伸  駐車場が御座いませんので、お車でのお越しはご遠慮ください。

又、会場費や、先生のお心付け等で会員様には、少しご協力をお願いします。

 

 

 


「明日香」の旅サイクリング ②

2012-05-23 15:44:59 | 万葉関係

5月20日(日)「明日香」の旅サイクリング② に行って来ました。  4月に予定して居りましたが、4月の土曜、日曜と言うと、天候が悪く雨ばかり・・・5月に入ると、日曜日が晴れマークになったので行きました。

「飛鳥駅」に着いた時には14名でしたが、一人電動自転車が合わなく脱落、

最初に行ったのは、「石舞台古墳」 

我が国最大級の横穴式石室を持つ方形墳。築造には相当優れた巨石運搬技術が要求されたことを物語っている。蘇我馬子がこの付近に住んでいたのと、墓が巨大であったという記録から一般に馬子の墓とされている。

           横穴式石室から出てきた、主人と会員さん達

次に向かったのが、勧請綱・石橋 (栢ノ森~芋峠~吉野~吉野上市)

 稲淵・栢森の綱掛神事

稲淵集落の入り口と、さらに上流の栢森集落との境目付近に飛鳥川をまたいで、ワラで作った男女それぞれのを吊り下げた長い勧請綱が架け渡されている。これは、外部からの悪霊、邪霊、を追い払うため一種の厄除けで、上流は”めづな”下流は”おづな”と呼ばれ、栢森集落では毎年1月11日に、稲淵集落では毎年成人の日に新しく掛け替えられる。(サイクリングだから此処まで来れました。)

南淵請安の墓

請安は608(推古16年)の遺唐学生の一人で、在唐32年、640年、(舒明12年)に新羅より帰朝、中大兄皇子や鎌足の師として蘇我氏打倒をひそかに謀った”大化の改新”の陰の人物、稲淵の神明塚という高台に墓が有る。

そろそろお腹も空いてきたので、昼食場所を探す。 「国営飛鳥歴史公園」で昼食

歌を朗唱

32 ● 1-2  大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は

           煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国そ 蜻蛉嶋 大和の国は

 

            銀輪部隊12名 撮影者1名  合計13人

犬養記念館に入り、先生のビデオを観た後、外でお茶にする。

       チョット一息入れて、お茶を飲みながら雑談

今日最後の見学「伝蓋宮(いたぶきのみや)跡

皇極天皇の宮殿跡で大化の改新の舞台となった場所。約30年間にわたって継続発掘調査が行われ、石敷の広場や大井戸跡が出土しているが、数層の重複がある。最近の発掘で天武天皇時代に関係する木簡が発見され、上層部は天武天皇の飛鳥浄御原宮跡の可能性が強くなっている。

贈答歌 

17 ● 2-103 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後   天武帝

18 ● 2-104 我が丘の 龗に言ひて 降らしめし 雪の砕けし そこに散りけむ   藤原夫人

今日はこれまで、銀輪部隊は「橿原神宮前」まで帰り、此処で自転車とお別れ、京都行16時7分の急行に乗る。

お天気は曇りで、汗もかかづに気持ち良かったです。  「飛鳥」は広いですね~これから何回来るのかな?

 


長い間ご無沙汰して居りました。

2011-11-27 12:08:26 | 万葉関係

長いことご無沙汰して居りましたが~体調が悪く臥せっていたと言う事ではなく・・元気にして居りました。

17日~22日まで「ハワイ旅行」に行っておりました。

23日は   「万葉サイクリング」に行っておりました。

26日は   京都の紅葉を観に、「銀閣寺」「永観堂」「南禅寺」に行ってきました。

ハワイ旅行の前後忙しく・・写真の整理がしてなく、「万葉サイクリング」から書いていきます。

23日(祭日)最近万葉同好会に入ってこられた人中心に行ってきました。

「明日香」の旅サイクリング

京都駅7:30分に集合、飛鳥駅に10時前に着き、それぞれが自分に合った自転車、電動着きの自転車等用意していただき、男性8人、女性6名が飛鳥駅を出発

最初に行ったのが、「於美阿志神社」に行き、祭神は「阿知使主」【東漢氏】

『続日本紀』宝亀3年(772)4月20日の条には、遠く応神に漢人阿知使主が来朝し、高市群の檜前村を賜わり住んだと伝えている。 境内に「宣化天皇檜隈廬入野宮址」の石柱、「檜隈寺址。十三重塔」を囲む敷地が残っている。

