今日は一日中濃い霧に覆われた。
峠付近は特に前が見づらいのにヘッドライトもフォグランプも点けずに走る車が急に目の前に現れるものだから僕の心臓は縮み上がった。
運転していたのは四十くらいの女性だったが、こんな方はどうせいつかどこかで事故る。
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旧新魚目町の資料には昭和26年(1951)創立と有るが、別の資料には昭和25年(1950)6月祝別とも有る。
昭和20年代の新上五島町は、戦後の混乱で復員や戦前に職を求めて島を離れた人々が親戚や知人を頼って一斉に帰島した為、人口が急増した頃である。
明松、小瀬良、大瀬良周辺も信徒の増加にともないお御堂が必要になってしまったのだと思われる。
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現在の新上五島町の教会はどこも、車で乗り付けれるのだが、小瀬良教会だけは道路からチョット離れたところに有る。
運動不足の僕には、チト応える。
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あれ!?一瞬間違えたかと思った。
以前は木造校舎のような窓だった。
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内部は白くペイントされただけで大幅な改造は無いようだが、祭壇が貧相になってしまっているのが残念。
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北魚目で唯一残る折上天井の教会。
昭和44年に曽根教会が青砂ヶ浦小教区より分離独立した際、小瀬良教会は曽根小教区の巡回教会に編入されたが、それ以前は仲知、そのまた前は江袋の巡回教会だった。
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車などない時代、舟で江袋や仲知へ行くには大回りになるから小瀬良周辺の信徒達は歩いて通っていたのだと思う。
僕はここから小瀬良教会に階段を上っただけで息が切れた。
情けねェー。
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新上五島町(長崎県)の教会
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廃墟になった教会
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1月27日投稿のシュンランが芽を出したというので行ってみた。
どんな花を咲かせるのか楽しみなのだが、上五島の山の綺麗なランや珍しいタイプのランは、本土から来た商売人やマニアの人達に取り尽くされて、残っているランは珍しくもなんともないようなものばかりらしい。
花に詳しい同僚によると、エビネ(海老根)とカンラン(寒蘭)の珍しいタイプのものは全滅に等しいらしい。
荒らされているのはクワガタだけではないようです。
あるお宅にお邪魔したら、桟橋付近からおじさんが珍しい物を持ってきた。
仕掛けていたチン籠を引き上げたらこんなものが入っていたそうな。
おじさんは「タツノオトシゴなんて生まれて初めて見たよ。」と眼を丸くしておられたが、僕だって水族館以外で見るのは初めてだ。
体長は目測で80mm前後か?
どう見ても龍の赤ちゃんみたいだ。
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今日はクリスマス以来の久々の雪。
海は大時化。
潮水と雪が混ざって降ってくる為、トラックのフロントガラスは直ぐに真っ白になる。フロントはワイパーを掛ければ前が見えるようになるが、サイドミラーが見難くなるのにはまいった。
かもめも寒そうだ。
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弾圧時代、旧若松町のキリシタンは、あまりの非道さに耐えかねて神道祭に改宗した者が多かった。
旧有川町のキリシタンは、一旦は仏教や神道祭に改宗したが、禁教令の高札が外されるや否やドミンゴ森松次郎らの活躍の甲斐もあって皆がカトリックに帰依した。
旧上五島町(旧旧青方村と旧旧浜ノ浦村)のキリシタンは、いわば上五島の大岡越前的な人物のお陰で拷問の被害にあわなかったと云い伝えられている。(キリシタンに関する書類・文献・証拠全て燃やしてしまったと言い伝えられているが、上郷地区の青砂ヶ浦と冷水はフライング気味に明治5年にキリシタンである事を表明してしまった為、多少痛い目にあっている。)
しかし、北魚目では他宗教に改宗したという話を聞いたことが無いから不思議に思っていた。
北魚目では大水を除く各集落に、長崎へ赴き学問・神学を修め洗礼を早々と受けて来た人達が伝道師として心のより所になっていたようである。
赤波江(あかばえ)教会
明治元年頃は赤波江はたった8戸の集落だった。
赤波江キタが神学を学び洗礼を受けて地元に帰って来た時は、まだ17才のうら若き乙女。
放って置けば、外海に今も尚残る隠れキリシタンのようにいつまでも隠れていたであろうと云われている大水の民が、カトリックに帰依できたたのは彼女のお陰である。
明治17年(1884)創立
現在の教会は昭和47年に完成した比較的新しいお御堂だが、僕が幼かった頃の雰囲気とはどこか違うなと思っていたら、玄関脇にあった窓がコンクリートで塗りつぶされている。
改修工事が頻繁に行われているようだ。
・・・・・・・。
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新上五島町(長崎県)の教会
