ゴトウヒラタの戯言

RICOH CX6で撮影。十字架の島、上五島の蟲。

全てはここから-冷水教会

2005年11月22日 19時39分29秒 | 教会、天主堂

 冷水(ひやみず)教会

 冷水にもかなり古くからキリシタンが住み着いていたが、明治元年から激化した弾圧により江袋、仲知、さらにその殆どが長崎に逃げたが明治2年(1869)浦上の四番崩れに遭い、難を逃れて下五島の岐宿、姫島に渡り二度と冷水に戻ることが無かった。

 現在の冷水のカトリック信徒達は、その後、彼方此方から移住してきたキリシタンの末裔のようである。
      


 明治39年には信徒戸数20戸を超え、お御堂が必要になった。

 カトリックは「ヒラン(開き)のパッタリン」と蔑まされていた時代。いくら腕がよい大工でも簡単には引き受けてくれない。

 白羽の矢が立ったのは独立して間もない同郷(青方村)出身の鉄川与助。
 与助は青方村青方郷青方で代々伝わる宮大工の名門の四代目。(鉄川家の腕の良さは富江藩主の耳にも轟き、当時富江領だった魚ノ目村榎津郷丸尾-現丸尾郷-に招かれ移り住んだ。)
 氏には堂崎天主堂、曽根教会、鯛ノ浦天主堂で野原与吉棟梁の元で修行を積んだ実績もある。

 27才の若き鉄川与助、教会建築一作目。
 
 崖から落ちそうになるまで頑張ったのだが、僕の撮影の腕前じゃこの程度。

 
 与助、初の教会建築から、何といきなりコウモリ天井。当時は柳張りと呼ばれていたらしい。

 
       
     ステンドグラスとは違うようだ。雨戸が閉まっていたのが残念!

 
 現代風に改装してしまっている。少しがっかり。

 冷水教会は、海が時化た時にはもろに潮水をかぶるため、塩害を受けやすい。
 一時期は建替えも検討されたのだが、専門家を招いて鑑定して貰ったところ、主要な部分は頑強にできているため修理を繰り返せば何百年ももつとの結果が出たそうである。

 長崎県の教会は140以上あるらしい。新上五島町だけで約30有る。その中でも特に、鉄川与助が手掛けた教会は評価が高い。
 与助が冷水教会を建てなかったら・・・・? 冷水の先人達が与助に発注しなかったら・・・・・?
 長崎の教会群が、世界遺産の候補に名が挙がる事は無かった。

 画像追加しました。
 
 冷水教会の聖台は、かすかに面影を残すだけだった。


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新上五島町(長崎県)の教会

         
         
      
                
   
      
         
          
          
         
         鯛ノ浦天主堂
   
   


 廃墟になった教会

          
   


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (chochoensis)
2005-11-23 09:59:19
目指せギネスさん、自宅に居ながらにして観光が出来る幸せ、世界遺産登録を逃がしたのは大きい???

マアぼちぼちやっていきましょう・・・。
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chochoensis様有難う御座います (目指せギネス)
2005-11-23 20:09:01
インターネットや旅行ガイドにも載っていない様な教会も紹介していきたいのですが、なかなか僕に暇が有りません。

仰るとおりボチボチやっていきます。宜しくお願いします。
返信する
教会で正座でした昔 (波葉)
2007-05-08 19:17:04
改装する前を知ってます。昔は三つ出入り出来る入り口がありました。(朧げに覚えてる)中にある長椅子もありませんでした。頭部面は全然昔の面影すらないので残念です。確かに昔の方が味がありました。
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波葉さんはじめまして (mezaseguiness)
2007-05-08 20:25:47
昔は角ばった塔だったと覚えています。
年代がばれてしまうかも知れませんが、僕も小学生の頃まで正座でした。聖体拝領の時、ジンジやバンバ達が聖台に並んでいたのを不思議に思っていましたが、この年になって当時の年寄達の気持ちが判ります。祈祷文が変わってかなり経ちますが、新しい祈りに未だに馴染めません。
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こんにちは~ (波葉)
2007-05-09 10:51:37
祈祷文が何度も新しくなる事を繰り返す度(またなの?)と言う思いがありました。昔からのお祈りの言葉(言の葉)言霊だとも感じてましたので(その辺り)今の時代に合わせた物なのかな~そうだとするならば(少し残念な考え方だと思う)反面。今の時代の方々でも馴染める様に考慮した物が受け入れてもらい易い?と考えたのか。まぁでも,昔からの物をあまり変えずに伝承と言うのか,語り継ぐ事にも繋がると思える物の方が大事だと思えます。(昔ながらの言葉に意味がある様に思えるからでしょうね)今は罪の捉え方とかも昔と多少違うらしいですよ。教会側(神父様とかシスター)そうやってどんどん変化を齎して行くのでしょうね。許す事に意味がありますし,昨今では,自殺される方も若い人には多くなってますね。救いの道が開かれてるそれが人の為になるだろうし,心を助ける事になるのですよね。宗教ってそんな所(心を落ち着かせたり)心の拠り所にもなるでしょう。人の生活に密着してる感じ。迷える子羊(大人も子供もです)*江袋の教会が焼けたそうで(それに)国の指定かな?今度なるのだって言ってました。詳しくは知りませんが。*聖体拝領の時、私も昔ですが^^教会に行く時ご飯を食べて行ってはだめでしたね。食べてたら,聖体を受ける事が出来ない。律儀にも守ってました^^*年を取らなければ,分かり切れない事も多くありますね。今まで生きて来た事が自分の身となってますし,まだまだ色んな事吸収して行けたらと思います。留まらなければ終わる事もないのですから^^長々失礼しました。では。
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波葉さんこんにちは (mezaseguiness)
2007-05-09 18:15:42
意味もわからず唱えているだけと現代語に書き直したのでしょうが、「天にまします我らの父よ、願わくば皆のとうとまれんことを御国の来たらん事を・・・」でも通じますよね・・・。
変わると言えば、上五島も少子化の煽りをうけ、女人禁制だったミサの使いは女の子もしないといけなくなりました。
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時代の波は押し寄せるのですね* (波葉)
2007-05-10 02:52:01
えっ嘘本当ですか~少しショックかも。
ミサの使い(男の子だけの特権だった筈)
神様に近づける領域の様な気もしていたので(驚きです)
聖台には神聖な場所としてあってほしかった。神の領域だから。
少子化(過疎化が進むにつれ)何もかも変化するのですね。
それから,昔の祈祷文でも,通用すると思います。子供ながらでも
漢字の意味はある程度分かるものだったと思う。難しくても,
自然に覚えて行くものですよね。
徐々に今風スタイル*今現代にも付いてゆくのがやっとなのに。
そう言えば(ここ最近)双子の率が多くなってる気が
するのですが。あちこちで双子の話題を聞きます。
昔は珍しい事でしたよね。今ではそれも普通になってる。





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