      

旅行ボケして、デジカメを忘れ、前田氏、添田氏の両名にお願いして、写真を送ってもらう。 歌は無いけど、「キトラ古墳」の前で説明する。

高松塚古墳の前で記念写真  その後高松塚壁画館に入り中の展示物を拝観

「高松塚古墳」 昭和47年(1972)3月「女人像の壁画」「天井星座」「玄武・青龍・白虎」など副葬品の盗掘址(穴)  特に赤・白・緑・黄色の縦縞模様のロングスカートや天井星座の発見に驚いた。

此処で万葉歌朗唱

11-2550  立ちて思い 居てもそ思ふ 紅の 赤裳裾引き 去にし姿を   作者不詳

「中尾山古墳」は、正八角形古墳(天皇陵墓)とされることから、「文武天皇陵」であると断じている「高橋三知雄」節

『檜隈大内陵』(天武:持統合葬陵)

19-4260  大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都と成しつ    大伴御行

「参考」 身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて  昭和天皇御製

亀石をみて、「橘寺」に入り休憩所で昼食

「橘寺」 聖徳太子誕生の地と伝えられる「橘寺」創建当時の建物は何も無いが、東門南側鐘楼脇の塔の心礎に橘の文様のある石と土台が有るのみ 二面石がある。 

「二面石」 飛鳥時代の石造物の一つで、太子の左横にある。人の心の善悪二相を表したものといわれている。

① 日本書紀 天武紀9年(680)4月「橘寺の尼房失火、以て十房を焚く」

② 万葉集巻16-3822 橘の 寺の長屋に 我が率寝し 童女放髪は 髪上げつらむか

昼過ぎになると、雨が降ってきた。  皆さん用意周到で雨具を出し着る。

「川原寺」 明日香村川原:(川原寺址のみ) 弘福寺。橘寺の北側、一本の道を隔てて川原寺があった。 南大門を持つ独特の伽藍配置の寺で、橘寺とは丁字形に建てられていた。川原寺は歴史との結びつきが深く、『日本書紀』『続日本紀』に合わせて10回に及ぶ記事が見られ、天武紀14年の条には、天皇の行事も伝えている。  橘寺・川原寺ともに古い建物は残していない。

16-3849 生死の 二つの海を 厭はしみ 潮干のやまを 偲ひつるか

16-3850 世の中の 繁き仮廬に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも

                  

                            川原寺    朱雀のモニュメント等が有った。

雨も思ったほどきつくなく、飛鳥駅へと向かう途中に、欽明陵・吉備姫王(配:茅渟王)・皇極天皇・弟光徳天皇・「重祚」~斉明天皇の墓へ行った。 墓域の柵内に、四基の猿石が見られた。

「欽明陵」 については、見瀬丸山古墳に曽我堅塩媛が合葬されていると言う有力説もある。

飛鳥は広く、一度では廻れなく、二度三度と行くことになるでしょう~が、主人は足が悪く皆さんについていけなく、自転車だと行けますが・・自転車だと、沢山の参加者で廻ることが出来なく、これからも少人数で行くことでしょう~

 

 

 


大和ぼけ封じ大祭

2011-09-20 15:25:28 | 万葉関係

9月19日、主人とマイミクさん(Sさんご夫婦)4人で、「大和ぼけ封じ大祭」に参加しました。

近鉄に乗り八木で乗り換え、桜井駅で降り、南口に行くと、臨時バスが出ており、会場となる「安倍文殊院」の駐車場まで、バスで行き、10分ほどで会場に着いた。

安倍文殊院は大化の改新後、左大臣となった阿部倉梯麻呂が作った寺で安倍氏の氏寺で、日本三大文殊の第一霊場として有名です。
現在はこじんまりした安倍文殊院境内ですが、見所がぎゅっと詰まっています。
仏像では高さ7m・日本最大の木彫極彩色の騎士像本尊文殊菩薩像をはじめ仏像では弁財天像、安倍仲麻呂像、安倍晴明像、釈迦三尊像、大日如来像、十一面観音像、大黒天像など。
歴史異物では境内の中に二社の神社はもちろん古墳も2つあります。
風景では四季折々の花(桜,パンジー,コスモス,ボケ,つつじ,紅葉)に囲まれた浮御堂や安倍の清明が占星術の修行のため天文観測を行った清明堂から見る二上山や奈良盆地などが見渡せます。
また正月には巨大絵馬パンジーや先着1万人無料知恵雑煮の9月には30種10万株の巨大コスモス迷路などイベントにも事欠きません。』net引用

