美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

沖増菜摘さん、ライヴ写真アップ (2013・2・24 撮影)

2013年12月14日 22時14分08秒 | 音楽
今年の三月二四日(日)、西荻窪サンジャックでの菜摘&伸太郎ライブの模様を撮った写真をアップします。

バイオリニスト・沖増菜摘さんは、津軽三味線奏者・はなわちえさんとの和洋ユニットhanamasで活躍しているミュージシャンです。最初は、はなわちえさんに惹かれてhanamasに出会うことになりました。何度かそのライヴに通ううちに、菜摘さんの音楽性やルックスの魅力にも耳と目が行くようになり、ついに、そのソロ・コンサートに足を運ぶまでになった、というわけです。

ピアニスト・三枝(みつえだ)伸太郎さんに関しては、菜摘さんやhanamasのサポート役として何度もお目にかかっています。あまりその存在を気にかけていたわけではなかったのですが、いまでは、その演奏力や作曲能力を高く評価するようになりました。

当日は、ヴァイオリンをフィーチャーした小曲がメインで、菜摘さんの素朴で可愛らしい側面がよく表現されていました。彼女の新しい魅力を発見できてとてもよかったと思っています。

写真は、あまりよく撮れていないのですが、死蔵しておくのももったいないし、イザ!ブログにはMBの許容量の関係でアップできなかったのに対して、こちらのブログではそれが可能なことが分かったというのもあるし、ということで、思い切ってアップすることにしました。そのせいで、撮影日とアップ日の間にタイム・ラグが生じてしまったのです。ま、ご笑納くださいませ。


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昨日、「江戸東京たてもの園」に行ってきました  (イザ!ブログ 2013・4・17 掲載)

2013年12月14日 02時50分11秒 | 報告
昨日私は、「江戸東京たてもの園」に行ってきました。知人たちが「あそこはいい」と異口同音に勧めてくれたからです。私の場合、当地への最寄り駅が西武新宿線の花小金井駅だったので、そこから武蔵小金井行きのバスに乗って約10分、小金井公園西口で降りました。「江戸東京たてもの園」は、当公園の広大な敷地の一角にあるのでした。

私のお目当ては、高橋是清邸です。入口のビジターセンターをくぐり抜けてすぐ右手に、是清邸があります。ためらうことなく、まずはそこへ行きました。思えば、是清はこの邸で二・二六事件で決起した青年将校たちによって惨殺されたのでした。にわかにそのことを思い出して、ちょっと興奮気味に一目散に二階に登って行きました。二階にいた係りの女性に確認してみたところ、彼女は「ええ、そういうことになっています」と面白い返事の仕方をしました。まあ、正確といえば正確な返事とは言えるでしょう。



是清が寝ていた部屋。明け方5時5分に襲撃された。 *写真にカーソルを当ててクリックすれば、写真は拡大されます(ダブル・クリックをすると原寸大になって見にくいので、おすすめできません)。以下、同様


是清が寝ていた部屋から外を臨む。


是清が寝ていた部屋から隣の部屋を臨む。掛け軸の文言は、「不忘無」と読める。「金も地位もなかったときのことを忘れるな」という自戒をこめているものと思われる。


二・二六事件を伝える当時の新聞(朝日新聞)。


青年将校たちは、この階段を土足で駆け登ってきた。なお、手すりは当時なかった。彼らが是清宅にとどまったのはほんの10分程度だった。


外から、是清の寝室を見上げる。

私は、若い頃から数年前まで、二・二六事件を起こした青年将校たちにどこか惹かれるものを感じていました。少なからず読んだ三島由紀夫の影響もあったのかもしれません。また、父がかつて海上自衛官だったこともどこかで作用していたのかもしれません。ところがその後、当時の高橋是清が日本の経済危機を幾度も救った国の宝のような存在であったことを知り、そのことが腹の底にずしんと来るにおよんで、青年将校たちに対する年来の評価がほとんど180度変わってしまいました。当時の是清が日本にとってどれほどに貴重な存在であるのかを一向に解せず、「君側の奸」と目して彼を問答無用とばかりに惨殺した青年将校たちの思慮の浅さや夜郎自大ぶりやどうしようもない愚かしさがどうにも許せなくなってきたのです。いまでは、彼らを単なるボンクラとしか思っていません。いまの私には、すべてを知りつつなおも彼らに心を寄せる人たちの気がしれません。子供じゃあるまいし、動機が純粋だったら何でも許されるわけではありません。そういう議論には、嫌悪の念すら湧いてきます。その住まいから、是清の閑寂な暮らしぶりを偲ぶにつけ、その思いを新たにしました。

