映画覚書24 ~半落ち~

2008-02-04 22:05:26 | 映画
映画覚書第24弾です。
今回は初の邦画『半落ち』。
横山秀夫の名作である原作をどのように映画化しているのか、興味があって観てみました。

まずはキャストが豪華ですね。
寺尾聡、柴田恭平、原田美枝子、伊原剛志、樹木希林、吉岡秀隆、鶴田真由、國村隼。
超脇役で西田敏行、高島礼子、石橋蓮司。。。。
演技派ぞろいで、この手のヒューマンドラマにはうってつけの俳優陣です。

表面的なストーリーは簡単です。
アルツハイマーで自分を失っていく妻を、嘱託殺人で殺めた元刑事寺尾が自首してきた。
捜査一課の刑事柴田が取り調べを担当するが、妻を殺めてから自首するまで2日間の空白がある。
寺尾はこの空白について黙秘。
身柄を警察→検察→裁判所と移す中で、その2日間の寺尾の行動が明らかにされていく。

ジャンルで分けるとすると、刑事モノや裁判モノではなくヒューマンドラマです。
白血病で息子を失い。それを機にドナー登録をする夫婦。
髄液が適合し、若い青年の命を救う夫。
その青年を息子のように感じ、会ってみたいと願う妻。
その妻がアルツハイマーを発症し、妻を必死で支える夫。
妻に“殺してくれ”と懇願され、殺める夫。
愛とは、生とは、死とは、ということを哲学的に語りかけます。

原作は“空白の2日間”をモミ消そうとする警察の内部を描き出したり、
警察と検察との確執を細かく描写しています。
この事件に深く携わる刑事、検事、記者、弁護士、それぞれの視点から各章が構成され、
前述のような哲学的な色は強くありません。
象徴的なのはラストの法廷シーンです。
原作のそのシーンはサラッと流されていましたが、
本作ではかなりの時間を割いて膨らませています。
監督の佐々部清はこのシーンを拡大させることによって、
原作のおもしろさを失わず、哲学的な問いを付け加えました。
子どもを失うこととは・・・・
アルツハイマーは人格を失うことなのか・・・・
アルツハイマーの人間を殺めることとは・・・・
人は何のために生きるのか・・・・

ただし、これは原作を読んでいる僕だからこそ思うことであって、
原作を読んでない人がこの映画を見ても、どうもよくわからないなぁってことが多いかも知れません。
検事の伊原がどうして寺尾をとことん追及できなかったか、
弁護士國村がイマイチ重要な役目を果たしていなかったりといったところがあやふやになっています。
それでも、原作を読んでからでも楽しめる映画って意外と少ないんですが、
その少ない映画に入るのは間違いありません。
原作と映画で属するジャンルが異なるんですよね。

ひとつだけ激しい抵抗がありました。
それは刑事役の柴田恭平。
志木という有能刑事を演じているのですが、ダメです。
この志木という刑事は横山秀夫の小説でたびたび登場するのですが、
イメージでは体がゴツくて、毅然としていて、無表情で、冷静沈着で、洞察力が高くて。。。
っていう刑事です。
ところが柴田はちっちゃくて、細くて、困った顔や険しい顔が多くて、取り乱すことが多くて。。。
横山ファンとして柴田の演じる志木は、絶対に許せません。
あぶない刑事で刑事役は終わっておいてほしいものです。
では。