美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

宮里立士氏・「屈辱」と「主権回復」―ひとつの雑感として (イザ!ブログ 2013・4・28 掲載)

2013年12月15日 00時38分20秒 | 宮里立士
安倍首相の肝いりで今年の4月28日、はじめて政府主催で、「主権回復」の式典が執り行われる。この日は61年前の1952年にサンフランシスコ平和条約が発効した日である。これによって、戦後の日本は主権、「独立」を回復した。

安倍首相としては、昨今の竹島や尖閣の問題にも鑑み、国家主権の意義を国民に喚起したい目的からこの式典を行うのであろう(安倍首相に批判的な人びとは改憲の地ならしと云うだろう)。しかし、この式典に沖縄から大きな異議申し立てが出されているとメディアが報じる。

″この平和条約発効日とは、沖縄がはっきりと、本土から分断され、米軍の統治下に置かれた「屈辱の日」であり、この日を基点に沖縄への米軍基地の集中が確定し現在まで続いている。にもかかわらず、この発効の日を式典として祝うのは、沖縄を「日本」のなかに入れていない証明である。また、未だに日米安保体制によって、日本は事実上、アメリカに従属している「現実」を糊塗する安倍政権の欺瞞的本質がここに現れている。″

当式典に対する異議申し立ては概ねこのように要約されるだろう。

沖縄の大手二紙(琉球新報、沖縄タイムス)が、盛大に「屈辱の日」キャンペーンを張っている。「狼魔人日記」というブログで知ったことである(blog.goo.ne.jp/taezaki160925)。「狼魔人日記」は、「沖縄在住の沖縄県民の視点」から沖縄の「世論」を批判するブログである。普天間基地のある宜野湾市在住の方のようで、このブログ主人の沖縄二紙に対する批判には私も概ね共感し、賛成である。

4月28日を「屈辱の日」と呼ぶのを私は最近まで知らなかった。もちろん、この日にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が「独立」し、沖縄のみが米軍統治下に置かれて取り残された「民族分断の日」であり、沖縄にとっては大変残念な日であったということは、 子供のころから聞いていた。しかし、それゆえ、米軍統治時代、この日を沖縄の祖国復帰を念願する日、そして運動を盛り上げる日であったという印象を持っていた。

私は、昭和41年(1966年)2月生まれで、復帰の年に小学校に上がったばかりだった。そのため、復帰前、この日を沖縄県民がどういう気持ちで迎えていたかは直接には知らない。しかし、復帰後、この日が「屈辱の日」だったとは、身近な大人から聞いた覚えもない。中学生のときに読んだ沖縄の歴史を教える教科書の副読本に、サンフランシスコ平和条約の発効で沖縄のみ米軍統治下に置かれ、本土と分断されたという記述があり、ここから無念さが伝わったのは覚えている。

しかし、これは先の「狼魔人日記」のブログで紹介されていることであるが、沖縄の新聞も1952年の平和条約発効当時は、沖縄が本土から「分断」されたことには遺憾の意を表しつつ、それでも日本が独立を回復したことに喜び、いずれ沖縄も国力を回復した日本に復帰できることを期待する論調が主であったという(「自爆した琉球新報!「屈辱の日」で 」より)。

私自身、吉田嗣延という沖縄出身で、東京で沖縄の祖国復帰運動を実務面から支えた人物の自叙伝を読んだとき、吉田茂がサンフランシスコ平和条約受諾演説で沖縄、小笠原の日本の潜在主権に言及したことに吉田嗣延が感動したことが綴られていたのを目にしている。

沖縄は日米が直接、戦火を交えて米軍に制圧された。これこそ大変残念なことであるが、ポツダム宣言を受諾して米軍が進駐してきた日本本土とは占領のされ方が違った。そのため、当時の沖縄県民の多くも、沖縄だけ米軍統治下に残されることは、大変無念であるが現実的には致し方ないとも感じていたのではないか。だからその後の復帰運動で、この日を「屈辱」というより、沖縄の「祖国復帰」を念願する日と捉えていたのではないのか。

そのほかにこの日を「4・28沖縄デー」と復帰前に呼び、沖縄と本土の労働組合が連帯し、デモンストレーションを行っていたことも思い出す。「国際反戦デー」などと並んで、左派色の濃い行事であった。しかしここでも4月28日は「屈辱」というより、米軍基地を全廃したうえで「復帰」を実現するという位置づけの日であったと記憶する。いつから4月28日を「屈辱の日」というようになったのか? 

