まだ薄暗い早朝6時半頃、所用ついでに中ノ浦教会を写してきました。
上の写真はオートモード、テレビのコマーシャルでやっている「こだわりオート」です。フルオートモードはとっさの時に重宝ですが、上の写真はmezaseguinessにとってはゴミ箱行きの写真です。
下は絞り優先で設定をちょこまかいじりながら撮ったものです。
ISO200とか400でこの時はOKでしたが、SX200 ISは通常撮影ではISO800でも十分観賞に絶えれます。前回は「ISO1600はL判プリント程度なら誤魔化せそう」みたいな事をもうしましたが、B5プリントで問題ありませんでした。サイズは小さくなりますがISO3200もいざという時に役に立ちそうです。
1200万画素をブログ用に縮小したら少し寝惚けた写真になってしまいました。オリジナルはシャープです。
パナソニックLUMIX DMC-TZ7ではなくキヤノンPowerShot SX200 ISをチョイスしたのは大正解でした。
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眼の前は海です。時化の日は雨の変わりに潮水が空から降ってきます。
もろに潮水を被る為、塩害で傷むのは上五島の御堂の中では一番早い。しかし、鉄筋コンクリートの味気ない神様が本当にいるのか実感も沸かない教会には建替えず、痛んだ箇所は改修を繰り返しながら大事にする冷水の信徒達の心意気は立派です。
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上五島の教会群の最後のトリに残したまま投稿できずにいるので、せめて画像だけでも掲載します。
聖体は納められてないので正式にはお御堂ではないのですが、柳張りの立派な旧天主堂は現在、資料館兼子供達のケイコ部屋として使われています。
大曽と青砂ヶ浦は地名の変更と共に教会名も迫浦⇒大曽、奈摩内⇒青砂ヶ浦と変わったのですが、鯛ノ浦教会が建っている場所は中野という地名に変わったのに中野教会と改名しない不思議な教会です。長崎教区が100周年を迎えた頃に発行された書籍を見ると中野教会、中野天主堂と書かれている物が多いのですが、一般には浸透しなかったようです。
旧曽根教会と同じくオリジナルは野原与吉棟梁作。人口増大に伴い2度の増築を行ったが、塔は原爆で破壊された旧浦上天主堂の煉瓦を使用。
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火災の江袋教会復元へ 新上五島町 官民協力し募金活動 町は文化財指定を検討(西日本新聞) - goo ニュース
嬉しいニュースが飛び込んできました。しかも設立当時の姿に復元するというから涙もの。腕の良い宮大工や祭壇を造れる職人さんがいるのか、今は必要のない聖台まで復元してくれるのか心配な事は色々あるけど、再建して貰えるだけでも有難い。感謝感謝です。
江袋教会の画像はもう持ち合わせが無いので、主任座教会の仲知教会のステンドグラスでご勘弁を・・・・
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台風などで傷んだ箇所の修理はしても改造を全くしていない大曽天主堂が、今まで国指定どころか県の文化財にも指定されていなかった事が不思議です。
周りの景色は変わっても、大曽天主堂だけは大正時代のままです。
画像をクリックすると過去の記事に跳びます。
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明治10年頃にガスパル与作の自宅を家御堂として使用。
現在の教会は昭和33年(1958)8月29日建堂式。
弾圧時代、旧若松町の拷問は凄まじく、神道祭にコロぶ(改宗)キリシタンが続出しました。現在の旧若松町の神道祭の殆どは元キリシタンなのです。
旧青方村の一部と旧有川町のキリシタンは一旦はコロんだふりをして列強の圧力で禁教令の高札が外されると同時に皆が帰依した。
北魚目では禁教令が解けた後に、曽根の神官の横暴さに苦しめられたのですが、誰一人コロブ人はいませんでした。(先日全焼した江袋教会も曽根の神官や地下(じげ)の人達に嫌がらせを受けながらようやく建てたお御堂なのです。)
ガスパル与作等の献身的な活動が虚しく思えてしまうのですが、旧若松町の神官は北魚目の神官とは違って人望の篤い人だったのかもしれません。
新上五島町(長崎県)の教会
桐教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
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有福教会は若松島の沖に浮かぶ小さな島にあります。
昭和2年(1927)2月22日建立、祝別したのは大崎八重神父様。
現在は土井ノ浦小教区の巡回教会ですが、昭和32年(1957)までは現在の五島市の奈留教会の巡回教会でした。時化の時は山道を通えた中通島や若松島と違って、ここへは舟でしか通えなかった為、奈留の神父様は大変だったと思います。
鉄筋コンクリートの殺風景な教会に通っている信徒達には羨ましい折上天井の教会だったのですが、惜しまれる改造をしてしまったようです。
有福教会の資料を探していたら、弾圧時代、樽見からこの島へ逃げて来たキリシタンの記述が出てきました。キリシタン関連の物は全て処分されてないといわれている旧上五島町でも拷問はあったのかもしれません。
今は橋で繋がっています。
新上五島町(長崎県)の教会
有福教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
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明治25年(1892)8月設立。現在の教会は昭和33年(1958)4月23日建堂。
学校が終わると小学生はケイコ(公教要理-やってることは道徳の授業)の為に御堂に行きます。
家には寄らず、御堂の玄関にランドセルを放り込んでケイコに与かったものです。
ケイコがない日でもお御堂は子供達の遊び場、たまり場でした。
大平教会の向かいには、平成15年3月に廃校になった大平小学校があります。
マリア様も淋しそうです。
新上五島町(長崎県)の教会
大平教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
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明治12年(1879)10月3日建立。当時の住所は長崎県南松浦郡青方村青方郷字裏迫弐千九拾九番第弐。
当時の信徒数は、青方、樽見、浜の浦、今里、折島全て合わせても30~40戸くらいしかいなかったのではないかと云われています。現在のお御堂に建替えたのは信徒数が急増しお御堂が手狭になった為です。旧天主堂はまだまだ現役で使える為、大正4年に若松島の土井ノ浦に移築しました。
新上五島町(長崎県)の教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
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残念なニュースが飛び込んでまいりました。本日(2007年2月12日)午後、板張りのコウモリ(柳張り天井)の江袋教会が全焼したそうです。
画像は昨年の巡礼の時に撮った写真です。肖像権に触れない写真を捜したらこれっポッキリしか有りませんでした。
江袋教会は、国宝にも重要文化財にも指定されていなかったのですが、それはお上(かみ)の眼が節穴なだけ。青砂ヶ浦や頭ヶ島以上に貴重な木造教会だったのです。
明治15年完成の先人達の祈りや希望がいっぱい詰まったお御堂なのに・・・・
江袋教会の皆様、仲知小教区の皆様、お見舞い申し上げます。
江袋教会
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国道のすぐ脇に在るのに地元の人でさえ、ここに教会が在る事を知らない人が多いのです。
昭和元年(1926)8月5日創立。道路が整備された今では中ノ浦教会は歩いて行っても苦にならない距離にあります。
かつて、教会を持たない地域のキリシタン達は宿老宅など民家を聖堂の変わりに集っていました。(若松)大浦教会の外観はまるで民家なのですが、
内部は立派な折上天井のお御堂です。
新上五島町(長崎県)の教会
大浦教会
鯛ノ浦天主堂
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