植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

マイノリティーや障害者だから特別か?

2021年08月31日 | 時事
今朝はタブーに触れてみようと思います。

 当地平塚は、数十年緩慢な衰退時期に入っており、繁華街であった駅前も寂れ、往時の面影を残していません。全盛であったパチンコ店すら閑古鳥で、記憶しているだけで4店舗潰れました。その理由は大きくは少子高齢化と長引く経済の沈滞(失われた40年)によります。加えて当地で顕著なのは、まとまった駅前の駐車場がないことと、駐輪場の整備の遅れがあります。駅前の七夕通りは、片道一車線をコインパーキングに変えて渋滞の元凶となり、手軽に路上駐車してさっと買い物をするという車を寄せ付けなくなりました。

 もっといけないのは自転車の路上駐輪を敵に取り締まったために買い物客が遠のいたのです。片っ端から委託業者がそこらの自転車を撤去しました。聞けばその理由は、歩道に多くの自転車があるために目の不自由な人が点字ブロックを伝って歩けないと言うのです。
 目の不自由な人な少数の人(おそらく当市で数百名)のために、多数の市民が不便を感じ、駅前に客が来なくなり百貨店から商店まで売り上げが落ちる一因となりました。

 昨今では、社会的少数者(マイノリティー)の権利を守りその立場や主張を尊重するという風潮が高まりました。それは大変結構なことなのです。しかし、そのために公共の利益を損なうとか、メリットとデメリットのバランスを無視しては本末転倒となることを見落としてはならないと考えるのです。

 例えば性的マイノリティや性同一性障害については、法整備を含め徐々に社会の理解を得るようになりました。だからといって、そうした人が増え続け、常に社会生活で同等の権利を主張し始めると、混乱や社会的規範の崩壊、新たな法整備の必要性が出てきます。この社会では単純に男女の区別だけだったものに、第三の性を設けるにはその数はあまりにも少なく特殊なのです。周囲の人間が特殊性を理解し、差別なくそれなりに温かく受け入れる、程度で十分だろうと思います。

 それで障害者というマイノリティーであります。公には日本では7%くらいが障害者と認定されています。こういう人たちは、多くは社会生活を営む上でなにかしら公私の補助・援助が必要になります。程度や障害によっては普段ほとんど不便も無い方から、寝たきりで自分では何もできないかたまでまちまちであります。

 社会やその人の周囲の人、公共もそうした人が人間らしい生活が出来るよう配慮するのは当然であります。だが、一方で旅行に行くのに電車や駅をバリアフリーにしろ、とか、宿泊施設が障がい者を差別するなとかいう話が絶えません。あるいは、障害者のフリをして生活保護を受けたり、医療費はかからず、タクシーで通院も行政持ちという事件もありました。障害者に優しい環境を整備するのが当たり前だろうという理屈です。税金も医療費もただ、さまざまな割引を受けられる制度もあります。ある意味、健常者より恵まれていることもあるのです。

 今度のパラリンピック、ワタシが好んで観戦するスポーツというのは、ハンディ無し、想像を超えて最高レベルの選手が超人的なパフォーマンスを発揮するのをみて感心したり興奮したりするものだと思っております。だからプロレスや大相撲などの八百長興行などは見ません。ルールもわからず周りに介護者がいて面倒を見たり、高性能な義足で無いと勝てないとか、障害の度合いによって区別される競技などには興味がわきません。中には、障碍者を装って健常者がプレーしているとも聞きます。

 民放は視聴率が取れない(関心度が低い)のでパラリンピックを放映しません。たまたまTVをつけた時、偶然女子柔道で日本選手が送り襟締めで「落ちて」ピクリとも動かない場面に遭遇いたしましたが、障害がある弱者に激しいスポーツをやらせる方がどうかしていると思います。死んだり大きな障害が残ったらどうするの?

