美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

小沢昭一という映画人 (イザ!ブログ 2013・12・15 掲載)

2013年12月28日 05時45分19秒 | 映画
小沢昭一という映画人



今日私は、池袋新文芸座に行ってきました。小沢昭一が出演している映画を観るためにです。当映画館では、十二月八日(日)から一八日(水)まで「小沢昭一一周忌追善特集」を開催しています。私が行ったのは、そのうちの今日と十日(火)の二日間です。十日に上映されたのは、『お父ちゃんは大学生』(1961年、吉村廉監督)と『サムライの子』(1963年、若杉光夫監督)で、今日上映していたのは、『果てしなき欲望』(1958年、今村昌平監督)と『痴人の愛』(1967年、増村保造監督)です。

十日には、麻生中高時代と早大時代の同級だった大西信行氏(劇作家・脚本家)のトークショウがありました。小沢昭一が落語の芸のレベルでフランキー堺にどうしてもかなわないのを悔しがっていたこと、後に俳優になる仲谷昇(個人的には、成瀬巳喜男『放浪記』で、高峰秀子扮する林芙美子の最初の同棲相手役が印象に残っています)が当時から水のしたたるいい男で、学徒動員先で女学生たちの人気を独り占めしていたのに対してもおおいに悔しがっていたこと、俳優になって撮った初めてのブロマイド写真の鼻の右下の大きなほくろを撮影担当者が傷と間違えて削り取ってしまったことなどを、面白おかしくなつかしそうに語っていました。場内のまばらな客に向かって「小沢のことを忘れずに、映画を観に来てくれて本当にありがとう」と頭を下げていたのが、なんとも切なかったですよ。「七十年の付き合いだよ。親よりも女房よりも長いんだからね」と感慨深く語ってもいました。ついでながら、仲谷昇は、いい男であるばかりではなくて、ケンカがめっぽう強かったそうです。けれど、勉強はあまりパッとしなかったとのこと。麻生時代の同級には、他に俳優の加藤武がいます。大西氏は、早大時代に出会った今村昌平のことは、別格の扱いをしているようでした。

今日実は、『果てしなき欲望』に出演した柳澤愼一(歌手・俳優・声優)のトークショウが予定されていたのですが、当映画館に来る途中何かにぶつかって緊急入院する旨が開始の10数分前に判明するというアクシデントがありました。大丈夫でしょうか。かつておおいに人気を博したテレビ番組『奥様は魔女』のダーリン役の吹き替えで昔の日本人の耳にしっかりと刻み込まれたあの陽気な美声が聞けなくて本当に残念でした。心より回復を祈ります。

さて、映画の話に戻りましょう。

私が観た四本それぞれに感慨深いものを感じたのですが、とりわけ心を動かされたのは、増村保造監督の『痴人の愛』(谷崎潤一郎原作)でした。浪費癖があり、手当たり次第に男たちと肉体関係を持つなど、ご乱交の限りを尽くすナオミ(安田道代)から人生をメチャクチャにされるほどに振り回されながらも、どうしても関係を断てず、彼女への執着によって頭がおかしくなりそうなダメ男の苦悩と悦びを、小沢昭一は、渾身の演技で表現しています。ラスト・シーンで、関係を修復し、ナオミを背に載せてお馬さんごっこを半狂乱で繰り広げながら、小沢昭一演じる譲治が「やっと夫婦になれたんだ。もう一生離さないぞ」と絶叫するのに応えて、ナオミが「譲治さん、愛してるわ。私もあなたしかいないの」と初めて真情を吐露し、譲治の背中にしがみついて嗚咽をこらえる姿には、エロスの真実が表現されていて、観る者の胸を打ちます。シリアスの極みの滑稽さ、不格好さ、愚かしさ。あるいは、滑稽さ、不格好さ、愚かしさとしてしか表されえないシリアスな思いの哀しさ。どう言ってもよいのですが、そういう生と性のリアリティに迫る描写になりえていると思いました。画竜点睛を欠く点があるとすれば、ナオミ役の安田道代に男を狂わせるだけの魔性があまり感じられないところです。いい女のイメージは、時代によってかなり変わる、ということでしょうか。

ある軍医が埋めた時価6000万円のモルヒネを、昔の日本兵の元同僚たちが掘り当てようとする『果てしなき欲望』では、前科者の凶暴な大男を演じる加藤武の怪演ぶりが、強烈な印象を残します。彼は、小沢演じる小男を叩きのめして青息吐息の状態に追い込むのですが、小沢から逆襲を喰らい、鉈(なた)で脳天をかち割られて息絶えます。まさに、欲望と殺意ドロドロの今村ワールドですね。渡辺美佐子の爛熟した色気もすごかったですよ。西村晃や殿山泰司の好演ぶりも印象に残ります。

今村昌平は、『サムライの子』では脚本を担当しています。この映画の舞台は北海道の小樽で、「サムライの村」は、屑屋の集落の蔑称です。「野武士」というのは、それよりもさらに下層の住民票もない人びとの蔑称です。小沢は、「サムライの村」の飲んだくれの薄汚い無精ひげの親爺役を好演しています。強烈なのは、その妻を演じた南田洋子です。彼女は、精薄で蓬髪でぼろきれのような褞袍(どてら)を身にまとって乱暴な言葉使いをする汚れ役を果敢に演じています。意外なほどの性格の良さが哀れを誘います。言われなければ、演じているのが南田洋子だとは、ふつうの人は気づきません。大した役者魂の持ち主であることを再認識いたしました。浜田光夫のいつもながらの爽やかな演技がなつかしい。

南田洋子は、『お父ちゃんは大学生』では打って変わって知的でこざっぱりとした子持ちのキャリア・ウーマンを演じています。こちらが、南田洋子という名を聞いて、自然と思い浮かべる彼女のイメージ通りの役柄でしょうね。南田洋子って、声がなんとも素敵な女優さんだったのですね。包みこむような優しい響きがあるのです。夫の長門裕之は、あれにやられたのでしょうか。小沢昭一は、大学八年生の役で、なさぬ仲の長男(新沢輝一)との友だちのような交流ぶりがなんとも心温まります。左卜全、由利徹、清川虹子と懐かしい顔が登場します。

この企画、後三日あります。特に、明後日の十七日(火)には、デジタル修復版の『幕末太陽傳』(1957年、川島雄三)が控えています。お暇なら、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。私ですか?ええ、行こうかどうかちょっと迷っています。だって、今度行くとこの映画を観るのが五回目になるのですから。とはいうものの、映画館で観る映画は、格別ですからね。さて、どうしたものやら。http://www.shin-bungeiza.com/program.html

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