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大水にキリシタンが入植したのは案外早く、1830年頃。
山の頂付近に居を構えた為なのか、早くから人が住んでいた為なのか解らないが、隠れキリシタンの集落とは気づかれず、弾圧時代犠牲者はいなかった。
明治元年頃、大水には宿老(リーダー、世話役)や水方(洗礼係)はいなかった。
曽根、江袋、仲知、赤波江の信徒の尽力により明治8年頃までに大水のキリシタンはカトリックに帰依した。
明治14年(1881)9月29日、大水教会設立。
大正5年(1916)8月5日、最初の教会献堂。設計施工は鉄川与助。木造。与助氏初の折上天井。
古い写真を見ると、折上天井の装飾が美しい。建替えられてしまったことが残念である。
大水(おおみず)教会
昭和60年(1985)12月5日献堂
大水教会は現在曽根小教区の巡回教会
以前は仲知、そのまた昔は江袋小教区の巡回教会だった。
大水は永らく交通の便が悪かった。
日曜のミサには江袋か仲知まで行かねばならず、
海が凪いだ時は舟で、時化たときは山道をいくつも越えた。
僕なら船つき場まで歩くだけでへこたれる。
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