 そもそもパラリンピックに出場できるアスリートは、平均的にはとても恵まれた人たちだろうと思います。普通ならば、家族に介護されたり、障碍者施設に入所したり、運が良ければ障がい者枠で軽作業に従事します。障害者手帳のおかげで最低の生活や医療は確保されています。
 競技としてのスポーツをしている障害者は、それに比べるとスポンサーや支援者に恵まれ、家庭にも余裕があるから出来ることなんです。そこらのニートや貧困の若い家族、非正規雇用者の方がよほど困窮しているかもしれません。社会の狭間で、誰からも顧みられることなく、生活苦で命を絶つ健常者は大勢いるのです。

 偏見だ、との批判を恐れずに言います。コロナが蔓延し、毎日多数の在宅死まで出ている時期に、ごく少数の障がい者のために、これだけの大きな大会を大金をかけて開催し、近県から児童生徒を動員して観戦させることに、過剰なマイノリティー(障害者)への配慮、アンバランスな社会的組織行為と感じるのはワタシだけではありますまい。

 自分がそうなったら、そんなことは言えないだろう、などマイノリティー、障害者に対するアンタッチャブルな風潮があるのでしょう。

 昨日のパラリンピックの国別金メダルは中国54個で、次がイギリスの26個。日本はわずか5個であります。どこかインチキ臭い中国選手の選考(障害認定など)の結果、こんな中国に名を成さしめるために、リスクとコストをかけて大会をやってるんじゃない?とその不合理さを考え不愉快になるのです。
障害者の皆さんは、シアワセになる権利があり、社会全体で理解と援助をすることも肝要です。ですが、銭は、中国人の障がい者や一部のスポーツに振り向けるより、他に使うべき道があろうと思います。

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中田や巨人を責めてもしかたないのでは

2021年08月30日 | スポーツ
ついにわが巨人軍が阪神を勝率で上回ってセリーグトップに立ちました。開幕後五か月ぶりであります。とはいえヤクルトと合わせて3チームが僅差でほぼ横並びですから、これからのペナントレースは益々面白くなってきたと言えます。

 阪神は、昨年からずっと解消できない守備の不安・エラーの多さと、起爆剤になったルーキー佐藤の打撃不振、夏の甲子園での長期ロードによって、戦績が急降下しました。ヤクルトは村上を中心とした攻撃力が増してきて侮れない相手であります。巨人はエース菅野の怪我・不調が長引き、当分役に立ちそうにありません。期待の若手投手直江や横川は制球が甘く、いまだに勝ち星なし。ドラ一即戦力平内やら太田、山崎などは手術して1.2年でこれも戦力になっていません。外国人とポンコツ投手をだましだまし使う原監督の采配に依存するところが大きいのです。

 そこで、いつまでも叩かれている中田翔問題であります。叩いたのは中田なんですが(笑)。日本ハムの主力打者としてずっとチームを牽引してきた強打者は、一方でやんちゃぶりも健在、チーム内で誰も抑えが効かなくなっていたと聞きます。そこで、若手選手を殴打した事件が起きて、球団も無期限謹慎処分としました。

 おそらくは、今シーズン絶不調に陥り2軍を行ったり来たりしていてフラストレーションも溜まっていたのでしょう。日ハムも、調子が上がらぬ主砲の普段の行状に手を焼いていたのです。そして、謹慎して2週間も経たずに巨人への電撃・無償トレードとなりました。ワタシは、セリーグにトレードとの観測記事を読んだとき、まさか巨人は無かろうと思いました。巨人軍は、紳士たれと言われてきたので、茶髪・ひげ・じゃらじゃらのネックレスの中田は受け入れられないだろうと。

 暴行事件を起こしながら日にちを置かずして謹慎を解き、すぐにトレード、巨人も何もなかったように一軍に上げてスタメン扱いしています。案の定、ネットでも識者からも中田問題を取り上げ、未だバッシングが収まりません。誰が悪くて何が悪いのか論点がバラバラのようです。巨人にも、金があるから他球団から強奪している、から始まって、コンプラがどうだとか、本来今シーズン謹慎すべき選手をなんですぐ使う?と、とばっちりであります。挙句に、桑田選手のドラフト指名や江川問題、原監督の暴力団への資金授受まで持ち出す人もいます。

 巨人に限らず、どの球団でも選手獲得にまつわる黒い疑惑、暴力事件、選手のギャンブル・犯罪などが起きてきたことは皆さん承知であります。プロスポーツでお金が物を言う業界ならば、こうしたことが根絶できるとは思えません。やってる選手など、野球しかやってこなかった、世界が狭い社会勉強とも無縁の人が多いのです。相撲を見ればわかります。暴力が日常的でタニマチなどへの無心「ごっつあん精神」の相撲取りの行状はプロの興行の象徴なのです。マナーを重んじ、品行方正を期待する方がおかしいのです。みんなのお手本になる聖人君子などいるはずもない、どちらかといえばならず者集団に近いものだと思いますよ。

 第一義的には中田が悪い。それはその通りです。昔スポーツに限らず鉄拳制裁は普通にまかり通っていました。ワタシは、中学の時バットでお尻を何回も叩かれましたよ。暴力教師もいて、こん棒で殴られたり蹴り倒されたりもしました。幸いにして、いかにスポーツの世界とは言え、現代社会では暴力が許容されてはならない、という考え方が徐々に浸透してはいます。

 中田がそれを咎められて移籍となったのも仕方ないことかもしれません。でも日ハムだって悪いのです。打点王になった頃は甘やかして挙動も見て見ぬふりをして高額年俸を支払ってきたのに、調子を落とすと手のひらを返し、暴力事件をきっかけに「厄介払い」したとも見えるのです。一切試合に出さないで、年間3億円ともいわれる給料を支払い続けるのが嫌だったんです。

 他球団だって、そのままトレードを受け入れたならば、前球団で起こした謹慎をシーズンオフまで引っ張るのでしょうか。その間、日ハム時代の給料を払い続けなければならないのですよ。暴力事件を起こして、高年俸の打撃不調の選手を誰が養いますか?

 日ハムは長い間東京ドーム(後楽園球場)を巨人とともにフランチャイズとして利用してきた縁もありトレードは最も頻繁に行われています。あのモナさんとの不倫問題でトレードされた二岡や芽が出なかった太田選手をひきとったのは日ハムでした。一方巨人入り確実だった原さんの甥、菅野投手をドラフト指名して顰蹙を買ったのも日ハムです。これで菅野は1年を棒に振ることになりました(ワタシは当時監督だった梨田のにやけた顔は忘れません(# ゚Д゚)


 今回は、原さんが栗山監督から懇願され、日ハムの球団事情や過去の選手移籍の貸し借りを考慮したうえで、自軍の選手補強にふさわしいと判断したのです。謹慎解除をトレードの条件にしたのは当然でしょう。そして傑出した才能のある中田がこのまま退団し球界を去るのは忍びない、復活再生を託されたと捉えるべきなんです。巨人は文句を言われる筋合いは無いのです。

 問題は、中田が結果を出せるか、に尽きます。日ハムの思惑は決して褒められたものでは無いものの、自分を見捨てなかったのです。巨人も中田にチャンスを与えたのですから、今まで以上に練習し打ってチームに貢献するしか手立てはないのです。

 もし、今後彼が取り巻きの選手を引き連れ徒党を組み、反社と関係を持ち、入れ墨を入れ、覚せい剤などに手を出すならば、選手生命は尽きたも同然ですが。・・・おっとアブナイこれは、清原だった。
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やっぱり石が好き 宝石並みの印材

2021年08月29日 | 篆刻
篆刻用の印材は、以前は青田石、最近は寿山石が主体となっています。青田は、中国浙江省青田県で産出される花乳石を 14世紀に、王冕(おう べん)という人が印材に適していることを見つけたことが起源とされています。この発見によって安く刻に適した印材が普及し、篆刻文化の発展につながったと言われています。

