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植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

納税は国民の義務であるけれど

2019年10月31日 | 時事
仕事の関係で、名前を見て出身地・国籍などを調べることがありました。
「徳」と言う文字は、まっすぐな心を形どって作られた感じだそうです。宗教的には仏教も儒教も社会性という観点から重んじています。儒教が盛んであった朝鮮民族の方々も、この字を好んで使い、日本にも「徳」を使った姓を選んだ在日朝鮮人の人も多いのです。徳を積み、社会の中で好ましい人間関係の規範となる善の資質であるようです。

このかたは、韓国とは関係のない芸人さんですが、徳とは程遠い所業で話題の中心になっています。

所得税と地方税、社会保険料。これらは一体となっております。ワタシも個人的な会社を設立しましたが、脱税目的ではなく、将来の事業継承、節税、合理性の観点から会社経営にしたものです。個人事業主として毎年確定申告した方が、実は支払いの総額は安上がりだったかもしれません。大した売り上げも無いのに、その会計処理と公租公課は多大な負担を強いられます。

会社を設立すると、必ず税務署に対して開業届を出すことになります。一定の税制優遇を受けられますし社会的に信用も得られます。しかし、意図的に租税逃れのため提出しないとどうなるか。罰則も無く、以前は直ちに察知され督促されることも少なかったのです。それでも、支払い側の税務調査などで無申告が露見したりします。まして、マイナンバー制度導入によって、多くの支払いが捕捉されるようになり、受け取り側が税務署に丸わかりになる時代となりました。

 もっとも、税務署にも制度の欠点があります。税務調査は通常、脱税金額が大きいものから順番に行われます。一年のうち、暮れから5月頃までは、確定申告の処理や会社決算の対応に忙殺されますから、せいぜい6~11月頃までに、疑わしい事案の調査や査察となります。その間、滞納者の督促もありますし、法人に対する税務調査(5~10年のサイクル)もやります。おのずと処理件数に限りがあります。よほど複数年をまたぎ金額が多額で悪質でないと税務署が立ちいることは少ないのです。
 また、法人や個人が存するところを所轄する税務署に徴税権がありますから、よその税務署所轄の事案で、不正や所得隠しを把握していても本気で取り締まろうとはしませんね。他の税務署の徴税成績を上げても署長からは怒られるだけでしょう。
「税務署は、小物・よそ者には優しい」のです。

 もう一つ、社会保険に未加入との報道もありました。当然でしょう。社会保険は基本的に給料の受け取る額で会社負担と本人負担を算出します。所得の申告をするつもりがない人間は社会保険事務所に出向くわけがありません。
 さらに、この制度の欠陥もあります。会社を設立登記した時点で、「強制適用事業所」となります。つまり会社組織とした以上給料を貰う人が一人でもいれば、強制的に加入させられるのです。しかし、ここが問題であります。
 会社設立の情報(個人事業では5人以上の従事者がいる場合も)が登記所や税務署から年金事務所に通知されないのです。ですから、少し悪知恵のある人は知らん顔して月々の負担が軽い国民健康保険に加入するのです。しかも、年金事務所はそうした未加入の会社の実態も知ろうとせず、当然加入督促も行っておりません。
少なくとも、会社登記の時点で情報を共有すべきなのですが、縦割り組織ですからそれさえ行われないのです。

かの徳井さんは、会社組織にして、黙っていれば税金が免れられると入知恵されたのでしょうか。会社にしても「社会保険は未加入で構わない」と教わったのでしょう。また、長い間やりすごすことが出来れば、時効にかかるのでお得と思ったのでしょうか。

徳井さんが仮にだらしないという病気であったとしても、納税は日本国民の三大義務の一つであり、免れません。

義務を守らず、権利だけは人並み以上に主張する人も大勢います。税金を払わない誰でも知っている巨大企業が数多くあります。古い言い方ですがクロヨン、10・5・3・1という言葉があります。サラリーマンに比べ個人事業や農林水産業の所得捕捉率が低いことを表しております。こうした不公平感が徳井さんのような税逃れを新たに産むのです。

様々な重税をかけて税を集め、巨額の国債を発行したお金は一体どこに消えたの?という素朴な疑問に答えてくれる人を探しております。
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今年を早くも総括する ---果樹編

