美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

木下恵介監督 『破れ太鼓』と『陸軍』  (イザ!ブログ 2013・6・5 掲載)

2013年12月16日 06時27分49秒 | 映画
昨日は、池袋文芸座で催されている木下恵介生誕100年祭の四日目に行ってきました。上映されていたのは、『破れ太鼓』(1949年)と『陸軍』(1944年)でした。『陸軍』を映画館で観るのは今回が二度目です。そのおかげだと思いますが、前回よりも、映画の細部にいろいろと気がつくことができました。

初日の『花咲く港』(1943年)を観ているときにも思ったことですが、『陸軍』における笠智衆の演技は、戦前の臣民の心根を、後世のわれわれによく伝えることができています。彼が演じる友助は、古風で生真面目な性格で、筋を通そうとして、生活のために重宝しておかなければならない人たちとしばしばぶつかってしまいます。そうして、損をします。友助自身、自分のそういう融通のきかないところを自覚してはいるのですが、やはりまた「やって」しまいます。そうして、家族の生活を思い、がっくりと肩を落とします。このタイプの男は、いまもしもいたのならシーラカンス扱いをされることでしょう。それほどに、友助の風貌は、戦前に特有のキャラである、と言っていいのではないでしょうか(その性格の潔さやこまごまとした計算を厭う姿勢は、勝ち目のない対米戦争に挑んだ当時の日本に通じるものがあるとも思います)。映画の記録性は、たまたま映し出された当時の建築物や登場人物が無意識に体現する風俗・習慣によるものであると同時に、当時の俳優の演技からかもしだされる雰囲気それ自体によってももたらされるものなのですね。『陸軍』については、以前論じたことがあるので、そのURLを掲げておきます。よろしかったら、どうぞご覧ください。http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/7ad13147688249e05a2d76171e2ec640

融通がきかない、といえば、『破れ太鼓』で阪妻が演じる軍平もそうです。軍平は、苦労に苦労を重ねて一代で土建会社を興し、田園調布に大邸宅を構えた、三男四女の大家族の長です。だから当然のことながら、並外れたほどの自信家であり、また、万事、自分が思ったように事を進めようとします。他の人たちの言葉に耳を貸そうとは決してしません。自分の判断に間違いがあるはずがない、というわけです。その傲慢さに耐え切れず、家族は四散してしまい、さらには、会社が潰れてしまいます。そうやって、一人ぼっちになってしまったときの軍平の、身体から滲み出してくるような、地べたから這い上がって来た者に特有の、言葉にならない悲哀を、阪妻は見事に表現しています。私は、その味わい深い演技に心の底から感動しました。『陸軍』を観たときにも思ったことなのですが、木下監督は、ラスト10分の大切さを知り抜いている映像作家です。

私事に渡って恐縮なのですが、私は、阪妻のそういう姿を観ているうちに、わが父の秘められた思いを目の当たりにする思いに襲われました。父は、軍平のような成功者ではないのですが、そういうこととはかかわりのないところで、私が生きてきた時代とはまったく違う雰囲気の時代を生き抜いてきた者の、こちらににはどうしても理解しようのない哀しみを、阪妻が、渾身の演技でこちらに伝えてくれたような思いにかられたのでした。私にじかに語ったことはありませんが、父は高校中退という低い学歴に起因する悲哀を噛み締めて生きてきたのではないかと思います。猫も杓子も大学に行く当世において、その哀しみは孤独なものです。阪妻が、名も無き庶民からの根強い支持を得たことの根にあるものに、いささかなりとも触れることができたような気がしました。

ところで、私が今回『破れ太鼓』を観ようと思ったのは、以前、高峰秀子の『私の渡世日記』で、当作品をめぐるある事情を知っていたからです。当作品は、高峰秀子にとって、「いわくつき」なのです。

そのあたりの事情の詳細にいまここで触れるのは控えておきましょう。興味がおありの方は、『私の渡世日記(下)』(文春文庫)のP171~186をお読みください(面白いですよー)。ここでは、当時彼女のプロデューサーだった人が、仕事がらみで彼女を騙して大金を手にする手段として当作品を利用しようとしたこと、当作品のヒロイン役として予定されていたのは高峰秀子だったこと、事情を知った木下監督が彼女のヒロイン役の辞退の申し出を快く受け入れたこと、そのとき監督が「この次はあなたのために脚本(ほん)を書きます」と約束をしたこと、彼女が辞退したヒロイン役を代わりにつとめたのは新人の小林トシ子だったこと、その約束は日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』(1951年)で果たされたこと、『カルメン故郷に帰る』で彼女が小林トシ子と共演したことを指摘しておけば足りるでしょう。

『破れ太鼓』を観ていて、小林トシ子の、すっきりと伸びた四肢ときっちりとしたくびれは、当時としては並外れたレベルのものだったのではないかと思いました。彼女は、『カルメン故郷に帰る』では、高峰秀子の圧倒的な存在感の影に隠れた形でしたが、当作品においては、清潔なお色気を発散して、その女性としての魅力がしっかりと演出されています。また、木下映画の音楽を一手に引き受けた弟の木下忠司が、音楽家志望の次男役で出演しているのも、ちょっとした驚きでした。さらには、森雅之の出演作なら、なるべく観ようと思っている私としては、彼が長男役で当作品に出ていたのを目にすることができたのは、喜ばしい収穫でした。演技がとても上手で、そうして危険で上質な男の色気を漂わせている、二人と得難い俳優さんであるとあらためて思いました。男優さんに魅力を感じることなど、私の場合めったにないことです。

『破れ太鼓』の貴重な映像があるので、下に掲げておきます。

破れ太鼓 1949 / A Broken Dram

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ラッキー・デイ (イザ1ブ... | トップ | アベノミクスの真髄 ~山本... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事