 青田石は、薄い緑がかった灰色で半透明な材であります。主成分が葉蠟石で、 大きく分類して10種、細分化すると100種類以上に区分されているようです。最も良質で外観も美しいのが、「魚脳凍」とか「青田封門」「蘭花(華)青田」などと呼ばれ、印材で最も美しく高価なものの一つに数えられていました。蘭(藍)花青田は、藍や青の模様や斑点が多いほど珍重され高値になるようです。

左は、均質な古い青田石、右の3個には真ん中には特有の魚脳凍紋が流れています。右二つは蘭花(華)青田で、小さな青い斑点や星が特徴です。
 
 ヤフオクで数十年も前に彫られたような印を数百個も集めるうち、なんとも艶やかで淡い茶色や白灰色の模様が美しい印材がたまに混じっているのに気づいていました。いろいろ調べるうち、どうやらこれがかつて、青田石の中で最も良質で、特級扱いされた「魚脳凍」に分類されるものに違いないと思います。

 ご他聞に漏れず、大量の石が切り出され長期間無制限な乱掘が行われた結果、質のいい青田石は姿を消し、粗悪な印材が出回るようになったようです。最近の情報では、アフリカで似たようなヨウロウ石鉱脈が発見され、切り出し処理や加工がまともになってきて、印材の品質が最低レベルに達したので輸出されるようになりました。ここにも中国の一帯一路政策が反映されているのでしょう。

 一方で中国福建省寿山周辺で採掘された葉蠟石を寿山石と呼びます。こちらは、赤茶色が主体で透明感は少なく、さまざまな模様が混色となっているものが多いのです。色彩豊富で複雑なわりに柔らかく彫りやすい、更に磨くと艶が出るので近年青田石に替わって来ました。その中でも、希少かつ独特な美しさで中国の最高印材と名高いのが寿山郷の田黄坂でしか取れない田黄石であります。

田黄は、半透明で色の薄いものから明るい黄茶色のものまで様々です。上の写真の左は、田黄石に似たような色の寿山石(田黄石ではありません)と思われます。右は、沢山あった篆刻済み印に紛れていたものですが、色合いや形からして本物の田黄石だとにらんでいます。幅2㎝高さ3㎝の小印ですが、表裏共に舟、松、人物を細密に彫っています(薄意といいます)。田黄石はせいぜい、手のひらに収まる丸い小石です。高さ5㎝を越えるような田黄ならば最低数万円、ものによっては100万円以上するのです。小さなかけらのようなものでも、本物ならば、薄意を施し印材として貴重品扱いされたものだと思います。

 寿山としては、その他にも乳白色に淡い黄土色が混じる高山凍、善伯洞などが美しい印材として珍重されます。また、寿山石の中で、宦渓鎮という岩山の山頂付近に産出される 芙蓉石と呼ばれる美しい白色と透明度の高い上品な石の一群もあります。単色の白っぽく芙蓉の花のように美しいという芙蓉石は、定義があいまいで、外観からも特徴が分かりにくいのです。ネットでいろいろ出回っているのですが、宦渓鎮で採取されたという証明が無いので、なかなか自分ではこれがそうだ、と特定できる自信がありません。

 さらに、浙江省杭州市臨安区昌化鎮 という岩山で採掘される葉蠟石を「昌化石」と呼びます。こちらは産出量がさほど多くない様で、出回っている印材が少ないのです。その中で、鮮やかな血の色が流れるような石が「鶏血石」であります。その血の量が多いと非常に貴重で、何十万円もするゆえに偽物が多く出回っています。写真上の茶色がかった石は、おそらく普及品の寿山石です。その下の3個は昌化鶏血石で間違いありません。血の模様のフィルムも張られていませんし、印面までしっかりと朱が走っています。これ以外にモンゴル自治区のパリンという場所で産出される石を巴林鶏血石といいますが、似て非なるもの、価値は低いようです。

石の良し悪しは、またそのうちに。
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ワタシには明るさなんて見えないが