是清邸を後にして、「下町中通り」という映画『Always 三丁目の夕陽』のセットのような一角に行ってみました。そういうところに身を置くと、身体がゆるゆるとほぐれてくる自分を感じます。これは、理屈ではありません。私は、どうやら頭のてっぺんからつま先まで貧しい昭和の人間のようです。感傷的な言い方になってしまいますが、「下町中通り」がどこまでも続いていて、そこに迷い込んでしまい、もう二度とその外へ出ることが叶わない状態に陥ったとしても、私はおそらく後悔せずに、けっこう楽しい思いを抱いたまま昭和の色濃い界隈をさまよい続けることでしょう。はい、これはもちろん単なる妄想です。何かを主張しようというわけではありません。もしも、この思いを共有できる方がいらっしゃったら、とても嬉しいと思います。

次の写真は、小寺醤油店という、大正期から現在の港区白金で営業していた店の店内です。



これを見てピンと来る人は、昭和の空気をふんだんに吸い込んだ人ではないかと思います。私は、缶詰をアップする誘惑に勝つことがかないませんでした。下の写真なんて、あなたの記憶のどこかにひっそりと息づいていたりしませんか。



次の写真や、その次の写真はどうですか。




こんなレジスターもありましたね。



私の母方の実家は片田舎で萬屋(よろずや)を営んでいました。小学校にあがるかどうかというころに、お店に陳列されているこれらの缶詰をじっとながめては、これらをこころゆくまで食べられたらどんなに幸せなことだろうと、幼い脳みそを食い意地の張った妄想で悩ましくふくらませていたものでした。

次は、台東区下谷の言問(こととい)通りにあった「鍵屋」という居酒屋の内部です。良心的な値段でおいしいおつまみをお客に提供することで有名な居酒屋だったらしくて、作家の内田百なんかも通っていたそうです。



五,六人座れば、満員御礼という狭さ。


この安さが、昭和の雰囲気を伝えている。それにしても、安い。


醤油樽を椅子にするとは、なかなかのグッド・アイデア。

次は、大正時代の仕立て屋を再現したものです。当時の人びとの慎ましい暮らしぶりが偲ばれます。



昭和の家並みや街角をごらんください。


人が出てくるお店は、荒物屋。




台東区池之端の不忍通りに面して建っていた村上精華堂。戦前の化粧品屋さん。その質素さに意表を突かれる。

昭和の世界にトリップした後、ちょっと疲れたので、武蔵野の自然のやわらかい色彩で眼を喜ばせながら、ひっそりとした緑のなかをしばし散歩しました。



最後に、ちょっと気になったので、前川國男という建築家の邸に入ってみました。私は、建築についてはまったくの門外漢ですが、彼はきっとすごい建築家であるにちがいないと思いました。なんというか、人がもっともクリエイティヴになりうる環境はどういうものなのかということについての感覚が研ぎ澄まされているような気がしたのですね。室内空間のつかみ方が天才的なのです。私はプロのカメラマンではないので、それをどこまでつかまえることができたのかはなはだおぼつかないのではありますが、次の二枚の写真から、その雰囲気の一端でも感じ取っていただければ幸いです。


ここは、休憩室。ここでくつろいでスタッフと語らいながら、アイデアが浮かぶのを待ったりしたのでしょうかね。


仕事場のピンと張り詰めた空気をいまだにとどめています。

なにがどうということもないといえばないのですが、「江戸東京たてもの園」、結構楽しめました。気楽に一人でぶらっといらっしゃることをお勧めいたします。詳細については、こちらをご覧ください。www.tatemonoen.jp/index.html

あ、そうそう。花小金井駅からだったら、南口を出てグリーン・ロードをまっすぐ行けば、緑の中を散歩しているうちに三〇分くらいで小金井公園に入れます。これ、とても気持ちいいですよ。わたし、帰りはそうしました。行き方は、駅員に「小金井公園の小平口まで、グリーンロードを歩いて行きたいのですが、案内をお願いします」といえば、教えてくれるでしょう。

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