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田中登監督『女教師』

2009-10-23 14:49:00 | ノンジャンル
 WOWOWで、田中登監督の'77年作品「女教師」を再見しました。
 放課後にピアノの練習をしていた中学の音楽教師・田地(永島暎子)は生徒の江川(古尾谷康雅)に強姦され、それを同僚の瀬戸山(砂塚英夫)に見られます。田地は校長(久米明)に訴えますがうやむやにされ、恋人の浅井にも恥になるので絶対に告訴するなと言われます。江川の担任である瀬戸山は証拠隠滅をし、江川の母から金品をもらった上で彼女と寝ます。久しぶりに出勤した田地は、自分が生徒を誘惑したというデマが学校中に広まっているのを知り、同僚や生徒から冷たい目を向けられますが、唯一同情的な陰山(山田吾一)から出勤し続けるように励まされます。瀬戸山は江川から女教師の佐藤も目撃者だったことを知らされ、共犯者を理由に彼女に関係を迫り、彼女がデマを広めたことを知ります。生徒の嫌がらせにめげずに授業を続けていた田地はついに耐えられなくなり教室を飛び出します。田地の弟が陰山を訪ねると、札幌から退職届が送られてきたことを教えられ、また江川が現在修学旅行中であることを知ります。江川は新幹線の中で誘拐され、母は500万の身代金を払った後、アザだらけの江川を取り戻します。そこへ浅井と佐藤の他殺体が一緒に発見され、田地も自殺未遂で北海道の病院に収容されたという一報が学校に届きます。回復した田地は弟の元に戻りますが、弟は500万を見せ、江川が田地への慰謝料として母からこれをだまし取ったこと、浅井の目の前で二人で佐藤を強姦し、佐藤と浅井を殺したことを打ち明けます。田地はそのことをすぐに陰山に知らせ、陰山は瀬戸山に知らせますが、瀬戸山は江川から呼び出されて死闘を演じ、江川を殺してしまいます。田地は陰山に励まされて、これから勇気を持って生きていく覚悟をするのでした。
 永島暎子が記憶よりもずっとキレイでした。以前ロマンポルノのドキュメンタリーで語られていたように、10分に一回からみがあれば、後は何をやってもいいという通り、真っ暗な画面があったり、からみもアップすぎて何をやっているのか分からなかったり、ストーリーも最後の方はほとんど恐怖映画のようでした。役者のぜいたくさは特筆もので、上記以外にも、ワンカットで蟹江敬三が出ていたり、教頭役では定番の穂積隆信が出ていたりと、単なるロマンポルノ映画とは思えないものでした。永島暎子の美しさを再発見するためにもオススメです。

 さて突然ですが、明日から父の一周忌の法事のため京都まで母と行ってきます。月曜日までこちらの更新はお休みしますので、ご了解ください。

蓮實重彦『映画崩壊前夜』

2009-10-22 18:06:00 | ノンジャンル
 南田洋子さんが亡くなりました。私にとってはマキノ監督の「日本侠客伝・関東篇」での女将さん役と、溝口監督の「近松物語」での長谷川一夫に思いを寄せる娘役が印象に残る女優さんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、蓮實重彦先生の'08年作品「映画崩壊前夜」を読みました。'01年以降に書かれた時評風の文章を集めた本です。
 いつものように大半の文章が解読するのに労力を要しましたが、そうした中で新たに見てみたいと思った映画はエリア・スレイマン監督「D.I.」、トッド・ヘインズ監督「エデンより彼方に」、ペドロ・コスタ監督「ヴァンダの部屋」、ジョー・ダンテ監督「ルーニー・テューンズ バック・イン・アクション」、ティム・バートン監督「ビッグ・フィッシュ」、チョン・ジェウン監督「子猫をお願い」、マイケル・マン監督「コラテラル」、トニー・スコット監督「マイ・ボディガード」など、そして読みたいと思った本はロバート・パリッシュの「わがハリウッド年代記」でした。蓮實先生の文章にはこの本に限らず「~ねばならない」とか「~にほかならない」とか「~のはずである」といった表現が多く見られ、これは戦略としてこうした言葉を使っておられるのだと思いますが(というのも、こうした表現を使わない文章を書かれることもあるからですが)、ここから感じられるのは「ルール」とか「義務」といった概念であり、先生の文章を読む時に感じる違和感の原因の一つはそこにあるのかもしれないと思いました。(実際に作家による映画の中で作家特有の「ルール」が発動する時の快感を何度か述べておられます。)またご自分の立場を特権化されていることも、読者によっては居心地の悪さを感じるでしょう。
 今回の本で特筆すべきは誤植の多さです。私が気付いただけでも10箇所近くあり、今までの先生の本では見られなかったことだけに気になりました。(ちなみに出版社は青土社です。)いずれにしても、いろいろ書いてきましたが、やはり様々な示唆に富んだ本です。映画好きの方にはオススメです。

ジャン=ピエール・メルヴィル監督『マンハッタンの二人の男』

2009-10-21 15:44:00 | ノンジャンル
 ジャン=ピエール・メルヴィル監督の'58年作品「マンハッタンの二人の男」をビデオで見ました。
 タイムズ・スクェアの夜景をバックにタイトルロール。12月23日、国連総会にフランス代表のベルチエが欠席します。そのニュースをもらったフランス通信社では編集員のモロー(ジャン=ピエール・メルヴィル)に調査を依頼します。公報局でベルチエの秘書の住所を聞きそこを訪ねますが、彼の情婦に聞くように言われます。そこで情報屋のデルマスを訪ねると、ベルチエと一緒に写真に写っている3人の女性が浮上し、彼らは彼女らに会いに行きますが、彼らを尾行する車があります。舞台女優のネルソンは舞台の最中で話が満足に聞けず、歌手のバージニーもレコーディング中でした。デルマスのアイディアで外交官専門の娼婦に会いに行きますが、これも空振り。最後のバーレスクの踊子からも追い返され、彼らは小さな食堂で夜食を食べていると、ラジオのニュースでネルソンが舞台の幕間に自殺未遂をしたことを知り病院に駆けつけます。彼女は自分の部屋でベルチエが急死していたことをデルマスから無理矢理告白させられ、彼らは彼女の部屋に押し込み、ベルチエの死体をソファの上に発見します。デルマスはスキャンダルにするために死体をベッドの上に移動させて写真を撮りますが、モローは死体を元に戻し、上司に連絡します。駆けつけた上司は母国のスキャンダルを封じるためにデルマスに写真を出させますが、その後訪れたベルチエの家でベルマスは夫人と、彼らを尾行していたベルチエの娘の写真を撮って逃走し、モローは娘と一緒に追いかけます。酒場で酔いつぶれているベルチエを見つけたモローは彼を殴って去りますが、ベルチエは隠し持っていたフィルムを排水口に捨て高笑いして夜明けの鋪道を歩いていくのでした。
 台詞があるのはセットの室内だけで、屋外は風景のみという手法は、誰もが海外を舞台にした映画を撮ることのできることを示した素晴らしい例だと思いました。急に音楽が止まる手法は1年後に公開された「勝手にしやがれ」に直接の影響を及ぼしていることが分かります。夜のマンハッタンを白黒で捕えた画面は美しく、まさに「フィルム・ノワール」でした。まだ見ていない方は必見です。

トーマス・マン『ブッデンブローク家の人々』

2009-10-20 18:09:00 | ノンジャンル
 アメリカのテレビ番組「アメリカン・アイドル」ですが、シーズン7の決勝の結果発表で何とドナ・サマー本人が出ていました。彼女の全盛時代はちょうど洋楽を聞き始めた頃で、思い出深い歌手です。彼女が「歌って」とシーズンにエントリーした子に「ラストダンス」のマイクを渡したのを見て不覚にも泣いてしまいました。また上位エントリー候補の地元の盛り上がりも半端ではなく、日本でいえば高校野球での地元の盛り上がりに似ているのかなと思いました。

