マキペディア(発行人・牧野紀之)

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「魔の山」と「菩提樹」

2012年12月06日 | マ行
        赤川 次郎

 97歳で、なお健筆をふるわれる吉田秀和さんの自伝的評論(というか評論的自伝というか)「永遠の故郷郷」(集英社刊)全4巻が完結した。手もとに1巻だけあるが、パラパラとめくって、とても仕事の合間に気軽に読める本でないことだけは分かった……。

 完結を記念してのインタビュー記事を読んで、トーマス・マンの「魔の山」のラストで、主人公ハンス・カストルプが口ずさんでいる歌がシューベルトの「菩提樹」だということを初めて知った。

 私が「魔の山」を読んだのは、クラシック音楽を聴き始める前の高校生のころだったが、もし聴いていたとしても気付かなかっただろう。「トニオ・クレエゲル」を読んでから、マンに熱中していた時期で、「魔の山」も、筑摩世界文学大系の大冊を2日ほどで読み切ってしまった(佐藤晃一訳)。

 「魔の山」は、善良で純情な青年ハンス・カストルプが、スイスのダヴォスにある結核の療養所(ベルクホーフ)に従兄を見舞うところから始まる。ここで自分も結核にかかっていると分かったハンスはそのままとどまることになる。

 様々な国の人間が暮らす「ベルクホーフ」は第1次大戦前のヨーロッパの縮図で、特に、伝統的なヒューマニズムを信じるゼテムブリーニと、虚無的なユダヤ人、ナフタの2人が、いわば白紙のハンスに影響を与える。

 10代の私にこの本がどれほど理解できたのか、怪しいものだが、約3分の2ほどの所にある「雪」の章が、この本の核心を成していることは間違いないと思う。スキーを覚えたハンスが、一人雪山へ入って道を見失い、太古の沈黙の中で死の誘惑に直面する。しかし踏みとどまったハンスは、「人間は善良さと愛とを失わないために、死に思想を支配させてはならない」と決心して、無事に雪山を脱出するのだ。

 その意味が分かっていたかはともかく、高校生の私にも、この言葉は強く響いてきた。

 論敵だったゼテムブリーニとナフタは、ついにピストルで決闘することになる。チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」の決闘の場で、私はいつもこの雪山の決闘の場面を思い出す。

 ゼテムブリ一ニは弾丸を空に向かって撃ち、それを見たナフタは自らこめかみを撃ち抜いて死ぬ。この2人は、おそらくどちらも現実の世界では生きられない存在なのである。未来に絶望しているようなナフタは、この後にドイツを覆うナチスの影を予感させる。

 ハンスは「ベルクホーフ」で7年間を過ごす。その彼を現実世界へ連れ戻したのは第1次大戦だった。祖国のために銃を取ったハンスは、死の戦場で泥にまみれて歩みながら、「菩提樹」を口ずさむのである。

 シューベルトの「冬の旅」は、暗く希望のない歌曲集だが、その中で「菩提樹」は唯一、あたたかな印象を与える曲だ。

 トーマス・マンは「魔の山」を「菩提樹」で閉じることで、何を言おうとしたのだろう? いつか、「魔の山」を再読する時間があれば……。

 (朝日、2011年03月03日)

    感想

 強く印象に残った文章だったので、何か書きたいと思いつつ、今日までそれを果たさずに来ました。今日もまだ書けません。

 その後の変化としては、客観的な事では吉田秀和さんが亡くなった事があります。私の方の事としては、第1次世界大戦の実情を描いた映画「西部戦線異常なし」を見たこと(多分、本もそうだったのでしょう)、『チボー家の人々』を遅まきながらようやく通読して、大戦前夜の雰囲気の一端を知ったこと、です。

 『菩提樹』の解釈については関口存男(つぎお)さんの解説を参照する必要があると思います。あれをただ「あたたかな印象を与える曲」と評するのは違うのではないでしょうか。音痴の私が音楽にも造詣の深い赤川さんに何かを言うのは僭越ですが、関口さんの説明からはむしろ「死の誘惑を振り切って進む心情」にピッタリだということになると思います。

          関連項目

『菩提樹』の解釈
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