9時から受付が始まり、招待のはがきを渡すと、色んな(スケージュル表、ぼけ封じ夫婦箸、団扇、昼食の引換券、抽選券等色々)ものが入っておりました。

本堂に入りきれないので、外にも席を用意された。私達は外の会場の前列に座る。

9:30分 ~ぼけ封じ大法要とお加持祈涛 一人づつ安部文殊院の貫主さんには、頭をなぜていただき、おふさ観音の貫主さんには背中をなぜていただきました。これでボケは大丈夫と自分に言い聞かせる。

別室に入る前に、昼食を頂き、部屋に入ると皆さんが昼食されている。チョット早いと思いましたが、私達もおにぎりを食べる。

10:50分~、法話が始まります。おふさ観音 貫主さんの「生かせいのち」

11:20分~、講演 霊場会顧問 白寿(99歳) 「長寿の秘訣・がんばろう日本!」

12:00か~ 植田鍼灸接骨院長「長寿の体操」

12:40分~  法話安部文殊院、貫主さんの「ぼけない人の八ヶ条」

ぼけない人の八ヶ条

① 信仰心厚く、ぼけ封じ、御本尊の御威徳を信じ、朝夕のおつとめをする人

②テレビを見すぎない人

③よくお話をする人

④物忘れを気にしない人

⑥人の世話をよくする人

⑦感謝の気持ちを忘れない人

⑧いくつになっても張り合いと生きがいを求めている人

ぼける人の七ヶ条

①信仰心なく、仏さまを拝まない人

②人の言い分を聞かず自己中心でがんこな人

③すぐ腹をたててどなったり短気な人

④仕事いちずで趣味のない人

⑤友達のいない人

⑥人を信じられず物・金だけがたよりの人

⑦笑わない人

心当たりのある人は要注意・・・(^o^)

 お寺の貫主さんは、お話が上手ですね~退屈させないで笑いを入れてお話されます。

いろんな話を聞きましたが、どれだけ残っているかな???

いよいよ抽選会が始まりました。全体の三分の一ぐらいの人が残りいよいよ私の番です。裏向けになっていた紙を取り渡すと、何と「お楽しみ 福袋」があたりました。(^_-)-☆

くじを引くのに並んでいる人    福袋に入っていた「絵馬・巾着・大、小、色鉛筆・まねき猫・虎の色紙・招福とろろ・赤いおじゅじゅ」等が入っていた。

法話や講演、抽選会が終わり外に出て、写真を撮る。

              浮御堂とコスモス                    本堂

          コスモス迷路とコスモス

元気な人はこれから、香久山の麓まで行かれ、「おふさ観音」迄いかれましたが私達は、敬老の日に、町内の人のお配り物も有るからとお先に失礼して帰ることにしました。今日のお天気は、夕方になると雨が降ると言う事でしたので、家に帰り着くまで雨に遭わなかったわ~

Sさんご夫婦は、お若いしお元気なので皆さんについていかれました。 その時に「今日は敬老の日でお祝いをと~」言って袋を渡されました。家に帰って開けてみますと、この様な品が入ってました。

                  

何時も気を使ってくださいますので、「この様な事はしないでくださいね・・」と言いながら頂き、家に帰って開けてみると、お祝いの品だったので、主人と嫌なこと言ってしまったね・・・と気になり、電話でお礼と嫌なこと言ってゴメンなさいね~と謝りました。久し振りに奈良の空気を吸ってきました。(^o^)

 

 

 


久し振りに~(^_-)-☆

2011-09-11 15:13:58 | 万葉関係

昨晩は、お久し振りに、万葉の会員さんにお会いしました。

実は、6月の万葉ハイキングの夜に、00さんから電話が有り、「今友達と食事をしているんだけど、9月10日の夜、先生と奥さんを招待して、食事会をしたいのですが、如何でしょうか?」と言われまして、私は二つ返事で、「有難うございます。是非寄せていただきます。」と返事をしました。(主人の了解なく~こういう事は、先に承諾して主人には後で報告すればいいんです。)(^_-)-☆

