植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ラン、難しいゆえにのめりこむ。来年もおたの申します

2019年12月31日 | 植物
洋ランはじめて5年目です。難しいと聞いて栽培を躊躇っていたものですが、ある日安いランを見かけ、ままよとばかりカトレア・デンドロビュームを買ったのが最初でした。
以来、胡蝶蘭、パフィオペディルム、セロジネ、シンビジューム、オンシジュームなど次々と手を出して、次々と枯らすの繰り返しでありました。やはり、素人にとって洋ランはハードルが高い植物群でありますな。
 ランは非常に適用力が高く、根・株や葉、種でも増え、異なる属でも交配し地球上で最も種を増やし続けている植物です。乾燥した日陰でも、じめじめしたジャングル、土の無い樹上などでもしぶとく成長と繁殖を続けるのですが、寒さと過湿に弱いのが弱点です。
 良く知られているのは「着生蘭」、地表になく樹木、岩石にへばりついて生活し、根は空気中に出ています。太いミミズのような根を出す種類が多く、吸水と酸素吸収のほか、樹皮や石のようなものにへばりつく機能があります。葉でも水分を吸収できるのが一般的なので、土に根を張り細かな根を張ることをしません。この他に地生ランと呼ばれる地表の土に生える蘭もあります。パフィオペディルムやシンビジュームがそうなのですが、これも畑のような土には育ちません。軽石や砂礫に腐葉土が混じったような土を好みます。エビネや寒蘭などの東洋ランもその類ですね。
 ですから、植え込み材も水苔・バーク・軽石・ココナッツチップなどを用い、普通の土は使いません。この特性を理解していないワタシは、水遣りのし過ぎで枯らすことが多かったのです。
 今年最後のブログ、気の利いた文章など考えるだけ無駄、なんとか今年花を咲かせてくれた蘭と今年ウチに来た洋ランたちをどうぞ。

パフィオペディルム、唯一咲かすことができました。 
 優しい色の胡蝶蘭。贈答用お祝い用が多いせいか、品種名が表示されることが少ないですね。
こちらも白花の胡蝶蘭。ワタシの胡蝶蘭は、大体五本に一つくらいしか咲きません。打率で言えば巨人の小林レベル(笑)
これは、うーん名前がわかりません。札が取れるといつかそうなります。
こちらは、「神々の蘭」「幻の蘭」とも言われるディサという蘭であります。クールオーキッドと呼ばれ、暑さが苦手、難しいと言われる洋ランのなかでも特に上級者向けとありました。案の定夏場を越せずに消えました。マボロシーーー

 洋ランの花蕾。綺麗ですね。これも名前不明(´;ω;`)

 こちらは、多分「紫小町」ジゴニシアの一種で、ほのかな香りが奥ゆかしいです。たしか、シンビジウムが育てられればそれと同じでいい、と言われて買いました。

最も薫り高く、チョコのようなバニラのような花のシャーリーベビー。お菓子屋さんに入った時の香りがします。ワタシでも育てられる数少ないオンシジウムです。

これは、二日前に開花したカトレア「ビューティフルサンデー」とありましたが、毎年開花するいい子です。

 これも、名前が・・・。カトレアの仲間で、上品な香水のような香りがいたします。

オーキッドコーナー 開花中の洋ランを主体に、日当たりが良く、暖かく、湿度が高い換気のいい場所です。ワタシのプライベートオフィス(笑)のそば、目の前にあります。

今年のお正月からスタートしたこのブログ、まもなく1年です。
こけつまろびつ、なんとかここまで永らえてまいりました。どなたか存じませぬが、来られた方々に感謝いたします。何卒来年も御贔屓の程お願いいたします。
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盆とお正月がいっぺんに来たようだ

2019年12月30日 | 雑感
いよいよ明日は「おおつごもり」大晦日です。
近所のショッピングモールやホームセンターなど、普段見かけないほどの賑わいです。昨日お昼に行った「ららぽーと」のフードコートは、若い家族連れでごった返し、特に小学生以下の子供が多いのにはびっくりいたしました。見渡す限りちびっこだらけ、泣き声や歓声で騒がしいのは、なんとなく心地よいものでもあります。