たしかに左派のなかには早くからこの日をそう呼ぶ者もいたであろう。しかし、これが一般化したのはいつからか。いや復帰後40年も経った今日、普通の県民のどれだけがこの日のことを意識しているのか。実際のところ、今回、安倍首相が4月28日に主権回復の政府式典を開催することを発表して、沖縄の新聞が大騒ぎして、はじめて意識しだした県民が大多数ではないのか。よく知りもしない日に屈辱感を持つであろうか。

ただ、私もこの日を「主権回復の日」と云われると、ほんとうのところ複雑な思いが湧く。保守系の団体のなかで4月28日を「主権回復の日」として祝日にしようという運動が十数年前からある。私も何回か聴衆として参加したことがあり、安倍首相も前回の政権下野の翌年だったと思うが、参加していた。 

主催団体、そして登壇者たちも、この日に十全な意味で日本が「主権」を回復したとは思っておらず、この日をいっそうの日本「独立(自立)」のための日と位置づける運動のように感じた。しかし、沖縄にとってこの日が祖国から分断された記憶の残る日であるとまでは思い及ばない雰囲気でもあった。そのため、この運動が本格化すると、沖縄から批判や苦言が出るだろうとは予想していた。しかし、その前段階の式典開催で盛大に「屈辱の日」キャンペーンが張られるとは思わなかった。

4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人びとは、沖縄に米軍の専用基地が集中している「現実」は、日本が事実上、アメリカに従属し、アメリカに都合よく「沖縄」が利用されていることを批判して、「屈辱」と呼ぶのであろう。このことは一面の真実を語っていると私も思う。その意味で日本は未だに「主権」を回復していないのかもしれない。しかしそれならば、この「現実」を脱するにはどうすればいいのか?

日本がアメリカに依存しない国防体制を整備するしかない。それならば、自衛隊に背負わされている多くの制約を外し、米軍に依存しない国防体制に改めるべきとなるはずである。そのためには現憲法9条の改正も視野に入れなければならない。しかし、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ者のどれだけがこれを考えているだろうか。現憲法を「平和憲法」と言い習わし、自衛隊にすら反対していて、本当に「主権」が回復できると思っているのであろうか? 

今回の主権回復の式典には私も複雑な思いが湧くと、先に述べた。しかしこれを「屈辱」と声高に叫ぶ人びとには、もっとはっきりと違和感を持ち、不快感すら抱く。なぜなら「主権」が回復していないと抗議しながら、一向に「主権」回復を考えようとしないからである。

しかし、ここに「戦後日本」の70年近い倒錯した「現実」が反映されているかと思うと、式典への複雑な感情以上の、痛切の思いがこみ上げ、それをどう修復すればよいのか途方にくれる。サブタイトルに「雑感」と記したのはこの思いからである。
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チャンネル桜・闘論!倒論!討論! 場外乱闘編  (イザ!ブログ 2013・4・27 掲載)

2013年12月15日 00時32分09秒 | ブログ主人より
☆美津島→小浜・宮里

お二人が出演なさった桜ちゃんねるの討論会をブログにアップしたところ、一日でアクセス数が、900に迫る勢いでした。調べてみたら、当ブログとしては、約三ヶ月ぶりのことです。チャンネル桜は、マイナー放送であるとはいえ、テレビはテレビ。やはり、威力があります。これを目の当たりにしたからには、できうることならば、言論を流布する手段としてテレビを利用しない手はない、と改めて思った次第です。具体的にどうするかは、現段階においては残念ながら、つまびらかにできないのではありますが・・・。

ところで、討論のなかで、特攻隊の話が出たところで、小浜さんと水島社長との間に、私の目には、抜き差しならない形で、亀裂が走ったように感じました。つまり、浜崎さんの話をきっかけに、お二人の間で、特攻隊の評価をめぐって、無視し得ない対立が生じたように、私は感じたのです。

私は、あそこで、(はっきりといいます)水島社長の態度に、いわゆる保守派のいやなもの、さらにはダメなものが露呈されているように感じました。水島社長に、エロスの領域と国家の領域の次元の違いを、戦後否定の情念によって、粗雑に塗り潰そうとする野蛮な手つきを感じてしまったのです。これは、保守派の宿痾のようなもので、これがあるがゆえに、保守派はいまひとつ戦後思想のオーソドキシィたりえないのではないかと思った次第です。おそらく、戦後の歴史において、保守派が、支配思想としての左翼思想のカウンターとしてしかありえなかったことの痕跡がそこに認められるのではないか、と思った次第です。