会場に行きますと、一人来ておられ、席につくと顔見知りの人が、入ってこられました。6人のメンバーで、私達入れて8人でパーティーの始まり、(^O^)/

会場は、京都駅の近くで「ヨドバシカメラ」の1Fの「栄寿庵」です。バイキング式で好きな食べ物を入れてくる。

先ずは器に入るだけ入れてビールで乾杯。   二度目は先のと変わったおばんざいを入れてくる。 お味は、私達にあった味で、京都の薄味ではなく、チョット濃い目のお味です。少しづつ違ったものが食べれて、美味しい~ビールは、上から継ぎ足していただき、何ぼ飲んだかわかりませんが、相当飲んだのでしょうね~チョット目が回り出したようだ・・これはやばいと思い、デザートを取りに行く。

                 

     デザートは、これにアイスクリーム・・アイスクリームは、主人に食べられちゃった・・(-_-メ)

主人と言いますと、乾杯した後、三分の一ぐらいしか飲めなく、後はウーロン茶だって~(--〆)

懐かしい人達とのハイキングの話はつきなく、三時間程過ぎましたので、私達はお先に失礼しました。帰りに「重たいですが、これを持って帰って下さい。」とお酒を二本頂きました。

「ヨドバシカメラ」は初めて来たので、B1F・B2Fと見て回り、市バス乗り場に行きました。バスが来るのには、もう少し時間がかかりますので、付近の景色をパチリと・・

       夜の京都タワー   バス乗り場の後ろ側、ポルタの一角では、噴水が有りこの様に色や形が違って楽しませてくれます。沢山の見物人で、私も初めて見ました。明日十五夜で月が綺麗に映ってました。

バスに乗り、自宅に着いたのは21時頃で、お土産に頂いたお酒をパチリと~

                

「奥さんは、辛口ですか?甘口ですか」?と聞かれましたので、「私は甘い物も、辛い物も何でも頂きますよ~」とお答えしましたが、このお酒の事でしたんですね~左が辛口・右が甘口らしいです。ボチボチ楽しんで頂きます。今晩は楽しい夜を過ごさせていただき、有難うございました。皆さんのお気持ちに感謝します。(●^o^●)


ご招待されて~(^_-)-☆

2011-07-25 10:30:28 | 万葉関係

昨日万葉会の有志の方々にご招待を受け夫婦で行って参りました。

会場は祇園の000ホテルです。 先月の写真をお渡しするために受付に座っておりますと、会員さんが次から次とお見えになり、最終には48名に、私達夫婦を入れて50人になりました。(^_-)-☆

弦巻先生と私達は、「準備が整いましたら、お呼びしますから~」と別室に案内され、暫くすると呼びに来られまして会場に入る時には拍手で迎えていただきました。

          

             幹事さんが、パソコンで作られました。(^_-)-☆

幹事さんに呼ばれて、舞台の方に行くと、何と芸子さんと舞子さんが花束を持って現われ、私達に花束贈呈、主人は舞子さんから、私は芸子さんから花束を頂きました。

                  

                   こんな立派な花束頂き嬉しいです。(^_-)-☆

最初に、弦巻先生がご挨拶、先生(奈良女子大)は、この会が発足した頃からのお付き合いで、会の名前も先生と相談しながらつけたという、古いお付き合いの先生です。

                 左は弦巻先生                    右は会員さん(智さん)の乾杯

乾杯の音頭で皆さんリラックスして食事タイムに入ります。

                  

お食事、後ご飯、お汁、デザート、招待を受けてお客さんの筈なのに、写真を撮るのが忙しくじっとして食事してられなかった。(これも性格なんですね。)(^o^)

              

会場に万葉歌の額が上がっておりましたので、主人が説明をする。

舞子さんと芸子さんが、皆さんのテーブルの所に来て、お酌や記念撮影、サインをしてくださいました。

 テーブルでの記念撮影、サイン等が終わりいよいよ舞が始ります。

        最初は「夏のホタル」 次は「祇園小唄」京都では、「祇園小唄」は、はずせませんね。

舞子さん芸子さんの舞が終わり、舞台で記念撮影をします。

記念撮影が終わり、舞子さんと芸子さんの違いや、色々と説明していただく。

後一人一人のご挨拶をうけ、皆さんがこんなに喜んでいて下さった事に、感謝いたしました。

横山さんからの閉会の言葉で、4時間の会もお開きになりました。

22年と、この会が長い事続きましたのは、ひとえに会員の皆様のご協力の賜物と思います。

又本日は、お忙しい処、私達のためにお別れと感謝の会に出席して頂いた皆様、有難うございました。

最後になりましたが、この様な企画を考えて頂きました「丸山様」感謝でいっぱいです。心から御礼申し上げます。有難うございました。(^_-)-☆

これから夏本番に入ります。皆様御身大切にお過ごしくださいませ。

家に帰り花束を写真に撮りました。

左が、主人が頂いた花 睡蓮の花が三つ咲くのが楽しみです。 右は私が頂きました花、 白い欄の花が綺麗~(^O^)/  絵に描けますと良いのですが・・チョット難しいかなぁ~