 ワタシら夫婦も、年越しのそばなどを買いに出かけたのであります。子供たちが年末年始には実家に戻って来ますので、少しは食材をストックしておく必要があるのです。
 しかし、子供たちが社会人になっていいオッサンになってくると、気を利かせて、お節料理から、ラーメン・フグ鍋・牛タンなどをお取り寄せや持ち寄ってくることになっており、普段お目にかからないご馳走が一気に集まるようです。
 ワタシらは、天ぷらそばとか焼き魚などで事足りるのですが、みんなが集まるせっかくの暮れ、正月なので、ステーキ肉とタラバガニは用意してあります。

 ところが、昨日あたりから、これに加えて別の総菜・お料理が届き始めました。次男が名古屋からウナギを買ってきたのが始まり。昨夜はおでんと牛丼をお鍋ごとご近所から頂戴しました。明日は年越しそば用の天ぷらと煮物が、親せきから届きます。


 家内が、ご近所さんや親しい親戚に食材を持って行くと、その一部が調理され総菜として戻ってくるという有難いシステムがあるのです。
 卵をパックで差し上げるとおでん、ひき肉をもっていくとハンバーグ、冷凍エビを持って行くと海老天になって戻ってきます。仲良しの家庭の間で頂き物や過剰な食べ物を融通しあい、料理すると余分に作っておすそ分けという仕組みでありますな。食べ物を無駄にしない、料理の手間がかからずにおかずがいただけるというコンセプトは、昭和の前半の時代さながらでしょうか。太りすぎ高血糖に注意しなければならないワタシらにとって、おいしいものを少し食べられれば大満足であります。
 ワタシも少しではありますが、野菜を作っておりますからご近所に差し上げて喜ばれています。最近ではロマネスコ・カリフラワーあたり、もうすぐ大根も収穫します。あまり、元手を掛けないものを上げて、結構な頂き物をすることが多いので心苦しくもありますが。

 しかし、それにしても、どう考えても食べ物の質量が過剰になっています。全員が揃うのは明日の夜とお正月2日まで三日間。2日はゴルフだし、若い者は、なにかしら外での約束もあります。家でみんなで食べても余るのは確実なのです。お正月とは言え、なんという贅沢、なんという浪費でしょう。世の中には、まともに3度のご飯も食べられない人が大勢いるというのに。

 帰省からそれぞれの自宅へ戻る子供らに「お持たせ」し、あとは冷蔵庫に入れてちびちび頂いて、なんとか無駄にしないよう努めてまいりましょう。


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土にかえる(還る)最終回

2019年12月29日 | 植物
ワタシの土づくりと植え付けについて、しばらくの間ご紹介しましたが。今日はその最終回にいたします。

 試行錯誤しながら土づくりを始めて8年経ちました。ワタシのナマクラガーデニングでも、植物たちは、実に逞しく、野菜の幼苗や一年草でなければ、たいがいは丈夫に育ちます。日陰を嫌う植物(耐陰性が無い)だけは、植え場所を間違えると、いつまでたってもヒョロヒョロ、生育が悪く花もつかないということになりますがね。

 水遣りも、地植えの場合はよほどのことが無ければ散水しません。自分が作った土の力を信じていいと思います。1ケ月も降水がない日照りの場合はさすがに数時間かけて水を撒きますが。植えたばかりの野菜苗や草花は2週間くらいは水を切らさないようにします。根が張ってくればあとは植物に任せればいいのです。

 畑は、暇があれば耕します。天地返しといって、深いところにある土を日光にさらし消毒する、酸素を取り込んで通気する、肥料や土を均等化します。
 頃合いをみて、追肥もいたしましょう。固くなった土はたい肥など有機物を混ぜ込んで耕します。今からは、花が咲いた後のバラにお礼肥やら、果樹に寒肥を施したりします。この冬は、郊外の牛の牧場で扱っている飼い葉交じりの牛糞を使ってみようと思います。マルチングになりますし、根に優しい効き目の緩やかな有機肥料です。