私は、今の自分のポジションがなんなのか、うまく他人(ひと)にいえない感じです。つまり私は、明らかに左翼ではないのですが、かといって、現状の保守派に与する気にはとてもなれないし、そうすることに特段の意味があるようにも思えない、ということです。


☆小浜→美津島・宮里

じつは、第一部を数日前に見て、第二部、第三部をちょうどいま見終わったところです。それにしても、たしかにテレビは良きにつけ悪しきにつけ、影響力がすごく大きいですよね。

水島社長との問題ですが、美津島さんの言う通りと思います。お互いに非妥協的な違和感を抱きあった、という感じですね。

私の考えでは、死に行く運命にある者たちへの悲痛な共感と、逃れようもなく近代国家を打ち立ててその中で国民として生きてきた私たちが、国家としての日本をどう取り戻すのかという実践的な課題とは分けて考えるべきだということになります。前者はいわば「文学」なのですね。それはそれで重要ですが、そこに溺れこむと、実践的な課題には少しも連続していかない。

私から見れば、そこが水島社長の中で混同されているように思えます。さらにどぎついことを言えば、こうした文学的な共感で何かがなしうると思ってしまうのは、反原発知識人たちが、反対感情だけで悪乗りしているのと、ちょうど表裏の関係にあると言ってもよいでしょう。

そして重要なのは(私の勘ですが)、チャンネル桜のこの番組を見た800人のうち、600人くらいは、水島社長のほうに共感してしまうだろうということです。西部さんの言うレトリックではないですが、それではだめなのだということをいかに言葉を尽くして説いてゆくか、中央突破を狙うわれわれとしては、そこが一番大事な課題になってくると思います。

なお、番組中で、小浜が「戦争を始めちゃった以上は勝たなくちゃしょうがないでしょう」と発言していますが、このメールの場を借りて、次の言葉を補っておきたいと思います。

「あるいは、できるだけ犠牲を少なくするために、併行して外交をすすめつつ、なるべく早く有利な形で和平に持ち込む。そのためにも合理的な戦略思考が必要とされると思います。」

それにしても三浦さんや浜崎さんのような若い世代の感覚は、また少し違うと思うので、そこには期待できそうな気がします。


☆宮里→小浜・美津島

お知らせくださり、ありがとうございます。

チャンネル桜はたしかに衛星放送で、「マイナー」かもしれませんが、アクセス数から、その「テレビの威力」を教えられると、「なるほど」と改めて感じ入りました。

お知らせを伺い、私も少しインターネットで反響を調べてみました。放送後すぐに、今回の討論会を紹介し、感想を述べているブログを見つけました。自分の発言なども取り上げてくれており、ありがたく思いましたが、「おおおおおお落ち着いて」とのコメントもあり苦笑しました。

ところで、特攻隊についての、小浜さんと水島社長のやりとり、今回の討論会で一番緊迫した場面だったと思います。私も水島社長に「小浜さんも最近出した『日本の七大思想家』の小林秀雄を論じたところで、特攻隊員や若き日本軍将兵の純真な精神の気高さに言及しています。後世の我々は、その精神を貴いものとして大切にすることは当然だと思います。しかし、これとは別に国家には、戦争に勝つため、あるいは国民の被害を最小限に食い止めるために、合理的計画と理性的判断が不可欠だと思います。それがなければ、またアメリカや中国にしてやられませんか」と、言おうかと思っていました。しかし、議論が熱を帯び、うかつに口を挟むことに躊躇っていると、西部さんが、いつものロジカルな語り口で、水島社長に共感を寄せつつ、最後に小浜さんの意見に賛成するという「名人芸」で場を収めたため、私もそのまましゃべらずじまいですませてしまいました。

戦争の問題を議論すると、政治的議題もそうですが、どうしても感情的になる要素を多分に含みますね。だからこそ、かえって理性的に考える努力をすべきだと考えます。しかし、多数派はやっぱり、「エロス」的領域で、「文学」的に共感できる意見に賛成、というより、「魅かれる」と思います。

このことは真面目にサラリーマンをしている親しい友人などと酒を飲んで議論をしたおりによく感じます。たとえば最近では、尖閣問題で口論となり、いかに自衛隊には制約が多く「国防」もままならない、という話を自分がした後に、「民間人が殺され、米兵が敵と闘い斃れるのを目の当たりにしても、命令がないから動けないというのなら、自衛隊、いや日本人はおしまいだ」と、妙に「男の美学」みたいな感じで、自衛隊出動の可能性を友人が熱く語りだすと、その気持ちが解らない訳ではない分、応答に苦慮します。

そんなこともあって、メールを拝読した後、改めて思ったのですが、政治や戦争などの議論は、理性的にすべきと思いますが、多くの人間が関係し、かつ、このことで人生まで変わってしまう事態を引き起こす、政治や戦争をテーマにすると、それだけ感情に訴える意見に強く吸引されますね(政治は打算といいますが、それをよくできるのは職業的センスを持つ「政治家(政治屋)」だけではないでしょうか)。いわば「村」になりやすいように感じます。

とはいえ、同じ考えの「村びと」だけでまとまっていても何の解決にもならないので(強い「村」になって、他村をやっつけられれば、それはそれで「解決」になるのかもしれませんが)、言論に携わる者はそれこそ、よその「村びと」にも通じる、対話できる「言葉」を苦しくとも模索すべきだと思えてきます。

その真剣な模索を経て後、戦後保守も「支配思想としての左翼思想のカウンター」から脱することができるのではないでしょうか。

つらつら思った漫文を書き連ねました。ご容赦を願いあげます。
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小浜逸郎氏・宮里立士氏、「チャンネル桜」出演! (イザ!ブログ 2013・4・23 掲載)

2013年12月15日 00時26分45秒 | ブログ主人より
当ブログにたびたびご寄稿いただいている小浜逸郎氏と宮里立士氏が、チャンネル桜に出演しました。四月二〇日(土)放映の「闘論!倒論!討論! 表現者スペシャル 日本のこれから ~安倍政権はどうあるべきか」の論客としてです。その他の出演者は、評論家・西部邁氏、文芸評論家・富岡幸一郎氏、評論家・三浦小太郎氏、文芸評論家・浜崎洋介氏の総勢六名でした。いずれも隔月刊誌『表現者』の執筆常連者といっていい方々です。

論客たちによる、最初の論点提示での発言のあらましを記しておきましょう。

まず、ペース・メーカーの西部氏が次のように口火を切りました。「アベノミクスの『三本の矢』のうち、一本目のインフレ・ターゲットは、フリードマン流の市場礼賛論がその根にある。二本目の公共事業推進は、ケインズが提唱したもの。三本目の成長戦略は、規制緩和・イノベーションによって経済成長をしようというものだが、これは基本的にシュンペーターの「創造的破壊」である。参議院選後に、これらの方向性の異なる『三本の矢』が、ゴッタ煮状態で、ひっちゃか・めっちゃかになるのではないか」。

次に小浜氏は、おおむね次のように述べました。「TPP交渉参加が一番問題だ。『またアメリカに負けたゼ』という感触である。特にISD条項は、国家主権を脅かす危険なもの。農業問題に特化した報道は、ミスリード。TPPは、日本経済のあらゆる分野に深甚な影響を与える条約。とても賛成できない。また、三本の矢のうち成長戦略は、小泉構造改革をしかたなく受け入れている、問題含みの政策である。さらに、消費増税は見送るべき。自分は、ある意味、増税絶対反対論者」。

次に、富岡氏は、次のように述べました。「第一次安倍内閣は、小泉構造改革と『美しい日本』との間で引き裂かれた。成長戦略には、小泉構造改革の尾っぽが残っていて、それは要するに、新自由主義的な規制緩和の推進に他ならない。バラバラになりそうな三本の矢を束ねるのは、まっとうな国家論に他ならない。安倍内閣が腹を据えて検討すべきは、日本は市場原理主義のままでいいのかどうかということ」。

次に、三浦氏は、次のように述べました。「倉山満・三橋貴明・藤井聡が登場したことに、自分は、安倍政権成立の希望を見出したい。彼らが、安倍政権のイデオローグとして成長することで、戦後日本のアメリカ・コンプレクスからの本当の意味での乗り越えが可能になるのではないか。それが、戦後レジームからの脱却ということなのではないか」。

これには、西部氏から異論が出ました。「もし、安倍内閣や倉山・三橋・藤井諸氏がアメリカ・コンプレクスを感じないのだとしたら、それは、戦後六七年経って、脳髄までアメリカナイズされた、と考えておいたほうがいいのではないかと思う」と。

さらに、小浜氏から「欧米で失敗した発送電分離政策を、日本は欧米に追随してこれから実施しようとしている。こういうことから、自分は、日本はまだまだアメリカ・コンプレクスから脱していないと思う」という視点が提示されました。

五人目は、宮里氏です。「第一次安倍内閣のときの反省もあって、今の安倍政権は経済重視の安全運転を心がけている。それで今のところ、一般国民からの高い支持を受けている。その上で、参議院選挙勝利の後、安倍政権は、日本再興を行おうとしているのだろう。ところで、気になるのは、元外務官僚の佐藤優(まさる)氏と孫崎亨(うける)氏が、目下沖縄メディアでしきりに発言していること。特に、カイロ宣言などによって尖閣棚上げ論を立ち上げる孫崎氏には奇異なものを感じている。彼らの意図が何なのか、きちんと見極めたいと思っている」。

最後に、文芸評論家・浜崎氏が、次のように述べました。「普段は文学がどうのこうのという軟弱なことしか考えていないので、ちゃんとしたことを言えるかどうか、わからない。安倍政権に対しては、正当な意味で反動的であってほしいと思っているし、実際そうだと思うので、特別に、異議を差し挟みたいことはない。戦後レジームからの脱却を遂行するうえで最大のポイントになるのは、やはり改憲だろう。それが成し遂げられたところで、あらためてTPPが問題になるはず。現状では、中国というアジアではじめて日本を超える国家が台頭してきたことに対する危機感があるので、経済合理的には割に合わないTPPを甘受するよりほかに、日本に選択肢はないように思われる」。

以上のように、「1/3」で論点がおおむね出揃ったところで、「2/3」と「3/3」で司会の水島社長を含む七人の間で、白熱のやりとりが約二時間繰り広げられます。ご興味をお持ちになられた方は、どうぞご覧ください。文化・思想・哲学に造詣の深い論者が揃っている関係で、話題が、当テーマからイメージされる時局的なものを超えたディープな領域に及ぶところが興味深いと思いました。安倍政権の話題で、小津安二郎の『東京物語』が飛び出すなんて、愉快ではありませんか。そういうことが、日本を文化的貧困からかろうじて救うのではないでしょうか。

そのなかで、私の耳底には、若手の浜崎氏の次のような(福田恆存を援用しながらの)言葉がいちばんはっきりと残りました。「日本には、欧米社会のような超越的な唯一神は存在しない。では、日本人における超越性とはなにか。それは、馴染みという現象のなかに存在する。何かに馴染みの感情を抱いた場合、その原因は、自分の側にも、馴染みを感じる対象にも、還元できない。それは、自分と対象との間に存在するとしか言いようがない。そこに、日本人にとっての超越性が存在する。そこで、馴染みを感じる対象は『かけがえのないもの』となる」。

浜崎氏のこれらの言葉は、私の琴線に触れるものでした。自分の感性を偽ることなく対象化しながらも、あくまでもそれに忠実に、という文学者としてのオーソドックスな(ある意味で懐かしい)構えを、彼の言葉から感じ取ったのですね。それは、死んだ我が子を悲しみの情のうちに思い出す母親の姿に歴史なるものの真実を見出そうとする小林秀雄に通じるものがあります。どうやら彼は、ハートのある人のようです。彼の『福田恆存 思想の〈かたち〉』を読んでみたいものだと思いました。


1/3【表現者SP】日本のこれから~安倍政権はどうあるべきか?[桜H25/4/20]


2/3【表現者SP】日本のこれから~安倍政権はどうあるべきか?[桜H25/4/20]


3/3【表現者SP】日本のこれから~安倍政権はどうあるべきか?[桜H25/4/20]
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宮里立士氏・吉田茂『回想十年 新版』を読んで浮かんだ偶感 (イザ!ブログ 2013・4・22 掲載) 