2021年08月28日 | コロナ
相変わらず摸刻三昧であります。

先日彫った「」という漢字一字で、偉い先生の作を模倣したものです。篆刻の基本となる篆書体はもともと、象形文字・甲骨文字を起源とした古代文字で、それから金文や小篆といわれる字に進化しました。人・魚・日・月などの原始的な文字が組み合わさって一つの字の意味を形作るのですが、その頃は、部首・旁などに定まった法則が無く、位置や向きが適当に配置されていたそうです。写真右の月が横に寝ているのです。こうしたことを覚えておくと、古い篆刻印に刻まれた文字を読み解くヒントになります。

 さて、菅さんによると「明りがはっきりと見え始めた」そうであります。ワクチン接種のペースは、先進国では最低レベルなのですが、順調に進んでいると思っているのです。感染を抑え込んでいると胸を張っていましたが、世界全体では28位まで感染者数が増加しています。アジアではインドに次ぐ2位なんですね。
 明るく見える理由は、ワクチン接種が国民の半分を超え、抗体カクテル療法 も有効だと確認できたからです。最近東京でのPCR陽性者が頭打ちになっているのも根拠になっているようです。

 客観的にみると、桁違いの感染力を持つデルタ株はワクチン接種者でも感染し時には重症化することは明らかであります。抗体カクテル療法は有効でも、点滴による治療に生かすべき病床数が圧倒的に足らず、発症者感染者のほとんどが数万人も自宅待機を余儀なくされているのですから、その恩恵に浴するというのは、妄想に近いのです。そもそも抗体カクテルの数が圧倒的に足りていないというのが、世界的な常識なんです。

 首都圏の感染数がずっと同じ程度の数値で推移しているのは、感染者が減って来たのではなく、若者が「コロナ」を土産に各地に帰省・旅行して拡散しているからであります。その証拠に、関西や九州北海道では過去最大レベルの増加数となっています。

 また、パラリンピック開催に前後して、(意図的に?)PCR検査を増やしていない(検査キャパを越えている?)せいで、数値に反映されなくなっているのです。陽性率が20%という極めて高い水準は、検査数が少なく、軽症者や発熱など明らかな症状が出ている人を対象にしているせいでしょう。一般の市民や無症状・濃厚接触者に検査が及んでいないことを重ねると、もっと驚くべき数の陽性者が居る、と考えるのが自明であります。

 更に、総裁選が日程に上ったために、菅さんの、オリパラ開催が成功し、コロナ対策が正しく行われている証拠として、見た目の陽性者が明らかに減って来なければ具合が悪くなってるのです。明確に見える数値などどうにでもできるというのが、安倍・菅路線の常套手段であったことは明白です。菅さんが明るいと感じたのは、二階さんのバックアップをとりつけ安倍さんが味方に付いたので、総裁続投の見通しが明るくなったからなんですね。

 さて、菅さんにはハッキリと見える明るさは、ワタシには見えてきません。むしろ、どこまでもはっきりとしない闇が蒼茫として広がっているとしか思えないのです。「明晰」という言葉の対に「暗愚」という言葉があります。ワタシ達は愚かなゆえに暗く感じているのでしょうか。

やくざの親分から俳優になった安藤昇さんの「男が死んでいく時に」という歌を思い出しました。

「どうやら 今日明日でつきるようです。
最後の最後までお見捨てにならず
お叱り下さいましたことを感謝致します。
(略)
お言葉通り馬鹿でした。 寒くなってきました
そして暗くなって来ました。
お別れです。 」
 菅さん、暗いのを「明るく」と言い間違えていませんか?
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自治会は誰の為?? ギャンブルは必要悪なのか 後編の3

2021年08月27日 | 雑感
先日「平塚競輪場」から、「第一回競輪場周辺対策協議会」の開催通知が参りました。当町に競輪場が立地し、競輪場を取り巻く形に住んでいる形になっているのです。競輪場は言うまでもなく公営ギャンブルで、市内だけでなく遠く静岡や千葉埼玉あたりからも競輪ファンがやってきます。地元商店や住人にとっては何もメリットはなく、迷惑でしかありません。それでも、戦後70年競輪場が存立している以上、共ににあること自体を否定できないのです。新たに誘致するわけではありませんから。

