ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ビゼーとカルメンと『3』

2005年09月01日 | ネタをたずねて三千里

                                        ♪ジョルジュ・ビゼー (Georges Bizet  1838~1875)
 


 ぼくは、いわゆる「クラシック」と言われる音楽については知識はあまりありません。
 それでも好きな曲はたくさんあるし、少しだけ知っているメロディの断片が有名な曲の一節であることが解ったり、テレビ番組やCMで知っている曲が取り上げられたりすると、親近感を覚えたりするものです。


 「たけしのTVタックル」という番組がありますよね。
 この番組の冒頭で、シンバルが印象的に使われている軽快な曲が流れます。
 ご存知の方も多いでしょうが、この曲がビゼーの「カルメン」組曲第1番・前奏曲です。小学校の音楽の時間に聴いた方も多いんじゃないでしょうか?


     
     歌劇「カルメン」より


 ジョルジュ・ビゼーは、「カルメン」「アルルの女」「真珠取り」など数多くの名曲を残した19世紀フランスの作曲家です。
 ビゼーの作品の中でぼくが大好きなのは、ハープとフルートが非常に美しい「アルルの女」組曲第2番・メヌエット です。  


 話を「カルメン」に戻しましょう。 
 この物語の原作はメリメです。革新的なオペラを創ろうとしたビゼーは、「カルメン」を取り上げようとしましたが、ビゼーにオペラの新作を発注したフランスのオペラ劇場支配人ルーヴァンは大反対したそうです。
 ルーヴァンの劇場では家族そろって楽しめる出し物が売り物なんですが、「カルメン」には、殺人の場面や密輸入者などの反社会的材料がたくさん登場するではないかケシカラン、というのがその理由なんですね。 
 そういうわけで、ビゼーは物語にかなり脚色を施し、その結果なんとか上演にこぎつけました。


     
     マリア・カラス「カルメン」


 もともとオペラというものは、ハッピー・エンドで華麗なものでした。しかし、薄汚れたタバコ工場の女工(カルメン)が現れたり、女工同士が喧嘩をおっぱじめたり、密輸入者の集団が出てきたりするこの物語に聴衆は拒否反応をおこし、幕が進むごとに客席の空気は非常に冷たいものになっていったそうです。つまり、初演は失敗に終わったんです。 
 しかし、チャイコフスキーはこの作品を絶賛しました。そして、上演回数を重ねるにつれ人気は上昇していった、といいます。  


 「カルメン」の中には、先に紹介した「前奏曲」のほか、「ハバネラ」「ジプシーの踊り」「闘牛士の歌」など、馴染みのある名曲がたくさん出てきます。とくに「ハバネラ」など、浅草オペラ全盛期には牛乳配達の小僧さんまで知っていた、と言われるほど広まっていたようです。(大ヒットしたアート・ブレイキーの『モーニン』は、蕎麦屋の出前持ちまでがそのメロディを鼻歌で歌っていた、という話が思い出されますね)   


 さて、名曲の背景にはさまざまなドラマがあるもので、ヘタな小説を読むより面白い話がたくさん残っていたりするんですね。
 この「カルメン」にも、有名な逸話があります。それは、この歌劇と数字の『3』にまつわる不思議な話です。クラシックに詳しい方なら、おそらくご存知だと思います。


     
     歌劇「カルメン」より


 まず、初演が1875年日。 
 ビゼーが37歳の若さで急逝したのは、初演からちょうどヶ月目の6月日。この夜は、「カルメン」の33回目の公演が行われていました。 
 第幕にカルメンがカード占いをする場面がありますが、その夜カルメン役を演じていたガッリ・マリーは、何度やっても実際に死の卦が出てしまうので、不吉な予感に襲われたといいます。そして、ちょうどその頃、ビゼーは生死の境をさまよっていたのだそうです・・・


     
     カラヤン指揮ウィーン交響楽団 「カルメン」


 

 カルメンとったら道路で運転してもええのん?   アホな子やねえそれはカリメン





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする