僕が幼い頃、今は亡き当時のお年寄り達は、「昔の曽根教会はヒンニョカッタ、ヒンノヨカッタ」(品がある、格好良い、美しいの五島弁)と言っておられた。
しかし僕は旧曽根教会を写真でさえも見た事が無い。
明治32年の旧曽根教会を建てた棟梁は、五島市(旧福江市)出身の野原与吉氏。
野原棟梁は堂崎天主堂(福江)と旧鯛ノ浦天主堂(近日投稿予定)を建てた名工である。
なお、若き日の鉄川与助は、野原棟梁のもとで修行を積んだ。もちろん旧曽根教会建設にも参加している。
曽根(そね)教会
明治政府が西洋の列強の圧力に屈し、禁教令を解いたのは明治6年。キリシタンは晴れて自由の身になった筈なのに・・・
曽根のキリシタン弾圧が激化したのは、何と明治6年からである。
曽根に駐屯している役人、神官、地下者(ジゲモン-先住民)は、キリシタン達を散々痛めつけた。棒などで殴る蹴るだけでは飽き足らず、火を手足に浴びせて大火傷を負わしている。
その時の傷が元で寿命を縮めた者大勢。
この曽根の役人、神官、郷民は地元のキリシタンを痛めつけるだけでは飽き足らず、仲知や江袋にまでわざわざ出向き、家財道具や田畑の作物を強奪するなど非道の限りをつくしている。
ところで、資料には神官と記載されているが、神官とは神社の神主の事だと思うのだが、だとしたらあきれた神の使いである。
旧若松町では神道祭に改宗する者が多発したが、北魚目ではゼロである。
ヤクザみたいな神官に誰もついていかない。
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実はあの記事を投稿した翌日から、僕のブログのアクセスは丁度半分に減ってしまったので心配でしたが、賛同してもらえて心強く思います。有難うございます。
chochoensisさんのブログは毎日拝見しており、鳥の地方名には大変興味深く拝見させてもらっています。
寒い日がまだまだ続きますが、どうかお身体に気をつけてください。