植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

次はかなかな? かなはなかなか難しい

2021年01月28日 | 書道
 LINEというものは便利で、今や日本人の生活や情報交換などには欠かせないツールになりました。ふっと考えてみるとこれでやり取りしている相手は、ほぼワタシと同世代、最も若いのが古くからの友人の甥の娘さん18歳、つぎがかなり飛んで30代半ばのカナちゃんでした。もうあとは、みんな40歳以上、平均60歳あたりでしょう。それはそうです、こちらが歳を取っていくのですから交友関係にある方々も等しく毎年、一歳ずつお年を召しているのですからね。ワタシが「接待を伴う飲食業」通いでもしない限り、若い人のLINE友達は増えるあてはありません。

 カナちゃんは、行きつけのクラブ、ならぬお花屋さんの実質経営者さん。週に何回か顔を出すうち顔を覚えられ、今やメダカの納品や、仕入れの種類に口出しするような間柄であります。働き者で仕事一筋、植物の名前にも精通しているので、何度も教えてもらいました。失礼ながら勉強は嫌いだったらしく、売り物に手書きで品名・育て方・価格などをマジック書きするのにたまに「漢字」の誤字があります。これもご愛敬。

 ということで、本日は「仮名」の話であります。書道の練習はワタシはもっぱら「漢字」、教室に通い始めて間もなく5年になりますが、仮名はわずか半年ほど稽古しただけであります。

 書道をやってみると、漢字・仮名・篆刻と得意分野が分かれてきます。中にはすべてに造詣の深い書道家さんもいますが、大体はどれかにだんだんと収斂していくもののようです。
 一つのことを極めるような名人達人は、ほかのことをやらせても卓越した能力を発揮すると聞きますが、あれもこれもと欲張って結局、どれも中途半端に終わるというのが我々凡人の悲しいところでもあります。

 仮名は、筆のメンテナンスからなにから漢字とは全く異なります。仮名用紙、硯で摺る墨、小筆を使い、運筆の速度も墨継ぎも違ってきます。自分でさらっと学んですぐに書けるほど甘くないのです。筆先に全神経を集め一気に書くというのは、修練と研ぎ澄まされた感性、美的センスが求められます。漢字と勝手が違うので、しばらくそれに専念しないと仮名は書けません。 

 仮名書きの文化は、どうやら平安時代に花開いたようです。中国から伝来した漢字を、だんだん簡略化、単純化して日本固有の書体に変化させ、口語の送り仮名に発展させていったのですね。その頃は、おそらく男尊女卑の世界で、学問・文化の担い手は男、書道もそうであったろうと思います。
 それでも、女性は簡単な書簡を出したり、日記や歌を詠むなど貴族皇族のたしなみとして、書を学んだと思います。その時大変貴重であった和紙に書きつけたのですね。小筆の先数ミリに墨を含ませれば、短冊一枚程度の句が書けるので、きわめて安上がりで簡便であったのです。短い時間で手間なく書け、切れ端にを活用できるために女性の間で「仮名」が主体となりました。すでにこのころから女性に漢字を使わせない、というような差別もあったんです。

 仮名書きのことを古くは「女手」というのです。男は漢字で書を書くので「男手」と呼びました。この伝統がおそらく江戸時代くらいまで続いたのではなかろうかと思います。「書の日本史」全9巻はまだほとんど目を通していないので、テレビの時代劇レベルの知識しかありませんが。

 ざっと調べてみるとやはり「仮名書道家」は今に至るまで女性が多いのです。実際ワタシの師匠藤原先生も、拝見していると「仮名」がお好きらしく、稽古場にもいくつも仮名書きの書が飾ってあります。以前出版した句集「冬の衣袴」は、戦死した息子さんを中心に句にしたものを先生が漢字交じり(調和体と呼びます)の書にしていて、先生の真骨頂でありました。

 というわけで、今の世の中、書道でも男女の隔てはありません。漢字に全集中してきたワタシも、最近は篆刻を学び練習中であります。篆刻と並行して篆書体・隷書の半切の作品作りが課題ですが、一区切りついたら、また仮名書きを再開せねばと思います。虻蜂取らずの懸念はつきまといますが、斗南先生の篆書、百福図などを臨書するうち、篆刻が一段と身近になった如く、仮名書きも書芸の向上にきっと役立つと思いますから。


 

 
コメント
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