谷崎潤一郎の1911年作品『少年』を読みました。
20年ばかり前、私が10才ぐらいだった頃、同級生で大金持ちながらいつも付き添いの女中を片時も離さず意気地なしと言われていた坊ちゃんの信一は、私を自宅に招きます。家では尊大に振る舞う信一は、父の妾の子である姉の光子、馬丁の息子で学校では餓鬼大将の仙吉と私をいいように使って様々な芝居に耽り、私たちもそうされることに快感を覚えるようになっていきます。そして段々ひどい役目は光子に向かうようになっていき、ある日信一が歯医者に行って留守の時、私と仙吉は光子がピアノを習っている洋館に自分たちを入れるように光子に承知させるため、光子を仰向けに寝かせて、その頭と腰に腰掛けて人間縁台として、光子をいたぶって遊びます。窒息しかかった栄子は彼らを深夜に洋館に入れることに同意し、あらかじめ光子と仙吉が洋館に忍び込み、後で私が訪ねていくことになります。決められた時間に着くと人影はなく、鍵の開いているドアを通って中に入って行くと、そこには実物の大蛇がとぐろを巻いていました。そこへ姿を現した光子が灯りをつけると、手足を縛られ顔の中央にロウソクを立てられ、目と口を溶けたロウに覆われてしまっている仙吉の人間燭台の姿が見え、光子は先日の仇として、私もその姿にしてしまいます。そしてその日から私と仙吉は光子の言うなりとなってしまい、やがて信一もすっかり姉の家来となってしまうのでした。
30ページに満たない短編ながら、強烈な印象を残す作品です。無駄な文は一切なく、最後の光子の台詞も鬼気迫るもので迫力がありました。谷崎の「官能」を知ることのできる一編だと思います。
20年ばかり前、私が10才ぐらいだった頃、同級生で大金持ちながらいつも付き添いの女中を片時も離さず意気地なしと言われていた坊ちゃんの信一は、私を自宅に招きます。家では尊大に振る舞う信一は、父の妾の子である姉の光子、馬丁の息子で学校では餓鬼大将の仙吉と私をいいように使って様々な芝居に耽り、私たちもそうされることに快感を覚えるようになっていきます。そして段々ひどい役目は光子に向かうようになっていき、ある日信一が歯医者に行って留守の時、私と仙吉は光子がピアノを習っている洋館に自分たちを入れるように光子に承知させるため、光子を仰向けに寝かせて、その頭と腰に腰掛けて人間縁台として、光子をいたぶって遊びます。窒息しかかった栄子は彼らを深夜に洋館に入れることに同意し、あらかじめ光子と仙吉が洋館に忍び込み、後で私が訪ねていくことになります。決められた時間に着くと人影はなく、鍵の開いているドアを通って中に入って行くと、そこには実物の大蛇がとぐろを巻いていました。そこへ姿を現した光子が灯りをつけると、手足を縛られ顔の中央にロウソクを立てられ、目と口を溶けたロウに覆われてしまっている仙吉の人間燭台の姿が見え、光子は先日の仇として、私もその姿にしてしまいます。そしてその日から私と仙吉は光子の言うなりとなってしまい、やがて信一もすっかり姉の家来となってしまうのでした。
30ページに満たない短編ながら、強烈な印象を残す作品です。無駄な文は一切なく、最後の光子の台詞も鬼気迫るもので迫力がありました。谷崎の「官能」を知ることのできる一編だと思います。