2019年10月30日 | 植物
気温の高低差が激しく風邪をひきました。10月の雨降りは関東近辺では20日間~25日間と、ほとんど毎日のように雨模様だったということです。

本日の総括は、果樹です。
はじめてこのブログを見る方にはご説明しておきますが、本ブログ「槐松亭」は植物園の名を借り、園芸その他の出来事や感想を写真とともに紹介しております。ですから、特段人が訪ねてみていくような代物ではありません。果樹も自己の欲望を満たすためにだけ栽培しており、当然非売品です。余ればご近所に配るとしておりますが、それほど獲れませんから、要らぬ心配です。

昨年植え付けした果樹では、レモンがたくさん実をつけました。以前育てていたレモンが年々生長不良で枯れ死寸前となったために処分、新たに植えたらなんとこんな小さな苗木に20個ほど結実したのですね。支柱も添え木もしなかったら、レモンの重みでほとんどが地面についてしまいました。名付けて「地這レモン」。収穫が終えたらきちんと剪定して支柱を立ててあげようと思います。


プラムも10数個の実をつけました。小粒ですが爽やかな甘さがありおやつにはちょうど良かったです。

リンゴ類はすでにうえていた「つがる」「ふじ」「シナノゴールド」すべて収穫に至らず。唯一昨年春に植えた姫リンゴ「アルプスの乙女」これが初めて4つ実になりました。かたいけどリンゴの甘い味、しかし一口でおしまいです。食べるのが目的ではなく、授粉樹にと思って植えたのです。

こちらは、一昨年植えた柿「禅寺丸」3年目にして、ようやく20個以上の柿がなりました。甘柿であります。残念なことに、ここひと月以上の長雨のためお尻が割れてしまいましたが、これはそこだけ除けば食べられます。

こちらは以前に何度か本ブログで紹介済みのシャインマスカット。まったく満足できるレベルではないので、来年こそ人に喜ばれるようなブドウを作りたいと切に願っております。

まだ食したことのないフェイジョアも二つ結実しました。あとひと月位で食べられるのではないかと思います。期待大であります。


これまでに紹介した以外にも、柑橘類多数、イチジク・桃・各種ベリー・ネクタリン・ベビーキウイなど、わずかな土地に所狭しと植えております。いまだに、その実を味わうことが出来ないものも多いのです。例えばポポー、皇帝ナツメ、サルナシ、ブドウ「甲斐路」、龍眼、「花御所柿」などなど。こうしたものを口にするまでは引退も他界もできませんぜ。
まだ、ワタシの旅路は続くのであります。
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今年を総括する---無くなった植物たち

2019年10月29日 | 植物
八千草薫さんが亡くなりましたね。
純白で清楚な百合を思わせる、日本を代表する女優さんです。その奥ゆかしいたたずまいと、少しはにかむような笑顔が素敵な方でした。

この時期になると亡くなる方が増えるように思われます。季節の変わり目、暑い季節が寒い冬に向かう時、あるいは厳冬の寒さが緩みかけた頃に、すっと旅立つ、そんな印象を持っています。