 普段は、雑草を抜きながら土を触り、土中の虫の状態を観察し、湿気や通気状態を確かめます。どこまでいっても土が原点であります。おかげで足腰は痛むし、爪は土が入って黒くなり、手のひらは一年中乾燥とささくれでガサガサ、人に見せられません。

 こんな暮らしが、いつまでも続いて欲しいと希います。ストレスが無く、花や鳥、風に光に囲まれた時間がどれだけ得難く、かけがえが無いことなのかはやったものでないと分らないのかもしれません。

 しかし、永遠に続くことはありません。
 不変ということ、それは唯一すべては変わるものだという真理でしょう。
自分が幸せであり平穏であれば、いつかは終わりが参ります。自分の身体もいづれ尽きるときが参ります。そして、万物がそうであると同じく土に還るのです。

 今、毎日育てている植物たちも、いつか枯れてしまうでしょう。ワタシの世話下手のせいか、寿命なのかは分かりません。しかし、はっきりと意識しているのは、ワタシが自分の手で処分してしまう日が来るのだろうということです。家内や子供たちが、ワタシの亡き後、植物を管理してくれることに期待してはならないと覚悟しています。植物に限らず、いざという時遺族に手間や厄介ごとを残さぬよう備えることが終活でありましょう。

 木々の根が深く張らぬよう浅く植え、ぶどう棚も自作の温室もすぐに撤去できるよう、わざと固定具を減らし仮止めのようにしています。コンクリートも極力使わずに作業します。

 今年も、あとわずかで終わります。もう少し楽しみたい、もう少し今の生活が続けられたらと願いつつ草を抜き、落ち葉を集め、掃除をいたします。
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金をかけなくても、日本や地域が良くなる方策はたくさんある。

2019年12月28日 | 時事
先日ぼんやりとテレビを眺めていましたら、BSTBS,報道1930で、面白い内容の話題が取り上げられていました。

 日本で最も小さな村、富山県舟橋村の人口が、日本一の人口増加を遂げているという話。富山県は、世帯当たりの所得が東京を上回ってトップレベル、車の保有率や支出額・貯蓄額もほとんどが1,2位の経済的に豊かな県であるというのもよく知られています。

 どうして少子高齢化社会・大都会一極集中で、地方の限られたところだけ、人口が顕著に増えるのかという理由がいくつか紹介されました。住居費が安く、通勤のための道路網が整備され渋滞が無い、図書館を駅前に作ったなどなど。また、休耕田を借り上げ農業を奨励したという効果もあったようです。村長が、あちこちの圧力に屈しなかったのが最大の要因だとも。
 こうした、一部の市町村への人口流入は、他都市との綱引きで、相対では変わらない、と間抜けな理屈をこねる識者もいますが、そうではありません。生活に適した環境、合理性と豊かさが整った地域が増えれば、自然に若者が集まり結婚し、子供を産むというゆとりにつながるのです。すると、さらに、住宅需要・消費の増加で経済効果が高まり、就業チャンス・収入増が見込めるという好循環を生み出すのですね。

 さらに、先の台風で、越水・洪水を生じた河川流域の上流には取水ダムが多く存在し、氾濫の一因だったとか、田中角栄の列島改造論は間違いだったとか、興味深い事例や自説が披瀝されていました。

 その内容もさることながら、解説者・出演者が、実に楽しそうに活気のある議論をしていたのが印象的でした。この手の番組は、やれ日韓関係だ、やれ桜を見る会、習近平がどうした等々、言っても仕方がない(ほとんど世間話に近い)議論になります。想像と推論にとどまり、世論形成にもなりませんし、みんながてんでに知ってることを言い合って結論などありません。「さて、今後の展開はどうなるんでしょうか」「目が離せません」など軽くしめておしまいです。
 その点昨日の討論は、好事例や前向きな解決策の端緒になり得る様々なヒントが盛り込まれておりました。

 東京などの大都会で高コスト、劣悪な住宅・就業環境のなかで暮らすことより、郊外や田舎で豊かな生活が可能であり、幸せになる確率が高いことかもしれない。
 ダム建設などに代表される巨額の公共工事は、当初の目的が失われても作り続けられ、やがて自然や日本人の生活・環境を脅かす懸念が強いのも明らかです。
 農業が、今後日本の将来を変えていく有望な手段になり得ること。そして、心のみならず健康・生計にもプラスに働くだろうことの再認識もできました。
 今まで、正しいと思われていた政策・公共的な投資・事業は正しくなかったかもしれない、時代や将来の夢に逆行していたことに気づくべきだと思います。

