美津島明編集「直言の宴」

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宮里立士氏・「屈辱」と「主権回復」―ひとつの雑感として (イザ!ブログ 2013・4・28 掲載)

2013年12月15日 00時38分20秒 | 宮里立士
安倍首相の肝いりで今年の4月28日、はじめて政府主催で、「主権回復」の式典が執り行われる。この日は61年前の1952年にサンフランシスコ平和条約が発効した日である。これによって、戦後の日本は主権、「独立」を回復した。

安倍首相としては、昨今の竹島や尖閣の問題にも鑑み、国家主権の意義を国民に喚起したい目的からこの式典を行うのであろう(安倍首相に批判的な人びとは改憲の地ならしと云うだろう)。しかし、この式典に沖縄から大きな異議申し立てが出されているとメディアが報じる。

″この平和条約発効日とは、沖縄がはっきりと、本土から分断され、米軍の統治下に置かれた「屈辱の日」であり、この日を基点に沖縄への米軍基地の集中が確定し現在まで続いている。にもかかわらず、この発効の日を式典として祝うのは、沖縄を「日本」のなかに入れていない証明である。また、未だに日米安保体制によって、日本は事実上、アメリカに従属している「現実」を糊塗する安倍政権の欺瞞的本質がここに現れている。″

当式典に対する異議申し立ては概ねこのように要約されるだろう。

沖縄の大手二紙(琉球新報、沖縄タイムス)が、盛大に「屈辱の日」キャンペーンを張っている。「狼魔人日記」というブログで知ったことである(blog.goo.ne.jp/taezaki160925)。「狼魔人日記」は、「沖縄在住の沖縄県民の視点」から沖縄の「世論」を批判するブログである。普天間基地のある宜野湾市在住の方のようで、このブログ主人の沖縄二紙に対する批判には私も概ね共感し、賛成である。

4月28日を「屈辱の日」と呼ぶのを私は最近まで知らなかった。もちろん、この日にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が「独立」し、沖縄のみが米軍統治下に置かれて取り残された「民族分断の日」であり、沖縄にとっては大変残念な日であったということは、 子供のころから聞いていた。しかし、それゆえ、米軍統治時代、この日を沖縄の祖国復帰を念願する日、そして運動を盛り上げる日であったという印象を持っていた。

私は、昭和41年(1966年)2月生まれで、復帰の年に小学校に上がったばかりだった。そのため、復帰前、この日を沖縄県民がどういう気持ちで迎えていたかは直接には知らない。しかし、復帰後、この日が「屈辱の日」だったとは、身近な大人から聞いた覚えもない。中学生のときに読んだ沖縄の歴史を教える教科書の副読本に、サンフランシスコ平和条約の発効で沖縄のみ米軍統治下に置かれ、本土と分断されたという記述があり、ここから無念さが伝わったのは覚えている。

しかし、これは先の「狼魔人日記」のブログで紹介されていることであるが、沖縄の新聞も1952年の平和条約発効当時は、沖縄が本土から「分断」されたことには遺憾の意を表しつつ、それでも日本が独立を回復したことに喜び、いずれ沖縄も国力を回復した日本に復帰できることを期待する論調が主であったという(「自爆した琉球新報!「屈辱の日」で 」より)。

私自身、吉田嗣延という沖縄出身で、東京で沖縄の祖国復帰運動を実務面から支えた人物の自叙伝を読んだとき、吉田茂がサンフランシスコ平和条約受諾演説で沖縄、小笠原の日本の潜在主権に言及したことに吉田嗣延が感動したことが綴られていたのを目にしている。

沖縄は日米が直接、戦火を交えて米軍に制圧された。これこそ大変残念なことであるが、ポツダム宣言を受諾して米軍が進駐してきた日本本土とは占領のされ方が違った。そのため、当時の沖縄県民の多くも、沖縄だけ米軍統治下に残されることは、大変無念であるが現実的には致し方ないとも感じていたのではないか。だからその後の復帰運動で、この日を「屈辱」というより、沖縄の「祖国復帰」を念願する日と捉えていたのではないのか。

そのほかにこの日を「4・28沖縄デー」と復帰前に呼び、沖縄と本土の労働組合が連帯し、デモンストレーションを行っていたことも思い出す。「国際反戦デー」などと並んで、左派色の濃い行事であった。しかしここでも4月28日は「屈辱」というより、米軍基地を全廃したうえで「復帰」を実現するという位置づけの日であったと記憶する。いつから4月28日を「屈辱の日」というようになったのか? 

たしかに左派のなかには早くからこの日をそう呼ぶ者もいたであろう。しかし、これが一般化したのはいつからか。いや復帰後40年も経った今日、普通の県民のどれだけがこの日のことを意識しているのか。実際のところ、今回、安倍首相が4月28日に主権回復の政府式典を開催することを発表して、沖縄の新聞が大騒ぎして、はじめて意識しだした県民が大多数ではないのか。よく知りもしない日に屈辱感を持つであろうか。

ただ、私もこの日を「主権回復の日」と云われると、ほんとうのところ複雑な思いが湧く。保守系の団体のなかで4月28日を「主権回復の日」として祝日にしようという運動が十数年前からある。私も何回か聴衆として参加したことがあり、安倍首相も前回の政権下野の翌年だったと思うが、参加していた。 

主催団体、そして登壇者たちも、この日に十全な意味で日本が「主権」を回復したとは思っておらず、この日をいっそうの日本「独立(自立)」のための日と位置づける運動のように感じた。しかし、沖縄にとってこの日が祖国から分断された記憶の残る日であるとまでは思い及ばない雰囲気でもあった。そのため、この運動が本格化すると、沖縄から批判や苦言が出るだろうとは予想していた。しかし、その前段階の式典開催で盛大に「屈辱の日」キャンペーンが張られるとは思わなかった。

4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ人びとは、沖縄に米軍の専用基地が集中している「現実」は、日本が事実上、アメリカに従属し、アメリカに都合よく「沖縄」が利用されていることを批判して、「屈辱」と呼ぶのであろう。このことは一面の真実を語っていると私も思う。その意味で日本は未だに「主権」を回復していないのかもしれない。しかしそれならば、この「現実」を脱するにはどうすればいいのか?

日本がアメリカに依存しない国防体制を整備するしかない。それならば、自衛隊に背負わされている多くの制約を外し、米軍に依存しない国防体制に改めるべきとなるはずである。そのためには現憲法9条の改正も視野に入れなければならない。しかし、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ者のどれだけがこれを考えているだろうか。現憲法を「平和憲法」と言い習わし、自衛隊にすら反対していて、本当に「主権」が回復できると思っているのであろうか? 

今回の主権回復の式典には私も複雑な思いが湧くと、先に述べた。しかしこれを「屈辱」と声高に叫ぶ人びとには、もっとはっきりと違和感を持ち、不快感すら抱く。なぜなら「主権」が回復していないと抗議しながら、一向に「主権」回復を考えようとしないからである。

しかし、ここに「戦後日本」の70年近い倒錯した「現実」が反映されているかと思うと、式典への複雑な感情以上の、痛切の思いがこみ上げ、それをどう修復すればよいのか途方にくれる。サブタイトルに「雑感」と記したのはこの思いからである。

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