2013年12月15日 00時01分55秒 | 宮里立士
あるきっかけで、二十数年ぶりに吉田茂の『回想十年』を再読した。

今回、読んだものは昨年、毎日ワンズから刊行された新版と銘打たれたテキスト。全4巻の原著の第1巻を定本とし、適宜、割愛や他巻の一部を加えたものと凡例で断る。本のスタイルから見ても、一般読者向けに読みやすくしたもので、帯には「戦時中、獄舎に囚われていた男が、祖国再建の鬼と化し、大暴れする!!」との惹句が踊る。特に最後の「大暴れする!!」は大文字になっている。吉田茂のことをよく知らない読者にも手に取ってもらいたいという工夫が感じられた。




吉田茂といえば、敗戦日本を支え復興の基礎を築いた政治家というイメージが一般的だろう。それは高坂正堯の「戦後処理を通じて、日本の国際政治上の地位を回復すること」に成功した「大宰相」という吉田茂観に由来している。たしかに吉田茂は「戦後日本の形成者」(北岡伸一)であり、戦後日本に、“吉田ドクトリン”と呼ばれる経済優先の国家活動の指針を示し、これに基づき日本は経済大国とまでなった。しかし、それは国防、安全保障という国家にとって、根本の課題を覇権国家アメリカに丸投げしての結果でもあったとも批判される。吉田は『回想十年』のなかで語っている。

〈「独力防衛論」などは笑うべき時代遅れの議論というべく、また「再軍備」にもこの論と相通ずるものがある。この種の主張をあえてして自らその見当外れを知らぬに至っては、その迂愚ともに国政外交を断ずるに足らぬ輩であるというべきであり、日米安全保障条約が妥当適切な防衛策であることを知るべきであろう。〉(176~177頁)

〈しかるに世間には、この共同防衛体制をあたかも屈辱なるが如く感ずるものが少なくない。今におよんでも、対等であるとかないとか、議論を上下している。かかる人々は、現今の国際情勢を知らず、国防の近代的意義を解せぬもの、いわゆる「井底の蛙、天下の大なるを知らぬ輩」と評するほかない〉(260頁)

ここから吉田茂の「功罪」が問われ、戦後70年が経とうとする現在でも決着をみない。そのこともあって、改めて吉田茂本人の主張に耳を傾けたいと思った次第である。

最初に「日本外交の歩んできた道」が語られる。近代日本の外交は英米との協調を基本路線とし、それからの逸脱が日本の国際的孤立を招き、日本を破滅へと追いやったという。

戦後の日本外交を「対米従属」と批判する声は大きい。しかし、程度の差はあれ、敗戦前の近代日本外交も、実は「英米追随」的であった。国際政治学者の入江昭の『日本の外交』(中公新書 1966年)は、近代日本外交を学ぶうえで代表的入門書であるが(今では入門書の「古典」かもしれないが)、ここに日本政府、明治の元勲以来の、「現実主義的」英米追随の外交姿勢が批判的に指摘されている。不平等条約を押し付けられ、また、長い「鎖国」で外国との交渉に不慣れな近代日本にとっては、それは致し方のないことだったと私は感じるが、とにかく英米(当時は英国を先に置く)と交渉し、その「お墨付き」を得ることで、近代日本は国際的地位を固めていった。不平等条約も英米との交渉からその改正への道を開き、日露戦争も両国の支援があって勝利にこぎつけた。しかし、日本が強大になるにつれ、英米両国は日本を警戒し、特に米国は日本をときに敵視した。日露戦争の翌年、すでにアメリカのカルフォルニア州で日系移民排斥運動が広まった。その打開策として、日本は移民を自主規制する代わりに米国は排日移民法を制定しないという紳士協定が結ばれる(しかし結局、1924年に排日移民法成立)。

そしてこれとは別に日露戦争の2年後の1907年末に、米国は1年余りかけて大規模な大西洋主力艦隊による世界一周のデモンストレーションを行った。幕末の黒船を意識し、艦船を白く塗り、「グレート・ホワイト・フリート」と称したこの艦隊の大航海は、明らかに日本に対する威圧であった。これを「白船」と称した日本側の反応を、私はかつて論文にまとめたことがある。このとき日本政府はアメリカのこのデモンストレーションの意図を、欧米や中南米の在外公館に探らせ、実際に「白船」が日本の横浜に寄航したとき、それこそ官民を挙げて「日米親善」を演出した。その演出は米国の威圧に朝野ともに危機感を抱いた涙ぐましい努力であった。上陸した米水兵らをもてなす休息所が各地に設置され、酒も振る舞われた。後に対米強硬論者となる徳富蘇峰もこのとき日米友好に奔走した。しかしその一方で、上陸水兵たちの言動は注意深く監視され、内務省の記録には泥酔して暴れだす者、なかには遊郭にあがる者まで報告されている。