あとひと月もするとテレビでも、その年に亡くなった有名人の訃報をまとめて紹介する番組が見られます。振り返ると結構忘れているものですよ。

ワタシもそろそろこの一年を総括していきたいと思います。気が早いようですが、1年の記憶などあっちでこぼれ、こっちで無くし、どんどんと薄れてまいりますから。

せんだっては、早々とシャインマスカットの敗北宣言をいたしました。来年はその反省を生かして、より高品質の甘い葡萄を育てようと決意を新たにしています。

それで、今年亡くなった樹木の追悼です。枯らしたもの、他の植物との兼ね合いで処分したものいろいろありました。生育が思わしくないものは、時には諦めることも肝心です。

・ユーカリ 巨木になることを恐れ大きめの鉢に植えておりました。屋上で、恐らく水切れにより枯れ死
・西洋ニワトコ「ブラックレース」 順調に大きくなっていたのですが、枝張りが大きく長いために他の樹木や植物を覆うようになりました。残念ながら撤去
・西洋ニンジンボク これも成長が早く果樹園の中で、藪のようになりました。案外花付きもよくありませんでしたし。泣く泣く処分
・バラ(無名挿し木) 初めて挿し木で育てた白花のバラ、接ぎ木と違って根張りが弱くほとんど枯れ死
・バラ「ベビーロマンチカ」 素敵な黄色い小輪のコロンとした花を咲かせます。最初の1年間室内で過保護に育てたせいか、樹勢が弱く蕾がついても開花せず。数年辛抱しましたが。
・バラ「フレグランスオブフレグランス」 弱い品種で花付き悪く、名前負けして香りも薄かったなぁ。
・ギョリュウバイ 紅白一本ずつマイガーデンの入り口に揃えて植えました。大きくなった割には花が咲きそろわず汚らしい外観に。葉っぱがチクチクしてどうにも鬱陶しくなりました。2本とも撤去
・ジャスミンホワイトプリンセス 香りがよく強健ですが、ツルが固く暴れます。そばに植えているバラアンジェラを凌駕、ツル性の植物はほんと要注意です。伐りましたが、下から新梢が出てきました。
・ブドウ「ロザリオビアンコ」 二株のうち鉢植えから地植えしたものの一つ、鉢底から根が張り出し取り出す際に根を傷めたのが響き生育不良

それ以外にも、ミニ盆栽数鉢、非耐寒性などの鉢植え植物は5.6鉢枯らしてしまいました。難しいのは日本の山野草と言われる植物群です。岩シャジン、センノウ、一人静、スズラン、サクラソウなど日本の風土環境にあっているかと思いきや、気温や日照など様々な条件がそろわないと育たないものも多かったですね。

自分の努力・知識・情熱・観察の不足を嘆きつつ、いなくなった植物たちにお礼の気持ちと謝意を忘れないようにしたいと思います。


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生命保険は有難いのか無駄なのか

2019年10月28日 | 時事
昨日のブログは、実は脱線いたしました。
出だしで頼母子講の話題を取り上げましたが、これは落語で言うまくらであります。本当のところは、保険について少し書こうと思ったのです。しかしながら、枕の部分を書いているうち、そのままお題に入らず落ちとなった次第。面目ありません。

金持ちは保険に入らない。
これは、家内の信条の一つ。けだし名言であります。

昨日紹介した「講」が発展し、事業として規模を大きくしたのが保険であります。保険と言っても、以前は生命保険と損害保険に大別されておりました。最近では垣根を超え総合的な保険も目にするようになりました。

生命保険は、病気で死んだり入院したりすると、葬式代から手術・入院費まで支払われますので、若い働き盛りの男性で家族を持っていると、自分に何かあった時に備えて加入します。これは、突然病気になり入院した挙句若くして亡くなると、妻子が路頭に迷う、というような典型的なパターンを回避するために、責任を果たすことです。
お金持ちは、何かあっても十分な資力や備えがあるので、保険金頼みになることは無く、毎月の掛け金がかからない分益々金が溜まるという訳です。これは、宝くじなどにも共通いたします。毎年何万から何十万と宝くじを買っても、結局数万人に一人しか当たらない高額当選が当たるはずも無く、じわじわと金を失うことになります。

現在の保険制度では、掛け金が保険会社によって運用されているとはいえ、バブルの時代以降、株でも国債でも不動産でもおよそ高利で運用できるものは見当たりません。むしろ運用損・不動産評価損が生じております。そこで目減りしたうえ、保険会社の人件費等運営費にも費やされるのですから、全体での還元は相当な減額が生じることになりますね。

では、保険は不要か、あるいは無駄か、というとそうとも言い切れないのです。

何事もない場合は、せいぜい所得から一定額の控除が受けられます。一括受け取りの死亡保険金には、相続税の対象外となります(上限があり)。何かあった時の安心料といえます。勿論、不幸に早く亡くなると、掛けた金額を大きく上回る保険金を手にすることが出来ます。

住宅ローンを借りた時も団体信用生命保険(団信)と言われる保険に半強制的に加入しますが、本人が亡くなれば、住宅ローンが相殺されるので遺族は返済義務を免れます。

というわけで、ワタシは金持ちでもないので保険には加入しております。がん保険なので、一括の高額な死亡保険金や満期はありません。

癌は、以前は死ぬ病、今ではかなりの確率で治癒する病気となりました。肺・膵臓・食道、肝臓のガンはまだ10年の生存率が30%以下ですが、それ以外は60~70%以上になっています。

