新年あけましたなぁ。
新年を迎えるということは、何とか一年無事に生きてこれた「あぁありがたい」と思うか、またお迎えが1年近づいたと考えるかどちらかであります。いろいろ考えても何も変わることが無いので、そこは気にしないのがいいかもしれませんね。今年は賀詞交換もリモート、初詣は行ったつもり、寝てもいられないのでブログと、書初めが仕事始めです。
今年の抱負は、オリンピック開催ではありません。書道の作品作りに合わせて「雅号」を持つ、落款用の篆刻印を彫る。シャインマスカットなどのビニール屋根を作って、雨に直接当たらないぶどう棚へ作り変える。洋ラン・多肉などの管理をまじめにやる。 であります。
以前雇用保険追加給付のお知らせが届いたのをすっかり忘れたので、年明けに年賀状繁忙を避けてはがきを返送してきます。なにがどうだか知りませんが、失業保険の支給額を間違え、過少支払だったので追加で支払うのだそうです。葉書には切手をこちらで貼って出せという指示でした。どこまでもしみったれた組織ですね。間違えたのはそちらさんではないのですか?
さらに先日「介護保険証」なるものが送られてきました。あれ、うちは介護対象者なんかいないと思ったら、ワタシ自身の介護なんですね。そうか。65歳になると自分が介護対象者になるのだ、といやな気分でありますな。
暮れになってさらに年金事務所から年金受給繰り下げのお誘いも来ました。70歳まで老齢年金の受給を繰り延べすると最大何十%まで支給額が増えますよ、といかにも先送りしたらお得という文句が並んでありました。
あーあれね。
年金の原資が乏しくなって、今のままでは若い人たちに年金財源を残せず破綻するのが確実になったため、なんとか支給を遅らせようという魂胆です。65歳過ぎても働け、年金は70歳からにしよう、と政府が考えています。70歳から支給となると、せっかく年金を納めた人たちの何割かはそれを待たず命が尽きてしまうのですよ。
ことは単純です、国の言いなりになれば結局は我々国民の受給額は減る、これが自明の理です。年金を払いたくないので理屈をつけ出し渋っているだけなんですね。お値引きします、クーポンが付きますと言っては、定価を高くした商品を押し付ける商法なんです。
加えて、75歳以上の高齢者の健康保険料負担割合を1割から2割に引き上げるそうであります。増大する社会保障費を賄うために消費税を引き上げてるくせに、どこまでいっても国民負担を強いるのですね。
そうは問屋があろしません。その手は桑名の焼き蛤です。これまでだって、国や省庁の不利になる政策を出すなんてことはありません。なにか始めたら、それは必ず国民にとって不利、負担増になる、と思って間違いありません。自分たちがまき上げた税金や保険料は、すでに彼らのもので、広く厚く還元しましょうなどと考える官僚はいませんからね。
昔ビートルズの曲に「私が64歳になったなら」というのがありました。井上陽水の歌にも「人生が二度あれば」という曲は「父は今年2月で65」で始まります。どうやら、65歳というのは人生の節目なんでしょうね。
まもなく、ワタシも65歳となります。名実ともに高齢者の仲間入りだそうです。政府にとって、働かず年金を貰って医療費ばかり浪費する年寄りには早く冥土に行ってほしい、というのが本音でしょう。
年金は、先送りなどせず来月から予定通りいただきますよ。せめて少しは長生きし、用もないのに病院通いをして国に嫌がらせをするとしますかな。