このような考え方をする人は、自分勝手な人。
自分が入らないから要らないをいう考え方は通用しません。
今の自分がいるのは、ご先祖様がおられたから。
そのお墓が要らないということは、
その大事なご先祖様を捨てるという行為なのですよ。
南無大師遍照金剛
このような考え方をする人は、自分勝手な人。
自分が入らないから要らないをいう考え方は通用しません。
今の自分がいるのは、ご先祖様がおられたから。
そのお墓が要らないということは、
その大事なご先祖様を捨てるという行為なのですよ。
南無大師遍照金剛
本日は、伊勢志摩より
「年に一度だけのお参りと」信者様がお越しになられました。
四家先祖供養をされて、11年たったそうです。
その間にいろんなことがありましたが、頑張って供養を続けられております。
長男さんは、素晴らしい方とご結婚され、お子様もお二人いらっしゃるそうです。
当山で四家先祖供養と霊界施餓鬼一粒満腹法要をされており、
そのお蔭と大変喜んでおられました。
ただ、次男さんの結婚がまだで、心配されておりました。
今日は、遠方よりお参りに来られたいうことで、
「ご自分でお願いを叶えられる修法」をご指導させていただきました。
このような場合は、願いが叶う為には、
施主様ご自身がどれだけ、信じて修法を出来るかと言う事に尽きます。
疑いの心があれば、絶対にお願いごとは成就いたしません。
簡単なものほど、難しいのです。
諦めずに続けることが大事なのです。
南無大師遍照金剛
年明けからご祈祷があったり、
信者様身内の方がお亡くなりになりましたのでご供養のご連絡が三件。
また、新しい命の誕生もありと、目が回るような忙しさです。
特に今年は、霊界施餓鬼一粒満腹法要のお申込みが大変おおございます。
今日は岡山より、初めて霊界施餓鬼一粒満腹法要でお参りになられました。
初めてのご供養で沢山の利供養のお供えものをいただいて故人様は、
ビックリするやら大喜びするやらでございます。
お帰りになられる時は、どの故人様も満面の笑みで。
そのお顔を見られるのは私だけ、残念ですね。
明日は、女性の方が年に一度だけ伊勢より、お越しになります。
一年分のお話を聞いてもらうのが楽しみなのだそうです。
いろんなお話がたっぷり…です。
ご供養後の利供養のお供えの品も発想が遅れております。
星祭りのお札は、明日、発想させていただきます。
お待たせしております。
南無大師遍照金剛
今日は貞観の母の父親、私の祖父の67回目の祥月命日でした。
命光不動尊で毎月、供養をしてもらい、もうだいぶになります。
祖父は、お蔭様で、霊界では結構な所に居て、私たちを見守ってくれているようです。
肝心の母親は、とうに父親の命日を忘れております。
仕方ないですよね。今年で数え 94歳ですから。
兄と二人暮らし、兄が大事にしてくれるので介護施設は行きたがりません。
椅子にすわっているのが嫌だとか。
まだ、自分のことができるので、救われてます。
法要後は、霊界にお送りいただく為に
神道の修法を執り行います。
霊界では、父親も母親も94歳の娘を心配しているこのこと。
有難いことですね。
母は、子供時代から相当な苦労をし、結婚してからも苦労をしっぱなしの人生です。
私は長い間、一緒に住んでいないので、親孝行をしておりません。
だから、私の親孝行は、母親の死後ということになります。
死んだ者しか、分からない死後の世界。
生きている時も修行し、死んでからも修行なのだそうです。
人間に生まれた宿命です。
動物や植物に生まれ変りたいと思っても
やはり、人間が一番ではないでしょうか。
南無大師遍照金剛
親孝行したい時には、親はなし。
孝行したい時、親はなし。
この様なコトワザを聞いて、
うなずいている人が沢山おられると思いますが、
本当の親孝行は、親が亡くなってからしっかりご供養するのが、
一番の親孝行ではないでしょうか。
本日の施主様は、祖父様の27年目の命日です。
霊界施餓鬼一粒満腹法要をお勤めさせていただきました。
施主のお孫様は、祖父様を思いご供養を。
そして祖父様は、お孫様の商売繁盛と家の繁栄を思い、霊界で手を尽くしておられます。
共に幸せになるように願っておられます。
生きている時は、皆様、親を大事になさいます?が、
お亡くなりになれば、「それでお終い」と
思われている方が最近とくに、多いように思われます。
これで役目は終りましたと思っておりませんか?
魂は、霊界で存在しており、無くなることはありません。
従って人の死後も生きていた時を同様に
親の面倒を見なければいけません。
それが供養です。
供養をいう字は、供え、養うと書きます。
言葉のとおりお供えをし、養しなうのです。
霊界で生きていくためです。
南無大師遍照金剛