日露戦後のこの二つの例が象徴する、アメリカの主張や行動に日本が受け身で対応するという図式は、その後も続き、これに日本はストレスを溜めていった。その挙句、フランクリン・ルーズベルトが登場し、国民党のプロパガンダもあいまって、露骨な中国びいきと日本潰しがはじまり、それに対抗する形で、日本の側に対米英強硬外交が台頭した。

たとえ、米英(ここではアングロサクソンと云い換えてもよいと思うが)の下位に立っても、彼らとの協調こそが日本にとって利益となるからこれを外交の基調にするという方針と、、この方針から不可避的に生じざるをえないストレスとをどう調整すればよいのか。現代まで貫く、近現代の日本外交のこのジレンマに、ほんとうのところ、吉田茂は答えていない。これが『回想十年』を再読して一番の感想だった。特に占領期の叙述に強く感じた。

吉田茂は、いかにもGHQの幹部と対等に、ときには相手を小バカにしたように、折衝をした風に述べている。マッカーサーはさすがにそうとは描けず、その命令に従わざるを得なかったことは認めている。が、それでも彼とのやりとりも「征服者」相手との交渉とは思われない、どこかユーモラスな調子である。もちろん、練達の外交官だった吉田は威厳を失わずに占領軍と交渉するすべも身につけていたであろう。しかし、それはお互い建前と解ったうえでのことではないか。こと政策に及べばGHQと日本政府は命令者と被命令者の関係であって、たしかに吉田は個別の政策に不服があれば、GHQ内部の対立や、人脈を利用して、これを若干は修正することもできただろう。しかしGHQがひとたび命令を下せば、これに従い実行するのが日本政府の役割だった。実際、憲法などはその最たるもので、この関係に基づき「改正」されたことは本書からでも伝わる。さすがに吉田もこれには忸怩たる思いがあったのは、その叙述から窺える。

〈改正草案ができ上がるまでの過程を見ると、わがほうにとっては、実際上、外国との条約締結の交渉に相似たものがあった。というよりむしろ、条約交渉の場合よりも一層「渉外的」ですらあった〉(228~229頁)

と、現憲法が戦勝国と敗戦国の「力学」によって成立したものであったことを示唆する。しかし、それでいて、「押し付け憲法」論に吉田は異議を唱える。

〈制定当時の事情にこだわって、あまり多く神経を尖らせることは妥当でないように思う。要は、新憲法そのものが国家国民の利害に副うか否かである。

国民としては、新憲法がひとたび公布された上は、その特色、長所を充分に理解し、その真意を汲み取り、運用を誤ざるように致すことが大切なのである。〉(248頁)


吉田はGHQ側の「どうしても不都合だというのならば、適当の時期に再検討し、必要ならば改めればよいのではないか」という言葉も紹介している。実際、民生局次長だったケーディスは30年が経っても占領下の憲法が未だ改正されていない事実を知り驚いたという(古森義久氏)。だが、衆参両院総員の3分の2の発議を経て、国民投票で半数以上の賛成が無ければ改正できない、という極めて厳しい改正条項を持つ現憲法の改正は至難の業だ。これを「押し付けた」当事者が、30年経って、この点を忘れたのか、惚けてなのか、まだ改正されていないと聴かされ驚くこと自体に、この憲法が、いかに無責任に作られたものだったかということが判然とする。実際、吉田も「軍備放棄」に関連して、枢密院の審議で、「国内に擾乱が起こった場合どう対処するか」と問われ、次のように答えたという。

〈占領軍が引き揚げた先のことは想像がつかない。歴史は繰り返すということもあるが、とにかく将来のことはわからぬ〉(233頁)

いかに改正が難しいからとは云え、なぜこのような憲法が「理想」のようにその後に語られ、今も存続しているのか。結局、占領体制の反省が十分に行われなかったせいではないだろうか。

その意味で、もはや今では吉田茂の「功績」が負債のようにのみ、重くのしかかってくる印象を自分は抱く。

吉田は、サンフランシスコ平和条約によって、日本が主権を回復した後も首相を続けた。これは占領期にGHQによって、日本に課された足枷を一番知る立場から、その是正に努めたいという意思の表れであっただろう。が、むしろその「居直り」が、占領期の継続のような「戦後」を生んでしまったのではないか。これは福田和也も云っていたが、もし吉田が、日本の主権回復とともに、もっと率直に、占領下の指導者としての苦悩を吐露し、それがいかに屈辱的であったか、近衛文麿のような盟友をも見殺しにせざるをなかった苦渋を公けの場で演説して首相を退任していれば、あるいはその後の日本の行き方、あるいは世論も違ったものになったかもしれない。

