マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

牧野紀之

2008年08月01日 | マ行
1、経歴等

1939年、東京に生まれる。
 1963年、東大文学部哲学科を卒業。
 1970年、東京都立大学博士課程を卒業。
 1971年、鶏鳴出版を始める。
 1973年、哲学私塾「鶏鳴学園」を始める。
 1976年、雑誌「鶏鳴」を創刊。
1990年、引佐郡引佐町(現在の浜松市北区引佐町)に移住。
 1991年、04月から哲学の共同生活を始めるが失敗。
2006年、ブログ百科事典「マキペディア」(創刊時の名は「マキシコン」)を創刊

2、思想遍歴等

 大学院卒業までの経歴については「勉強の思い出」を参照。

 60年安保闘争の中で直面した問題と取り組み、ヘーゲル哲学を介して考える中で、生活を哲学する方法を確立した。「生活のなかの哲学」「哲学夜話」(鶏鳴出版)。

 ヘーゲル研究の成果は訳書「精神現象学」(未知谷)「小論理学」(上下巻、鶏鳴出版)など。

 又、社会主義の根源的反省の中で、唯物史観の論理的再構成を目指す。「労働と社会」「ヘーゲルの目的論」(鶏鳴出版)など。

 それの延長線上で、マルクスとエンゲルスの自称「科学的社会主義」を再検討して、その証明の不十分性を指摘する。つまり、それは実際には「空想的社会主義」の1種でしかないことを証明。「マルクスの〈空想的〉社会主義」(論創社)。

 社会運動のあり方としては「本質論主義」を提唱し、具体化している。これと関連して、従来の社会主義運動で理論的検討の加えられなかった諸問題を解明。「理論と実践の統一」(論創社)。

 ドイツ語教師としての活動の中で、関口存男(つぎお)氏のドイツ語学を学ぶ。「関口ドイツ語学の研究」(鶏鳴出版)。

 教育活動では、初めは学校を低く見て私塾を目指してきたが、失敗してからは、学校の可能性を追求するようになる。

 哲学教育の目的を「各自が自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させること」と定式化したこと、その中心的な手段としての教科通信を最大限に利用するようになったことで、新境地を開拓。「哲学の授業」「哲学の演習」(未知谷)。教科通信「天タマ」

 ドイツ語の授業については、教科通信「ユーゲント」

 2003年09~11月、浜松市積志公民館で哲学講座。「松の木

 2004年04月~05年03月、地元の自治会長を務める。

 2010年04月~11年03月、地元の組長(事実上は自治会長に近い。隣の自治会と合併したために「組」になっただけ)を務める。「私の自治会長」を参照。

 2010年3月末をもって静岡大学情報学部でのドイツ語非常勤講師の仕事を終える。教科通信「ユーゲント」

 70歳ころから「学問は一代、思想も一代」と考えるようになり、かつての間違いの根本は「生徒を集めよう」と考えたこと自体にあった、と考えるようになる。

2012年10月、最後の仕事と考える「大論理学」の翻訳に向けて舵を切る。
2012年11月、ヘーゲル「自然哲学」(序論)を訳し、pdf鶏鳴双書として出版。

2013年03月、pdf鶏鳴双書として「ヘーゲルの始原論」を出す。
2013年04月、「大論理学」の翻訳の前に、「小論理学」を見直して出す事とし、見直しを始める。
2013年06月、「関口ドイツ文法」を未知谷から出版。

3、直近の活動報告

 2013年04月から『小論理学』(鶏鳴版)の見直しを始める。同(未知谷版)を出すためである。
 原文のドイツ語を文法的に読むことがしやすくなったのを感ずる。「関口ドイツ文法」を出したためである。
 「ヘーゲルを読んで哲学する」点でも以前よりは前進したと思います。
 2014年7月現在、「現実性」論に入りました。
 2014年9月1日、「本質論」を終えて、暫時小休憩に入る。

 ☆ 「私の研究生活」(2014年10月24日)

 
4、業績一覧

5,社会的活動

 社会的発言は、主として、ブログ「マキペディア」「静岡県庁の真ホームページ」(2010年10月で終える)「浜松市役所の真ホームページ」を中心としている。
私のブログ体験
私のブログ体験、その2
私のブログ体験(その3)

 社会は官と民から成り立つが、両者は並立しているのではなく、官の運営する枠組みの中で民が活動する、という関係にある。だから、その枠組み(法律で決まっている)と運営(担当者の考えと力量で決まる)を国民は監視し検討すべきであるという考えに基づいて、役所のカウンター・ホームページを作ることを提唱し、実行している。〔その後、「マキペディア」に集中)

2011年02月15日、浜松市長選挙への仮立候補宣言を発表。→「仮立候補関係の記事
 同、03月25日、正式立候補は出来ず→「報告と御礼

 (2008年08月01日現在。その後適宜加筆)