25日今年最後の「明日香」の旅サイクリング第三次に行って来ました。
今日は良いお天気だそうですので、皆さんと一緒にサイクリングが出来るのを楽しみに近鉄京都駅に行きました。懐かしい人達が見えた。
集合場所「橿原神宮前」では、12人が集まりましたが、一人は自転車が苦手でバスで行かれた。 私達11人は、自転車で最初の場所「本薬師寺跡」に~
本(元)薬師寺は西の京の薬師寺の前身で、斉明6年(660)、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して健立を発願されたのに始まる。藤原京右京に竜宮のような華麗しな堂塔を誇ったが、平城遷都と共に寺は西の京に移された。白鳳山医王院という小堂の前には金堂や東・西両塔の礎石が整然と並び往事を偲ばせている。
本薬師跡の説明
金剛山をバックに記念撮影
次の場所「雷丘」に向かって~サイクリング~小春日和で、ひなびた小道を~心地よい風が頬に当たり気持ちいい
これが明日香風か~(^_-)-☆
雷丘で、バスで行動されている今井さんと合流 説明を聞く
小子部栖軽(ちいさこべのすがる)が雷神を捉えし縁
古代日本の仏教説話を集めた『日本霊異記』は、その上巻第一話に「雷を捉えし縁」と題して、雷丘の名の由来に関係した説話を載せている。説話の概要は次の通りである。
雄略天皇の護衛武官であり腹心の従者であった小子部栖軽(ちいさこべのすがる)は、天皇が大極殿で后と婚合しているときに、そうとは知らずに大極殿に入ってしまった。天皇は恥ずかしがって事を止めてしまったが、そのとき空に雷が鳴ったので、腹いせに雷を呼んでくるように栖軽に命じた。栖軽は山田道を通り軽の巷まで雷を求めてきたが雷は見あたらなかった。仕方なく折り返してくると、豊浦寺と飯岡との中間の所に雷が落ちていた。そこで、輿に雷を乗せ宮殿に運んで、雷を連れてきたことを天皇に奏上した。そのとき、雷が光りを放ち明るく輝いたのを見て、天皇は恐れをなして、雷が落ちていた所へ返させた。その落ちていた所を、今でも雷の岡と呼んでいる。....
この話には後日談がある。何年かして栖軽が死んだとき、天皇はその忠勤ぶりをしのんで、雷の落ちた場所に栖軽の墓と作り、「雷を捕らえた栖軽の墓」と記した柱と立てさせた。雷は碑文を立てたのを恨み憎んで、碑文の柱を蹴飛ばし踏みつけた。ところが柱の裂け目に挟まれて、またもや捕らえられてしまった。天皇は雷を許してやり、新たに碑文の柱を立てさせた。碑文には、「生きている時ばかりでなく、死んでからも雷を捕らえた栖軽の墓」と書かせた。
万葉集に集められた和歌には飛鳥を題材にとった秀歌が多い。だが、雷丘を詠んだ歌は、柿本人麻呂が「天皇、雷丘に出でます時」に作ったと題する次の歌だけである。
3-325 大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも 柿本人麻呂
意味:大君は神でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に仮の宮殿をお造りになっていらっしゃることだ net引用
雷丘の丘から「甘樫の丘」が南の方に見えていた。なお此処には「飛鳥坐神社」が有ったと言われている。
次は「飛鳥坐神社」(あすかにいますじんじゃ)
大国主神は、皇孫に「国譲り」をした際に一番信頼のおける神として、我が子の事代主神に相談・決断して出雲に鎮座した。そして、当社の祭神であり八重事代主神をヒトゴノ神(統率神)と称え「この神を祀れば国造りに逆らう神はあらじ」と、天高市(飛鳥)に八十万の神々を集め、飛鳥の神南備に鎮めた。万葉集には、願いを叶え幸せを導く神様だとうたわれている。
飛鳥坐神社は奇祭「おんだ祭り」が行われる事で有名な神社で、飛鳥寺の近く東北方向にあります。
「おんだ祭り」とは毎年二月の第一日曜日に行われるお祭りで、舞台の上で天狗とお多福が演じる夫婦和合の儀式が行われる。 ( 子孫繁栄、五穀豊穣を祈って)
境内にある「力石」 境内には、石像物が並んでいた。
男性は左手で、女性は右手で持ち上げると幸運がつかめるといわれています。
「小原神社」
この地には、藤原鎌足の母、大伴夫人の墓と伝える円墳があります。大きさは、東西約11m、南北約12m、高さ約2.4mだそうです。 また、ここは藤原鎌足の誕生地ともいいます。
犬養先生の歌碑が有ります。
2-103 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 天武帝
2-104 我が岡の 水神(おかみ)に言ひて 降らしめし 雪の砕けし そこに散りけむ 藤原夫人
贈答歌であるが、夫婦の私的な恋愛歌と言われている。 五百枝娘子の当委即妙のセンスは見事である。
次は最終の地「甘樫の丘」に行き昼食
甘樫丘は、古くは日本書紀などの中にのその記述がみられ、7世紀前期には当時の有力者であった蘇我蝦夷、入鹿親子が大邸宅を構えていた場所でもあるとも言われている。地区内には、眼下に飛鳥古京(明日香村内)の集落、北側に大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)とその中央に位置する藤原京(橿原市内)さらに遠くの生駒山、二上山、葛城山、金剛山系の山並みを望める展望広場(標高148m)や、万葉集などに歌われた植物を散策しながら楽しめる万葉植物園路まどを設けている。
甘樫丘は、飛鳥の里を見下ろす標高148mの小高い丘で、北方に耳成山、香具山、西方に畝傍山などの大和三山や藤原京、飛鳥京など大和の美しい風景、のどかな飛鳥の里を眺めることができる。丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。
昼食後、葛城山の方面 畝傍山耳成山方面
遠望歌 「春楊 葛山 發雲 立座 妹念」 葛城山の歌。 「三山歌」。百済救援のため大本営の移動の時、明石の沖の船上で、中大兄皇子の歌。 「二上山の歌・大伯皇女」。「国見歌」 高市岡本御宇天皇・息長足日廣額天皇・(名)舒明天皇御製。 「剣の池の歌」。等の歌の朗唱と解説をして本日は終了。
畝傍山・二上山 お天気が良いから、遠くまで見えます。 多武峰
真神の原方面 甘樫の丘から降りて自転車が置いて有る場所。此処で団体写真を撮ってもらったのが、消えちゃった・・・(-_-メ) 皆さんゴメンね。 今日は晴天に恵まれサイクリング日和でした。 朝出発した、近鉄橿原神宮前に帰る。
秋は日が暮れるのが早く、(つるべ落とし)日のあるうちに、電車に乗りましたが、自宅に着いた時には、日が暮れていた。 皆さんお疲れ様でした。(*^_^*)