(1) 下り坂と上り坂とは、それ自体としては同じものですが、係わる人の立場から見て、同じものがあるいは下り坂になり、あるいは上り坂になるわけです。ですから、古代ギリシャのヘラクレイトスが「上り坂と下り坂とは同じである」と言ったとかいう話もあるわけです。
(2) 比喩的な使い方の第1としては、人間や物事について、それの力が衰えつつあることを「○○は下り坂である」と言う場合があります。
では逆の場合はどう言うのでしょうか。「○○は上り坂である」とも言うようですが、あまり聞きません。「上り坂である」「上向きである」とは言うかもしれません。
会社の業績などならば、業績は好調である、上向きである、などでしょう。
(3) 比喩的な使い方の第2としては、天気について、「雨に向かいつつある」場合、「天気は下り坂である」と言います。
しかし、最近は、それと同じ意味で「天気は下り坂に向かっています」という言い方をよく聞くようになりました。これは、文字通りに取ると、「今は平地を進んでいるが、その内下り坂になる」、
つまり例えば、「今日明日くらいは晴れのままだが、明日の夜あたりから悪化していく」という意味になると思いますが、実際はそうではなく、既に「悪化しつつあり、雨に向かっている」という意味です。
尚、この「天気は下り坂である」は、台風とか暴風雨とかいったものが来そうな場合には使わないと思います。普通の雨程度に向かっている場合だけだと思います。
(4)朝日新聞の「神宮球場80歳」という連載の中に次の文がありました。
──大学野球とスワローズ。同じ神宮を使いながら、交流はほとんどない。~過去のトラブルから、プロと学生の試合、合同練習は原則禁止だからだ。ただ、~などを話し合う中で、徐々に雪解けに向かう」(2006年10月21日夕刊)
問題はまず第1に、「雪解けに向かう」という表現です。これは上の「天気は下り坂に向かっています」を思い出させます。言葉の世界では「類造原理」というのがあって、同じような事には同じような言い方ないし表現を使いやすいのです。
私見では、しかし、「雪解けに向かう」はおかしい。「雪解けが始まる」くらいではないでしょうか。実際、既に始まっている事を報じているのですから。
第2の問題は、「徐々に」と「雪解け」は重複しないか、です。雪解けというものは徐々に進むに決まっているからです。こういう重複は、丁寧に丁寧にという日本語の風潮で増えてきているように感じます。