行政(公務員)の無謬性という言葉があります。有権者に選ばれた議員が決めたことを行政が執行・施行するのだから、また今までそうしていたから、正しいことなのだ、という理論です。正しく判断されてベストの施策が行われていたというなら、今の日本は、最善の結果であるという理屈になりますね。

 ワタシ達は、今までが間違っていたのだ、という前提に立って、次の社会をつくる行動が求められているのだと思います。
 裁判所は判例主義を見直す。殺人したら原則死刑。役所は前例主義をやめ、予算の作成方法を根本から変える。選挙制度も変え1院制にして議員定数を減らし、指導者は、国民の直接投票を導入する。やりだしたらきりがありませんよ。
 あー、憲法。これも全部一度なしにして、一から作ったらいかがでしょうか。

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花ばかりが人生ではありません 葉っぱもいろいろです

2019年12月27日 | 植物
植物の楽しみ方は、やる方によって勿論千差万別であります。
ワタシも、最初に感じたのは当然ながら「花」の美しさでした。
 花芽が付き、蕾が膨らんでくるとワクワクいたします。特にそれが、咲かせるのに手間や困難があればあるほど開花した時の喜びも一入ですね。

 次に、ガーデニングの楽しさでは、若葉や新芽が出ることでしょう。種を撒いたら、水を遣りある朝、土から発芽した緑が顔を出すと、なんともいとおしくなります。
 バラの挿し木は、挿した茎から赤いニキビのような膨らみが出てきます。水耕栽培では、真っ白なひげ根が下りてきます。そうした日々の変化が、園芸家のみならず、植物を育てて楽しむ人々に、喜びややりがいを与えてくれるのでしょう。

 今年、中でも再認識したのが「葉」の美しさです。
幾何学的な造形、天然の色彩の妙は葉っぱにも宿ります。
これは「コプロスマ」
厚い光沢のある緑が、冬になると赤紫に紅葉します。常緑樹なので、春にはまたグリーンに戻ります。

こちらが観葉植物。「アロカシアアマゾニカ」、深い緑色に薄い銀色がかった葉脈が走ります。

次は、今年ワタシの所にやってきたカンナ「ベンガルタイガー」であります。夏から次々と濃い黄色の花を咲かせますが、葉の鮮やかな縞模様が見事です。

こちらは、イワヒバ(別名岩松)、シダの仲間ですから花は咲きません。乾燥したり寒くなると茶色に丸まりますが、春になるとこんな風に蘇ります。

これは、ジャカランダ。非耐寒性の植物で、世界三大名花に上げられるそうです。日本の本土の平地では冬越し出来ません。しかも開花するまで数十年かかるとも言われるので、花を見ることはまずないでしょう。

次なるは、多肉植物子宝弁慶草(コダカラソウ)です。花も咲きますが、なんといってもこの植物は、葉の縁に子株をつけるのがユニークです。これが、ぱらぱら落ちて、あっちでもこっちでも成長します。クローンでありますな。

さて「朝霧草」、日本の山野草かと思いきや、ロシアのサハリンや北方4島に自生する植物、これも花は地味で、むしろ摘んだ方がいいとも言われます。

これは上から見た「高砂百合」で放射状に細葉が伸びてきます。ワタシがガーデニングを始めた頃、片隅に生えてきて面白いのでそのまま開花まで育てました。義母が亡くなった日に開花したのが印象的でしたね。

最も葉っぱで鮮やかなのがこれ「カンナ ダーバン」です。平塚市のはずれにある植物園「花菜ガーデン」で見かけたのが初めてでしたが、一目惚れしました。ネットで探してもなかなか見つからず、花菜ガーデンに行ってシャベルでちょいと掘って少し頂こうかとまで考えましたが、さすがに思いとどまりました。
どうです、素敵でしょう。夏にはオレンジの花も咲きますよ。


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