ただし、ガンが見つかった時に、必要な手術・治療・入院費用が長期間かつ高額になるのです。その費用を惜しんで(払えず)命を落とす人も大勢いるのです。
平均寿命と所得が正比例するのは、ここらにも原因があるのです。

長年かけ続けていても、ガンになる人は二人に一人だとか。では、ならなかった人は無駄に掛けたのか。

いえいえ、ガンにならず天命をまっとうできればこんな安いことはありません。ワタシのがん保険は、ガンにならないためのおまじないだと思っていますよ。

それはそれとして、ガーデニングにも保険があります。こちらは掛け金無し。
枯れやすい植物は、まず二つ買います。少し違った環境で育て、万一の時にもどちらかが残ります。さらに、早々に挿し木・取り木で増やす、これが大事です。種でも球根でも同じです。栽培が難しい植物、今のところストレプトカーパスとバニラはちょいちょい挿し木にしております。オンシジューム・カンナと地湧金蓮なども出来るだけ株分けしておりますよ。




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日本の風習を考える秋

2019年10月27日 | 時事
昔住んでいた九州の田舎では、「頼母子講」というものが実際に行われていました。昭和40年代でしたか。(差別の意味ではなく、集落の小さな単位です)の10軒~20軒が集まって、毎月数千円を拠出、1年位経つと、持ち回りか、その時にお金に窮しているお宅に全部渡すという、互助会ですね。母子が頼る講です。
昔の田園地域・山村では、金融機関も無くまとまったお金を融通する団体が無いために自衛的に発生したもので、「無尽」とも呼びますね。ワタシの田舎では。「たのもし」と言っていました。

でかい数珠を輪になって回す「お念仏」というのもありました。みんなが座敷に丸くなり念仏を送って回しながら念仏を唱えるという宗教的な風習で、当然ワタシはそこにいたわけではありませんが、漠然と土俗的・密教的な雰囲気を想像して「恐ろしや」と思ったことを覚えています。

それから「おせったい」。四国巡礼ではお遍路さんに茶菓を提供することで知られています。一方托鉢僧などが民家を回って米やお金を集める(托鉢)することなども含まれるようです。大分県では、民家が食事やお菓子を用意し、子供たちがそれを貰うために、各戸を回ることを意味しました。これも、貧しい家が多く、食事もままならない家族や住民を救済するために行われたのではないかと考えています。

今はもはや、地域の中で個々の住民たちの相互扶助の制度や繋がりは廃れ、助け合いの精神などは希薄となりつつあります。それも時代なのでしょうか。それは、セーフティーネットが充実したせいなのでしょうか。日本の人々が豊かになったからなのでしょうか。いずれも虚言であります。

どうやら巷では、ハローウィンの催しが年々大規模になっています。こちらは欧米での収穫祭と相まって、禍を追い出すための儀式でであったそうな。子供がキャンデーを貰うというのが、若干日本のおせったいと通じるところはありますが、ハローウィンはお祭りで、宗教色も福祉性にも乏しいようです。
 クリスマスは明治後半、バレンタインデーは、昭和50年代から日本に浸透してきたものだそうです。Xmas・Vデーともなると町では若者がプレゼント交換したりデートで賑わったのですね。

 ところが、このところ、それらに代わって、ハローウィンが台頭してきました。少なくともワタシの記憶では20年位前まではあまり注目されませんでした。何故か。
これは、多少眉唾でありますが、日本の若者が恋人を作らなくなった(あるいは出来ない)せいだというのです。クリスマスもバレンタインデーも、お相手がいて初めて楽しく過ごせるので、プレゼントする相手がいない若者にとっては疎ましいというわけ。その点、ハローウィンは仲間で仮装し、バカ騒ぎをして盛り上がるという若者受けしそうなお祭り騒ぎが出来るイベントとなってきたのです。

これも虚しい話でありますな。

おりしも、少子高齢化が進み日本の人口がどんどん減っているさ中であります。一生子供を産まない女性が3割とも4割ともいわれています。結婚した女性が3人子供を産んでも追いつかないのですよ。

こうなったら、日本の古来の風習を復活・奨励したらいかがか。

一つは「夜這い」  もう一つはお祭りの夜は性開放「交際祭り」


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