 

 


嬉しいですね~(*^_^*)

2011-07-06 08:52:12 | 万葉関係

京都万葉同好会も6月26日に、第173回で最後の日を迎えました。

ハイキングの日は、晴れとは決まって無く、雨の日、寒い日、又暑い日等が有りましたが、毎回参加してくださる人、雨には弱い人、花粉症の人等が居られ、参加者の人数は、多い時は50人前後、少ない時は12人と色々でしたが、楽しくハイキングが出来ましたのは、皆様が良い人達ばかりで、何時も「和気藹々」の精神で、初めて来られました人も、皆さんがお声をかけていただき、有りがたいことでした。(^_-)-☆

人様から聞いたことですが、有志の人達で「お礼と感謝の会」をしてくださるそうで、又京都万葉同好会の発起人でもある、奈良女子大「弦巻先生」も招待してくださるそうで、先生には、何年もお会いして居りませんので、お会いできますのを楽しみにして居ります。

173回の「宗像神社」での集合写真です。

          

     真ん中の男性が「高屋先生」 懐かしいお顔ばかりです。       (前田氏提供)


最後の万葉ハイキングに行ってきました。

2011-06-28 09:21:34 | 万葉関係

26日は、「京都万葉同好会」の最後のハイキングでも有り、顔馴染みの人達が続々と集まって来られ、二条駅の構内が、ハイキング姿の人でいっぱいになりました。 最終には64名になりました。

その中には、私達の顔を見るために来られた人も居られて、出発と共に、帰られる人もおられ、61名が最初の見学、「出世稲荷」に行き、説明を聞く   

出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、京都市中京区にある神社である。ウカノミタマ 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと。稲荷神とも呼ばれる)を祭神とする。
天正15年(1587年)に豊臣秀吉によって聚楽第内に勧請された稲荷神社が由来である。寛文3年(1663年)に聚楽第から現在の地に移された。「出世稲荷」の名は、立身出世を遂げた秀吉にちなんで付けられたもの。
京都市営バス 京都市バスの停留所に「出世稲荷前」がある。
京都府の神社 net引用

平安京大内裏の「応天門」が有った付近とされていると説明。

 平安京大内裏の中心部にほんの一部分でありますが「大極殿」跡が有った。(此処で説明)

 今日は、日差しがきつく、熱中症になるといけないから水分補給に二条公園でチョット休憩。

暫く休憩して、神泉苑に向かう。

「神泉苑」 中国の長安・洛陽の故宮の禁苑にならって、平安京に造られた庭。

苑内には乾臨殿や左右の楼閣・釣殿等が有り、桓武天皇以後、平城・嵯峨・淳和など歴代天皇が頻繁に行幸遊宴されたと言われている。

二条城に向かう。 二条城で正午となり、休憩所で昼食。

                    

                                                 二条城二の丸御殿の前で集合写真。(国宝) 

二の丸御殿は、撮影禁止

二条城の歴史は、日本の政治の歴史と言ってもいいかもしれません。徳川家康が征夷大将軍に任命された将軍宣下と、江戸幕府の終わりを告げる、大政奉還が発表された場所でもあるのです。

二の丸御殿【国宝】は、南の唐門の内に車寄・遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院が雁行し(雁行状に伸びた殿舎群を有した) 内部は狩野探幽・尚信などによる障壁画 [重文]が描かれる。

庭園は「小堀遠州」作 三方正面の庭とされ、城郭の庭園として、江戸初期の鑑賞本位の庭として代表的なもの

            三方正面の庭                      二条城の内堀

城内西部中央に位置する本丸は、方72間を更に内堀で囲い、東に櫓門[重文]を構える。

本丸御殿と天守閣跡に、五層の天守閣が寛延3年(1750)の雷火で天守は炎上、なお天明8年(1788)の大火で本丸御殿炎上  城跡に立つと内堀が一望できる。

京都御所 南北朝合体・足利第3代将軍:義満による、明徳3年[元中9年]閏10月合一成立以後、里内裏:東洞院土御門殿を固定・決定し~明治まで歴代天皇の皇居となる。注(南北統一を記念して、金閣寺を建てる。)