今年、サンフランシスコ平和条約が発効した4月28日に、はじめて政府主催の主権回復の式典が行われる。しかし、この式典に沖縄から反発の声が挙がっていると報じられる。それはこの日が、沖縄にとっては日本から分断され、米軍の支配下に置かれることが確定した「屈辱の日」であるからという。そして「沖縄」にだけ米軍を押し付ける構図はこのとき確定されたとも非難する。沖縄一般の声ではなく、沖縄のマスコミ、沖縄知識人の声と思われるが、これに調子を合わせ、むしろ煽る県外の識者もいる。そのなかには、最近、何かと日本の「対米従属」を強調する元外交官の孫崎享氏もいる。孫崎氏は、この「屈辱」が、昭和天皇の意向によってはじまったものだと沖縄のマスコミで高言している。

外務省高官であった人物が国家の正統性にかかわる存在に対して、安易な非難を吹聴してまわるとはどういうことであろう。このような精神構造の外交官がなぜ生まれたのか? 

ここに至り、改めて戦後外交のはじまりについて考えたいと思い、本稿を草した。




〈コメント〉

Commented by kohamaitsuo さん
ケーディスの驚き自体が現行憲法の形成過程の無責任さをあらわしているという指摘、サンフランシスコ条約以後の吉田の「居直り」が占領時代と同じような「戦後」を作ったという指摘、とても具体的でいいですね。単に戦後レジームの元凶として吉田を批判するのではなく、当時の状況によく想像力を馳せた文章だと思います。
孫崎元外交官のような反日論客が、なぜ大きな顔ができるのか。沖縄に自分の言論の活路をあえて見出していくところに、本土知識人特有のとても薄汚れたものを感じます。昔からいましたね。次は三里塚だ、それ次は沖縄だ、それ次は慰安婦だ、と、自分の実存に関係のない政治課題をねつ造していく連中。そのあたり、伝えられていない沖縄住民の平均的な意識のあり方なども絡めて、さらに続けて書いていただくとありがたく思います。


Commented by miyazatotatsush さん
kohamaitsuoさま
懇切なコメントありがとうございます。
占領期の吉田茂について言えば、私はあれ以上、どうにも仕方が無かったし、よくがんばったと思っています。
問題は、拙文でも触れたとおり、主権が回復した後、吉田が居直ったことだと思います。吉田のパーソナリティーもあって意固地に、「憲法は渉外的に作られたが、押しつけではない」とか、「独力防衛論など時代遅れだと」と言いつのったツケが廻り、しがらみとなって、今日の我々にも未だ纏わりついているように感じます。
そしてここから派生する矛盾が集約的に現れているのが、遺憾ながら、「沖縄問題」だと思います。ただ、大多数の沖縄県民は良かれ悪しかれ、現状では沖縄に米軍基地が多いことはやむを得ないと考えていると思います。しかし、沖縄のマスコミや沖縄知識人は、ヘンに本土にコンプレックスを持っていて、反中央的ポーズを取りたがるので、これが「沖縄の声」のように伝わってしまいます。それに本土で行き場を失った左翼が、沖縄になだれ込み吹きだまりのようになって、困ったものです。
コメントでご指摘の「自分の実存と関係のない政治課題のねつ造」とは、自分流に言い直せば、「大きな問題を持ち出して、自分が本当に苦にしている問題をごまかす」ということだと拝察します。ダメ知識人の典型的な自己欺瞞だと思います。孫崎某も自称、「アメリカの陰謀」(苦笑)で外務省を失脚した腹いせのつもりで、いろいろアジっているようです。彼の言説は沖縄のごく一部にしか届きませんが、先ほど言ったような沖縄のマスコミや沖縄知識人と共鳴すると、いかにも外部には、沖縄を代表する主張のように聞こえ、これが政治的、歴史的に日本の中で複雑な立場に立つ沖縄の今後にも大きな影響を及ぼしかねないため、憂慮しています。
この問題については、これからもしばらく続けたいと存じます。
コメント
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