 行政は、それを承知で長い間、協力金などの名目で当地区各町内会に金を配分しています。いわゆる迷惑料を支払ってきたのです。そのおかげで当地区の自治会費は3千円と破格の安さであります。自治会を束ねる自治連も、その恩恵があるがゆえに何の疑問も持たずに競輪場を歓迎してきたのです。ワタシはこれもギャンブル依存症の一つだと思っています。

 では、具体的なデメリットは何か。ワタシは最大の問題が競輪場という博打場が与える当市に対する印象であると考えています。平塚市と言えば、誰しも思い浮かべるのが七夕まつりと競輪、あとは知る人ぞ知る紅谷町という歓楽街(風俗店)であります。若い人、ファミリーが新たに新居を構えたり、住宅ローンを組んでマンションや戸建てを買い求める時に、わざわざ治安のよくないギャンブルと歓楽の町を選ぶだろうか?、それがわかっていない市民が多いのです。近隣は茅ケ崎と大磯町、もっと先は藤沢市、横浜市、鎌倉市、と日本でも人気の住宅地です。

 一戸当たり年間1万円程度の金で甘んじているのです。自分の資産(家屋敷)の資産価値が目減りしていて、売却(換金)するときは、数百万円からそれ以上も安値になってるかもしれないのです。
 ニーズ(不動産を求める需要)が少なければ、当然地価が下がるのです。不動産屋さんに尋ねると「平塚」は茅ケ崎や大磯に比べると不人気なので土地が安いのだと口をそろえるのです。環境が悪くても安ければいいという程度の新規住民を招く結果となりますね。

 駅前は寂れ、やたらと信号機が作られ、駅前の自転車はすぐに撤去されます。電車は東海道線のみで、高速道路のインターもありません。百貨店はすべてつぶれ、商業施設もはやりません。工場が多いために法人事業税収だけは潤沢に入ります。それで市役所の職員に危機感が起きないのでしょう。

 風体の怪しげな人間が押し寄せてきます。競輪は、多くの車が集まり朝は無料駐車場への車列が出来て公道が狭められます。夕方は一斉に帰る車でごった返します。昔はそこらに路上駐車する車も多かったのです。それが、ほとんどが負けて帰るので渋滞によって乱暴な割り込みが日常になります。小規模な交通事故はしょっちゅうなんです。レースのたびに最後の鐘(ジャン)が鳴らされると歓声や怒声が場外にまで届きます。子供たちの教育上も結構とは言えません。

 客は、ワンカップやビールを片手に往来を歩き、競輪新聞や車券の投票券などをそこらにまき散らします。植え込みなどはゴミだらけ、立ちションも当たり前で、コロナ以前は、コンビニの前で車座になって酒を飲む姿もよく見かけました。以前は「予想屋」ノミ屋も出入りし、近在のやくざさんと思しき集団も来ていました。

 そんなことを考えていて、自治会長になったワタシは、競輪場に出向いたのです。以前から計画されていた隣接の公園整備は予定から3年たっても放置されたままなので、住民への説明を求めたのです。

 内容は支障があるのでここでは割愛いたしますが、そのことがきっかけで、今回初めてと思われる周辺対策協議会となったのです。

 おそらくは、今まで無関心であった自治連の皆さんも各自治会長は、競輪場の肩をもつに違いありません。自治会費の大半を競輪事業で賄えるので文句を言うわけも無いのです。また、競輪場が立地していない近隣の町内には競輪場の直接的な迷惑も乏しいのですから。

つまり、競輪で迷惑している直接関与する町内(当町)から、不満の声が上がるのが不思議であり迷惑と考えているのです。従って、今度の会合はワタシが一人やり玉に挙がって、つるし上げられるであろうと覚悟しております。

ワタシに賛同する人が居なくてもかまいません。常々思うことは、今までの事を是として疑問を持たずに継続している分には、なんの変革や改善は生まれません。少数意見をすべて間違いというのは愚かしいものでもあります。自治会の仕事に携わって、声をあげることの重要さと難しさをかみしめております。

 
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