今回は、京都御苑に坐す「宗像神社」に詣でる。 高屋宮司さんは、主人の40年来のお付き合いで、説明を受ける。

           宗像神社の入り口                     高屋宮司さんの説明

 

宗像神社
むなかたじんじゃ

九州の宗像神社より延暦14年(平安遷都の翌年の795年)、後の太政大臣藤原冬嗣が桓武天皇の命により皇居鎮護の為に宗像神社の神を祀るようになりました。御祭神は多紀理比売命、多岐津比売命、市岐嶋比売命の御三姫で、御三姫を総し宗像大神というそうです。

宗像神社の御祭神は、田心姫の命(たごりひめのみこと)・湍津姫の命(たぎつひめのみこと)・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)三神が祭られていると、宮司さんの説明

宗像神社の神は海の神で京都御所の南西の鬼門を守る方除けの神としても崇められています。ここは清和源氏の祖の清和天皇ご降誕の地と言われ、1200年余り、皇居を鎮護してきた神社で、昔は公卿や公達の参拝が多く賑わったそうです。 宗像神社には樹齢600年、樹齢400年といわれる楠の大木があり、アオバズクが営巣する事でも有名です。紫宸殿から賜ったと言う桜の木もあります。九条邸跡の拾翠亭や閑院宮邸跡からも近く、紅葉の穴場です。

高屋宮司さんは、私で三代目だと言われていました。

宗像神社で、記念撮影をして、会長の挨拶  「 万葉同好会23年にわたり続けて来られたのも、皆々様のご協力と親睦が有ったればこそ、続けることが出来ました。有難うございました。」

挨拶後、御苑内の休憩所で茶話会でもと、40名の人が集まった。

本日は、沢山の人にご参加して頂き、お天気にも恵まれ、最後のハイキングにふさわしい万葉ハイキングでした。 皆様これから暑さ厳しくなってまいりますから、どうぞ御身大切にお過ごしくださいませ~(*^_^*)

本日はお疲れ様でした。(●^o^●)

写真一部、本郷氏提供 

 

 

 


明日は第173回例会「平安京遷都」の旅ハイキング

2011-06-25 11:10:09 | 万葉関係

       ❀ 明日は京都万葉同好会の最終日になります。      

          ✿ 新しき 年の始め 初春の 今日降る雪の いや重け吉事

昨年は奈良遷都1300年記念で、玄武会場をはじめ、清龍・白虎・朱雀の各会場を重点的に回り万葉歌はともかく、秘宝、秘仏に接する事が出来有意義でした。 重点的となりましたが、今回は、歴史街道の『五巡目のあがり』となります。 今回はおおむね市街地の平地コースです。

日時            平成23年6月26日(日)
      
集合場所    JR二条駅前 東北舗道付近 午前10:00頃集合。

コース      A 延暦13年(794 10月22日平安遷都当時の跡地。

            B 神泉苑 中国の禁苑にならって造営、苑内は、放正池 中島に善女竜王を祀る。

              乾臨殿・左右楼閣、釣殿など建立。歴代の天皇の行幸・遊宴する。

            C 二条城 徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けるため、京都の宿館として築いた平城。

              雁行の二の丸御殿【国宝】

            D 京都御所 南北朝期以後~明治までの歴代天皇の居所。

              上京区・京都御苑 中央北部にある。禁裏御所ともいう。

              広義には、仙洞御所・大宮御所を含み、京都御苑そのものをさす。

              里内裏であった「東洞院土御門殿」の後身。

              平安京の内裏は、天徳4年(960)9月炎上以来度々焼失、そのつど京中の公家邸宅を

              借用し本来の内裏は、鎌倉初期の安貞元年(1227)4月に類焼以後再建されず、

              宮城域は内野と呼ぶ。


服装       ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品     昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他     京都御所の説明が終わった後、時間の余裕のある方は、お茶でも一緒に如何ですか?

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします。

梅雨の時期なので、お天気が心配ですが、最終日となりますので、皆さん元気なお顔を見せてくださいね。

待ってますよ~(^O^)/