@MON PARIS

「わたしのParis空間で…」

お知らせと近況。

2011-03-22 07:03:52 | おしらせ
このたびの震災におきまして被災地および被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。
また多くの尊い命が失われましたことに深い悲しみとともにお悔やみ申し上げます。
そして今なお続く余震・原発による不安事象で心の休まる間もないこと、
この半月でどれだけ多くのことを悲しみ、深く考え、祈ったことでしょうか。
今、こうして文章を書くことがやっとの思いで、
それまで何をどう書いてよいかわからないほど混乱しておりました。

遅くなりましたが、ここで我が家の近況をお知らせさせていただきます。
私の住むエリアも大きく揺れましたが、
家族全員、また家も大事には至りませんでした。

あの日は午前中娘のリトミック体験に出掛け、そのあと卒園式のため幼稚園がお休みで
平日なのに帰ってきていた姉、子供たち全員で庭で遊んでいました。
突然の大きな揺れにみんないっせいに庭の中央に集まりそのまま様子を見ていましたが、
長い時間をかけどんどん激しい揺れに。。。
家の中からは「ガチャーーーン!」という音が聞こえ、
思わず心配で入ろうとして止められて、みんなで固まっていました。
隣の車はバウンドしながら飛んできそうなくらい、
電線は大きくゆらぎ、地面がうねって見えました。

何秒続いたのでしょう…その間にいろいろなことを思いました。
ついに関東で大規模震災が来てしまったと頭をよぎり、
その瞬間に最悪な事態まで想像し言いえぬ恐怖と不安で気持ちが悪くなってしまったほど。

その後、徐々に被害の大きさが露わになり、
想像を超えた大災害にこれほどの喪失感を感じたことがないほどでした。

もうすぐ3週間。
これほど時間が長く感じたことはありません。

この半月、私の環境も大きく変わりました。

今、夫の仕事先である香港におります。
震災後、すぐに呼び寄せがあり不安も多々あったため、着のみ着のままやって来ました。

地震にあった直後、離れている夫とこのまま会えなくなるのでは?という恐怖を感じ、
余震が起こるたびにさらに何かあって娘がパパに会えなくなる状況だけはあってはならないと、
今思えばそれだけの原動力で起こした行動でした。

そう思った翌日の昼に飛行機に乗っていました。

数日間、夜中寝言のように泣いてパパー!と叫んでいた娘も
こちらにきてようやく落ち着きました。
それまで私もほとんど眠れず、食事も受け付けず、毎朝吐き気を催していた状態だったので
それが娘に影響していのだと思います。

これまで離れていても少しはさびしい思いはしていたのでしょうけど、
ここまで家族は絶対一緒にいなければならないと思ったことはありませんでした。

香港に来てだいぶ経ちますが、
初めはいろいろな思いでふさぎ込む毎日でした。
それでも私たちは生きていかなければならないし、
家族のためにも笑って前を向いて歩いていかなければなりません。

みんな同じ思いだと思います。

少しずつですが、生活に目を向け
ふんばって頑張っていかなければいけません。

震災の被害に遭われた方、被災地のこと、
悲しみを乗り越え避難所で困難な生活をされていらっしゃる方々のこと、
今なお不安にさらされている福島の土地のこと、
美しい豊かな土地でこれまで頑張ってこられた農家の方々のこと、
二次被害の危機にある近郊、大切な人たち、
今後の日本、そして世界の母なる海まで…考えれば考えるほど
涙があふれ胸が締めつけられます。

ここで私に何ができるのか、何をすべきか、できることなんてあるのか、
毎日のように自問自答を繰り返しますが、答えはまだこれくらいしか浮かびません。
家族を守ること、笑顔を絶やさないこと、健康でいること。。。

明日で娘も2歳
…複雑な思いですが、小さなパーティーをしようと思います。
幸いなことにステイ先で同じく東京から来たという
アメリカ人ファミリーの2歳半のツインズと友達になりました。
歳も近く、すぐに仲良しに。
子供たちの笑顔に癒される日々です。
この笑顔を私たち親が守らないと誰が守ってくれるのでしょう。

今後の日本の復興のためにもしっかりと力を蓄え、
生かされた私たちが元気で頑張ることも大切なことだと思います。

一日でも早い復興、そして平穏な日々が戻るよう今は祈ることしかできません。

合わせてのご連絡で申し訳ありませんが、
今後のお菓子教室予定ですが、このような状況で
いつ再開できるかまだ見当がつかないこともあり、
せっかくお通いくださっていた生徒さまたちに申し訳ない気持ちでいっぱいで
なんてお詫びしてよいか言葉が見つかりませんが、
どうぞご理解くださいますようお願い申し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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