植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

華やかなスポーツ選手もやっぱり歳を取る

2020年11月30日 | スポーツ
さて、やらないなぁと思っていたら、先日やってました。フィギュアスケートNHK杯です。昨年より少し遅れての開催でしたが、気のせいか選手が少ない。あれれ羽生結弦、宇野昌磨君は出てませんか。紀平里香ちゃんも居ない。

 気になって調べると世界大会は、半分くらいは中止、当然GPファイナルも無ければ来春の4大陸選手権も中止ですと。年末の全日本選手権は、一応やるような予定ですが、これだけコロナ感染者の急増になると、ダメかもしれませんね。結弦君は、持病もあるので自粛が続いているようです。エントリーはしてるという選手権に出れるかは、いまだはっきりしません。そうか、結弦君はもう25歳なんですね。とっくにベテラン選手なんです。

 NHK選手権では、男子は次世代のホープと目されている鍵山優真君が、初めてシニアの部に出て優勝、女子は、坂本花織ちゃんが順当にそしてぶっちぎりで勝ちました。鍵山選手は体型としては宇野君に近く、中国のネイサンチェンのように4回転を幾度も跳べるかは疑問です。しかし、17歳の少年が優勝するというのは、やはりこの競技が、体が軽く高く飛べる若い世代に有利と言うのを物語っています。
 女子は、樋口新葉ちゃんが、トリプルAを成功させた以外は目立った選手はおらず、トップレベルにはまだ遠く及ばず、出場しなかった紀平選手しかいないという印象でした。日本人選手はロシアの4回転娘たちと国際大会で戦っていないので、レベルの低い試合です。4回転と3Aを跳べる選手が日本に現れない限り、十代半ばのロシア女子の天下は当分続くのですね。今のフィギュアスケートは、円広志 の歌じゃないけど「跳んで跳んで跳んで・・・ 回って 回る~♬」だけの採点方法ですから。本田 真凜 ちゃんのような豊かな表情や柔らかい身のこなしの演技で氷上を舞うというのはあまり評価されません。

 昨日は、マイクタイソンとロイジョーンズというボクシング界のレジェンドがグローブを交えるというエキシビションマッチが行われました。勝負は度外視、現役のボクサーとの比較など無用、懐かしく面白いというだけで見る価値がありました。
 小柄ながら大男たちをなぎ倒し、鉄の男として世界チャンピオンに君臨し、誰でも殴り倒す圧倒的強さにファンならずとも熱狂しました。世紀の番狂わせと言われた日本でのダグラス戦でまさかのKO負けがケチのつけ始め、暴行事件でムショ送り、4年を棒に振った後は、往時のファイト能力は戻らず、ホリーフィールドの耳に噛みついた後は急坂を転がるように墜ちていきました。
 ロイジョーンズは中量級クラスの肉体ながら無敗で階級を上げミドル級からヘビー級王者まで4階級制覇し、その反射神経とスピードで世界最高のボクサーと呼ばれました。
 皺とたるみが出ている50過ぎのオッサン同士で、いささか心もとなさも漂うファイトぶりでも、その戦う姿は、オールドボクシングファンとしてはたまらない一戦だったのです。

 レジェンドと言えば、サッカー界のスーパースターディエゴ・マラドーナさんが亡くなりました。伝説の7人抜きから、Wカップで「神の手」と言われたハンドで得点したこと等、その天才ぶりの逸話には事欠きません。引退後はどちらかと言えばプライベートでの奇矯な言動が注目され続けていました。原因は脳の病気だと言いますが、年齢61歳!!まだそんな若さだったんですね。年下だったのか。サッカー界の名物男が一人いなくなったのは寂しい限りです。

 寂しいと言えば、プロ野球界では、例年に無いほど多くの選手が球界を去るようになっています。藤川や岩隈、五十嵐、吉見など年齢による引退であれば諦めもつきますが、入団後数年で結果が出ないままに「戦力外」通告された若い人たちは大変です。
 今は「育成選手」というクッションのお陰で、ケガなどで治療のために育成契約になるという救いがあります。また、トライアウトで他球団に救済される選手も居ますが僅か数名。大半は行くあてもなく仕事をクビになるのです。
わが巨人も、24名が球団の支配下から離れることになりました。昨日発表の山本選手の金銭トレードはまだ幸せ、5名は育成で首が繋がっていますが。
 今年のドラフトで7名、育成ドラフト12名計19名を指名した時点で、大量解雇は必然であったのです。これから、おそらく外国人ウレーニャ、パーラも外国選手補強の経過によっては契約解除になるでしょう。

