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谷崎潤一郎『少年』

2010-07-03 15:06:00 | ノンジャンル
 谷崎潤一郎の1911年作品『少年』を読みました。
 20年ばかり前、私が10才ぐらいだった頃、同級生で大金持ちながらいつも付き添いの女中を片時も離さず意気地なしと言われていた坊ちゃんの信一は、私を自宅に招きます。家では尊大に振る舞う信一は、父の妾の子である姉の光子、馬丁の息子で学校では餓鬼大将の仙吉と私をいいように使って様々な芝居に耽り、私たちもそうされることに快感を覚えるようになっていきます。そして段々ひどい役目は光子に向かうようになっていき、ある日信一が歯医者に行って留守の時、私と仙吉は光子がピアノを習っている洋館に自分たちを入れるように光子に承知させるため、光子を仰向けに寝かせて、その頭と腰に腰掛けて人間縁台として、光子をいたぶって遊びます。窒息しかかった栄子は彼らを深夜に洋館に入れることに同意し、あらかじめ光子と仙吉が洋館に忍び込み、後で私が訪ねていくことになります。決められた時間に着くと人影はなく、鍵の開いているドアを通って中に入って行くと、そこには実物の大蛇がとぐろを巻いていました。そこへ姿を現した光子が灯りをつけると、手足を縛られ顔の中央にロウソクを立てられ、目と口を溶けたロウに覆われてしまっている仙吉の人間燭台の姿が見え、光子は先日の仇として、私もその姿にしてしまいます。そしてその日から私と仙吉は光子の言うなりとなってしまい、やがて信一もすっかり姉の家来となってしまうのでした。
 30ページに満たない短編ながら、強烈な印象を残す作品です。無駄な文は一切なく、最後の光子の台詞も鬼気迫るもので迫力がありました。谷崎の「官能」を知ることのできる一編だと思います。


鈴木則文監督『女番長(スケバン)ゲリラ』

2010-07-02 16:56:00 | ノンジャンル
 鈴木則文監督・共同脚本の'72年作品『女番長(スケバン)ゲリラ』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
 幸子(杉本美樹)率いる4人組のスケバンライダーが京都に乗り込み、地元のスケバン連合の縄張りを荒らして地元の総番長のリカと幸子がタイマン勝負をし、勝った幸子は武装したリカの部下らに取り囲まれますが、前総番長のナミ(池玲子)が帰ってきて幸子に縄張りを潔く渡すようリカに命じます。町で会ったナミの兄の中原は自分が仕える筒井組の組長に以前ナミを与えようとしてナミに逃げられたことから、すぐに京都を去るようにナミに言いますが、ナミな聞きません。幸子が筒井組の縄張りでしのぎをしたことで筒井組の介入を許し、ナミと幸子は鴨川でタイマン勝負をしますが、結局和解します。有名な僧侶のセックスを盗撮して100万円せしめた幸子らは筒井にそれを上納金をして取られ、幸子は中原を刺そうそして逆に捕えられそうになりますが、通りがかったボクサーの卵の一郎に助けられます。幸子は強引に一郎と寝て、翌日合宿に向かった一郎を追って仲間と西伊豆に向かいます。一郎を挑発して岩場の波打ち際でセックスする幸子。ジムの会長(水島道太郎)に一郎の落とし前として興行権の譲渡を迫る筒井は、会長の娘を誘拐しますが、ナミと合流した幸子らは娘を奪回し、武装した中原らに捕らわれていた会長も救い出します。しかし幸子らはその後、筒井らに捕らわれてリンチを受け、幸子は製材のノコで腕を切断されそうになりますが、一郎に助けられ、一郎は代わりに刺されます。生涯唯一のプレゼントだと言って幸子の名を刻んだブレスレットを送った一郎は死に、幸子は号泣します。夕暮れの海辺の焚き火で、一郎と幸子のことを歌った『赤色エレジー』が歌われ、幸子は復讐を胸に先ずリカを裏切りの総括としてバイクで引きずります。筒井の事務所に忍び込み、天井からナイフを落としますが幸子は捕えられてリンチを受け、ライフルを持って乗り込んだナミに血みどろの状態で解放されますが、ナミは中原を撃てずに捕えられ、筒井に犯されます。ナミを解放する中原はナミに縁を切られます。窓から見事な夕焼けが見える中、ダイナマイトをセットする幸子に、ナミは筒井を爆殺するチャンスを教えます。幸子は一人で総括することを誓い、山中で筒井や中原らの乗る車をつぶし、ダイナマイトがセットされた自分の車を故意に奪うように仕向け、彼らを爆殺します。そして新たな旅に仲間と出発するのでした。
 意味も無く上半身裸になる女性などの猥雑な雰囲気と安っぽいアクションは70年代を象徴しているようにも思えました。すぐに情緒で湿っぽくなるのは『赤い手錠』の杉本美樹を懐かしんでしまうほどでしたが、ナミと幸子が和解する場面でのズームダウンなど、引いた画面が素晴らしかったように思います。淋病をやくざの三下に移すシーンなどコミカルな場面も豊富で、お色気映画としてもオススメです。

中野美代子『辺境の風景』

2010-07-01 18:32:00 | ノンジャンル
 中野美代子さんの'79年作品『辺境の風景 日本と中国の国境意識』を読みました。'72年から'78年にかけて中野さんが様々な雑誌に書いた文章を集めて作られた本です。
 日本における北海道の認識に関する文章や、日本の領土意識に関する文章、中国における辺境論、ソ連領中央アジア印象記など、全部で13の文章が掲載されていますが、当時話題になり始めていた「北方領土」という考え方に関する批判的な言説から、辺境としての中央アジアに関する興味深い文章まで、様々な文章が楽しめました。そうした中から、特に印象に残った文章には以下のようなものがありました。すなわち、中国人は北方に砂漠を見たからこそ、「北方」概念を絶対化して南方に発展したのだし、ヨーロッパ人は南方に砂漠を見たからこそ、「南国」概念を絶対化して北方に発展したのだという主張、そして中国人が「北方」概念を絶対化させたことが中国人における「北方」の観念を全く欠落させることになり、それが日本人にも「遺伝」したのだという指摘、北海道は18世紀末の世界においてさえも、よく知られていなかったという事実、日本人の方角観念はすべて、異質の文化の渡来に対するリスポンスとして発展してきたのに対し、中国人は文明を野蛮から守るために方角観念を確立してきたという指摘、北氷洋と南極の面積・平均深度と平均高度・最深部と最高点・その形が酷似しているという事実などなどです。
 今から30年以上も前の本ですが、少しも古びていないと思いました。中央アジアに興味のある方には特にオススメです。