赤波江教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
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1862年、横浜に日本初の教会が献堂されてから3年後、長崎の大浦にも教会が建った。もう日本にはザビエルの教えを受け継ぐ子孫はいないだろうと諦めてはいたが、表には中国風に「天主堂」の名を掲げた。
250年の永きにわたりバーデレー(伴天連)を待ち侘びていたキリシタン達にも南蛮寺の噂は広がり、まず最初に大浦を訪れたのは浦上のキリシタン達であった。
南蛮寺の噂は外海地方からから移住していた五島のキリシタンにも伝わり、読書きの出来る者と航海術にたけた者達が陳情に出向いたものと思われる。
かいつまんでも仕方が無いのでプチジャン神父が日本教区長だった横浜のジラールに宛てた書簡を全文紹介します。
『 親愛なる教区長様、心からお喜び下さい。私達はすぐ近くに昔のキリシタンの子孫を沢山持っているのです。
しかしまず私にこの感動すべき場面、私が自らあずかって、こうした判断を下すに至りましたその場面を簡単に物語らせてください。
昨日十二時半頃、男女小児うち混ざった十二名から十五名程の一団が天主堂の前に立っていました。ただの好奇心から来たものとは何やら態度が違っている様子でした。天主堂の門は閉まっていましたから私は急いで門を開き聖所の方に進んで行きますと参観人も後からついて参りました。私は(献堂式のあった)一ヶ月前あなたが私達にお与え下さいました御主、私達が聖体の形式の下に愛の牢獄たる聖櫃(せいひつ)内に奉安している御主の祝福を彼等の上に心から祈りました。ほんの一瞬祈ったと思う頃年頃は四十才から五十才程の婦人が独り私のそばに近づき胸に手をあてて申しました。
「ここにおります私達はみな貴方様と同じ心でございます。」
「ほんとうですか?どこのお方です貴方がたは」
「私達は皆、浦上の者でございます。浦上では殆どみな私達と同じ心を持っております。」
こう答えてから、その同じ人がすぐ私に
「サンタ・マリアの御像はどこ?』
と訊ねました。
サンタ・マリア! このめでたい御名を耳にしてもう私は少しも疑いません。今私の前にいる人達は昔のキリシタンの子孫に違いない。私はこの慰めと喜びをデウスに感謝しました。そして愛する人々に取り囲まれてサンタ・マリアの祭壇の前に彼等を案内しました。
彼等は皆私にならってひざまずきました。祈りを唱えようとする風でしたが、しかし喜びに堪え切れず聖母の御像を仰ぎ見るや口を揃え
「本当にサンタ・マリア様だよ。ご覧よ、御腕に御子ゼスス(イエズス・イエス)様を抱いておいでです。」
と言うのでした。
この善良な参観者達が聖母マリアの聖像を眺めて感動したりしている間に、他の日本人が天主堂に入って参りました。私の周囲にいた彼等はたちまちパッと八方に散り散りとなりましたが、直ぐまた帰って来て、
「今の人達も昔の者で私達と同じ心でございます。ご心配要りません。」
と申しました。私は天主堂内を巡覧する色々な人々が往ったり来たりするのに妨げられて、この参観者達と思う存分話をする事が出来ませんでしたので、また出直して会いに来るようにと浦上のキリシタン・・・・・今日から私は彼等をこの様に呼びたいのです・・・・・と取り決めをしました。彼等が何を保存しているのか少しづつ確かめましょう。彼等はクルス(十字架)を崇め、サンタ・マリアを大切にし、祈りを唱えています。しかしそれがどんな祈りであるか私にはまだ分かりません。その他の詳しいことは近日中にお知らせ申し上げます。』
1865年3月18日 長崎にて
日本の宣教師
ベルナール・プチジャン
この手紙を受け取った横浜の日本教区長ジラールは、直ちにフランス本国に報告。感銘を受けた神父達が長崎に大勢やってきた。
新上五島町にもクザン、フレノー、マルマン、ブレル、ガルニエ、ドウラン(デュラン)、ベルトラン、A・ペルー、クレンペテル、ヒューゼ(ヒウゼ)が巡回した。
初期の教会建設は彼等宣教師達がフランスの家族親戚から募金を募り建てられたようだ。色んな資料には神父自らの私財をなげうって教会を建設したと記載されているが、レートの妙でフランスではお小遣い程度の金額で教会が建ったとも云われている。
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新上五島町(長崎県)の教会
赤波江教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
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今日は日曜。ミサ拝みから帰る途中、菜の花にまとわりつくヒラタアブかハナアブの仲間と思われる小さな虫を発見。
急いでデジカメを取って来て、まぐれ当たりで一枚くらいストライプの模様が綺麗に写ってくれればと思い接写モードで連射したが、途中でバッテリー切れになってしまった。
体調10mm有るか無いか、その上細長いので肉眼ではどんな柄をしているのかさっぱり分からない。
今日は調べ物をしたいので、デジカメのバッテリーを充電器に突っ込んだまま1月29日投稿の○○○ホソヒラタアブとかいうタイプのものではないかと思われる
と違う柄であることを願って図書館へ出かけた。
ついでだから上の2枚目の画像のヒラタアブの仲間であろうこのアブも名前程度は調べたかったのだが・・・・・
さすがは離島の図書館。受付のお嬢さんに「アブについて詳しく書いてる本はないものか」と訊ねて持ってきたのは1986年版。残念ながらこの柄のアブは載っていなかった。
調べ物も終って我家に帰ると、充電は完了していたのでパソコンに取り込み確認すると
ワオ!スゲー!
