ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

「教える」ということ(1)

2005年09月03日 | 価値観

                                    ♪仰木監督は選手の能力を最大限に引き出すことがなぜあんなにうまいのでしょうか。



 学生時代のバイト先で、痔の手術で休むことになったそこの社員が、上司に
 「すみません、○△サブロウ(その人の実名)ですが、痔ロウになってしまいました」と報告しているのを聞いて、昼ごはんを噴いたことがあるワタクシです皆様こんにちは。(´ω`;)


 「楽器を習いたい」とか「ジャズを教えてほしい」と頼まれること、今までにも時々ありましたが、ぼくは基本的にはすべてお断りしてきました。


 理由はいろいろあります。
 まず、「教える」ことで相手の芽を摘んでしまう可能性もあるのだから、「人に教えるということの訓練」をきちんと受けていないぼくが無責任なことはできない、と思っていること。
 自分の狭い音楽観・知識のみを押し付け、それ以外の意見を否定し、それで「教えている」つもりになっている人を何人か間近で見て、その結果教えることに抵抗感を持ってしまっていること。
 ある楽器を習得させることや、ジャズの奥深さを伝えることは、自分の力量では難しいのではないか、と思っていること。
 「音楽は習うものではなく、自分で盗むもの」とどこかで思っていること。
 ・・・などなどです。


 よく「教えることは二度学ぶことである」という言葉を耳にします。
 近頃、この言葉の重みを感じることが多いのです。
 例えば、親しい先輩・後輩などの間柄では、気軽に質問したりされたり、ということがあるわけですが、論理的に理解していないと論理的に答えることはたいへん難しい、というのをしみじみ思うわけです。
 これをムリに中途半端なまま答えようとすると、相手に「知ったかぶりをしている」と思われてしまうこともあるんですね。


 教える、ということは相手に自分の価値観を「押し付ける」ことではなく、教えるということで自分も気づくことが多々あるんですね。
 また、新たに知識を吸収することと並行して、自分が影響を受けた先輩たちの姿勢を受け継いでゆくことも大切じゃないかな、と思うことも多いんです。


 自分にも相手にもプラスになるのであれば、もっと楽に構えていてもいいんですよね。
 ただし、教えて「やっている」と思っている時は自分の成長もストップしている時だ、ということは忘れてはならないと思います。


 初心に戻って学ぶために、いろんなことやいろんな人をまず受け入れることは必要です。
 そのうえで、取捨選択してもよい。
 そして、学べば学ぶほど自分の小ささ、言うなれば「課題」ですが、その課題の多さも改めて感じている今日この頃なのです。


 大きくなりたいなあ。




コメント (8)
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