 さて、本「顰蹙文学カフェ」の中で高橋源一郎さんが最高だと言っていた、トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」を読みました。
 2ページ目の段落を引用します。「彼女の嫁、つまり領事夫人エリーザベト・ブッデンブロークは、クレーガー家の娘で、ぷっと吹きだすような唇音で始まる、クレーガー一家独特の笑いかたをした。笑いながら彼女は胸に顎を押しつけるのだった。クレーガー一族の例にもれず、彼女も、いかにも洗練されつくした品の良い物腰で、美人とはいえなかったにしても、彼女の明るい落ち着きのある声がひびき、ゆったりとしてやさしく穏やかな身のこなしが目に映ると、だれもが晴れやかな信頼感を胸にいだくのだった。頭の上では小さな冠のように編まれ、耳もとでは人工的にちぢらせた豊かな捲き毛になっている彼女の赤みがかった髪は、小さなそばかすが点々と散っている極端に色白の顔としっくり調和していた。少し長すぎる鼻と小さな口のあるこの顔の、特に目立った点といえば、下唇と顎のあいだがほんのわずかもくぼんでいないことだった。大きな堤灯袖のついた短い胸衣には、淡い花模様を散らした柔らかい薄地の絹でできた細いスカートが続き、胸衣の上には非のうちどころのないほど美しい襟元があらわになっていた。大きな切子形のダイヤがいくつもきらめいている繻子のリボンが、その襟元を飾っていた。」
 この調子で延々続きます。上下ニ段、一段は29×29字、425ページに渡る大著です。最初の2ページで先を読むのを断念しました。これまで「顰蹙文学カフェ」で山田詠美さんと高橋源一郎さんが推薦している本を読んできましたが、どれも「文学」している本であり、どうも私はついていけないものが多いようです。「文学」が好きな方にはオススメかも。

アルフレッド・ヒッチコック監督『ロープ』

2009-10-19 16:46:00 | ノンジャンル
 最近はまっているアメリカのテレビ番組「アメリカン・アイドル」のシーズン7の決勝戦で、既にCDデビューをしているデイヴィッド・アーチュレッタが「イマジン」を歌っていました。9・11の直後には放送禁止にもされたと聞きましたが、すっかり復権したようですね。それにしても、この番組への若い女性の熱狂的な嬌声にはビートルズ並みのすごさです。

 さて、スカパー260チャンネル「洋画★シネフィル・イマジカ」で、アルフレッド・ヒッチコック監督の'48年作品「ロープ」を再見しました。
 ハーバード卒のブランドン(ジョン・ドール)とフィリップ(ファーリー・グレンジャー)は知人のデイビッドを自分たちの住む高層アパートで絞殺し、本を入れる木箱に入れます。彼らは超人理論を基にした完全犯罪に酔い、その後デイビッドの父を含む知人を招いてパーティをしますが、彼らの大学時代の舎監だったルパート(ジェームズ・スチュワート)は彼らの行動を不審に思い、帰りがけにデイビッドの帽子を発見します。パーティの終わった後、忘れ物を口実に部屋に戻ったルパートはわざとロープを手にすると、フィリップは取り乱して真相をしゃべってしまいます。ブランドンは彼が酔ったせいにしようとしますが、強引に木箱を開けたルパートによってデイビッドの死体が発見されてしまいます。ルパートはブランドンの超人理論を非難し、窓の外に拳銃を発射して銃声に驚いた人々がパトカーを呼ぶのをブランドンとフィリップとともに待つのでした。
 映画史上有名なワンシーン・ワンカットで撮られた映画ですが、明らかなカット移動が3箇所ありました。(山田宏一さんと和田誠さんによるとフィルムの保存が不完全なためだそうです。)横の移動撮影が多い印象を持っていましたが、縦移動や複雑なカメラワークで構成されていて、記憶していたのよりずっとバラエティに富んだ移動撮影でした。背中にカメラが寄って画面が黒くなった時にカットを繋ぐという手法を多用していて、注意して見ていないと分からないほどの巧妙なものでした。まだ見ていない方にはオススメです。