悩みの種がまた増えた。はまってしまいそうだ。
クワガタ朽木採集はやめましょう
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僕が幼い頃、今は亡き当時のお年寄り達は、「昔の曽根教会はヒンニョカッタ、ヒンノヨカッタ」(品がある、格好良い、美しいの五島弁)と言っておられた。
しかし僕は旧曽根教会を写真でさえも見た事が無い。
明治32年の旧曽根教会を建てた棟梁は、五島市(旧福江市)出身の野原与吉氏。
野原棟梁は堂崎天主堂(福江)と旧鯛ノ浦天主堂(近日投稿予定)を建てた名工である。
なお、若き日の鉄川与助は、野原棟梁のもとで修行を積んだ。もちろん旧曽根教会建設にも参加している。
曽根(そね)教会
明治政府が西洋の列強の圧力に屈し、禁教令を解いたのは明治6年。キリシタンは晴れて自由の身になった筈なのに・・・
曽根のキリシタン弾圧が激化したのは、何と明治6年からである。
曽根に駐屯している役人、神官、地下者(ジゲモン-先住民)は、キリシタン達を散々痛めつけた。棒などで殴る蹴るだけでは飽き足らず、火を手足に浴びせて大火傷を負わしている。
その時の傷が元で寿命を縮めた者大勢。
この曽根の役人、神官、郷民は地元のキリシタンを痛めつけるだけでは飽き足らず、仲知や江袋にまでわざわざ出向き、家財道具や田畑の作物を強奪するなど非道の限りをつくしている。
ところで、資料には神官と記載されているが、神官とは神社の神主の事だと思うのだが、だとしたらあきれた神の使いである。
旧若松町では神道祭に改宗する者が多発したが、北魚目ではゼロである。
ヤクザみたいな神官に誰もついていかない。
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新上五島町(長崎県)の教会
鯛ノ浦天主堂
廃墟になった教会
家に帰るなり嫁が「チョット」と手招きする。
いつも仏頂面してるのにいつもと様子が違う。
「なんだ?」
洗濯籠を醗酵マットの衣装ケースの上に置いたら、バキッと真っ二つになったらしい。
僕は、醗酵マットは雨が降ろうが雪が降ろうが、強風の日以外は外に出しっぱなしにしているので、衣装ケースは1年半か2年くらいでパリパリになって軽く触っただけで砕けてしまう。
ホームセンターが安売りしていた時に買い置きしていた新しい衣装ケースに醗酵マットを移し変えた。
いつもは車のガラスなどの強化ガラスのように粉々に砕けてしまうのに、今日は見事に真っ二つ。こんな砕け方は初めてだ。
朽木採集はやめましょう
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最近、目と鼻がむず痒い。
僕は花粉症にかかって20年ほど経つが、これはまさしく花粉症の症状。
天気予報では、花粉が飛び散るのはまだまだ先で今年は量も少な目といっていたが、
ホントかな?
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トラックで林道を走ると、落葉のお陰で良い感じに朽ちた朽木が目に入る。
悪しきやからにクワガタ朽木採集のヒントを与えたら大変なので、本日は画像無しです。
良い感じの朽木を見ると、自分の内に眠る悪魔が目を覚ます。
僕が小学生の頃は新上五島町にもオオクワがいたのだ。絶滅したとは思いたくない。
オオクワ発見に手っ取り早い方法は朽木採集なのだが、朽木採集は現在、自然保護の観点から行儀の悪い採集法である。
クワガタの幼虫が好む朽木が出現するまでには数十年、数百年の時が必要だ。それを一瞬のうちにナタやオノで破壊してクワガタの幼虫あるいは越冬個体を採集するのはどう考えても良い行いではない。
ましてや今はクワガタブームの真っ最中。マニアの皆が朽木採集をやりだしたら日本のクワガタは絶滅してしまう。自然のリサイクルでクワガタの幼虫は重要な役割を担っているから、我々人間の生活にも多大な影響をもたらすかも知れない。
自分独り位がやっても問題ないだろうと考えるは最低だ。
昨今の異常気象は人間のエゴが招いた天罰だと、僕は思う。
朽木採集は良くないからやめようとは、トウの昔に叫ばれているが、未だに後を絶たない。あるサイトには自慢げに朽木採集を載せている。
嘆かわしい。
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