 野球一筋できた若手・中堅の選手がこの寒空の中、新たな人生が始まります。多くの困難がついてくるでしょう。こういうご時世ではありますが、なんとか働き場所を見つけて頑張って欲しいものです。
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お茶にしますか コロナ撃退法??

2020年11月28日 | 時事
 ワタシは、小さい頃からお茶を飲むということにほとんど無縁でありました。両親が食後に茶を飲むところも、あまり見た記憶がありませんでした。高校を出たのちの学生生活、社会人になってもまた然り。

 家に居ても、食後にお茶が出てくることはありません。「おい、お茶」、とか言う偉い立場にもなく、こちらから頼めば入れてくれるのでしょうが。なんとなく夜、目がさえて寝れなくなるのではという、強迫観念が根底にあるのかもしれません。同じ理由でコーヒーも夜は飲みませんね。お茶を飲んでまったりする家人を横目にそそくさと食卓を立つ、というのが毎晩であります。

  もう一つお茶に抵抗感があったとしたら、茶柱かもしれません。亡母は九州の小さな神社の宮司の長女でした。母がまだ少女の頃、祖父は若い頃小倉に住んで、九電の仕事をしていたのだと教わりました。太平洋戦争初期に、そこで防空壕掘りに祖母が駆り出されていたのだそうです。ある日の朝、茶柱が立ったと喜んで現場に出かけたのです。すると、夕方穴の中に最後に残った祖母が道具を洗っている最中に、周りの土砂が崩れ生き埋めになったのです。
 戦争が開始して初めて出た国内の民間人の犠牲者で、「孝婦烈女」として表彰されたそうです。その時から、母親はお茶に対してある種特別な思いを抱いていたのではなかろうかと思います。
 
 ネスカフェの時代、インスタントコーヒーしかない時代から、ずっとコーヒー党でした。一日3、4杯飲みます。しかし特に挽いた豆でドリップするなどといったこだわりはありません。コーヒー党とお茶派が敵対するわけではないので、両立してもさして不思議はないのですが。

 縁が無かったお茶について、どうやらだんだん距離が狭まってきたのであります。こちらが歳を取ってきたら、コーヒーよりお茶が似合うのかもと思いました。以前、40歳過ぎた頃に、短期間ですが若者ばかりが働く現場に出向したことがありました。その時、二十歳も年の離れた店員に不思議な顔をされました。暑さでコーラをがぶ飲みしたら、ワタシのような「年配者」がコーラを飲むのを見たことが無いというのです。彼は、自分の親と見比べたか、お茶を飲むものだと言いました。

 更に、九州の田舎に住む同級生T君が茶園を営んでいるのも、少なからぬ縁を感じるようになりました。彼は、竹馬の友、親代々の茶畑を継いで農業に従事してきたのです。子供の頃はともかく(笑)、茶や農業に関する勉強をして、科学的・化学的見地から研究しているようで、様々なことを教えてくれます。もう一人、同じく中学校の同級生の友人S女史も、博識な勉強家、国内外を忙しく飛び回っているスーパーウーマンであります。そんな級友たちに教えてもらうことが多く、一年中耳よりの情報が入ってきます。

 その一つが、お茶の成分の効用であります。カテキンとカフェインは誰でも知るところです。カテキンは、がんの予防から、コレステロール低下、血糖値上昇を抑えるなど成人病によく効く効果があり、インフルエンザ予防にもなるそうです。件の友人からの情報によると、免疫力アップと言う効能もあり、コロナになった時の重症化リスクも軽減する、という話でありました。
 更に、テアニンという成分は、お茶のうまみのもとで、リラックス効果があるのです。お茶をして、ほっこりするというのは、この成分の作用だそうです。お茶のお美味しさは、このテアニンとアルギニンの量によるのだと教えてくれました。
 
「新茶の香 真昼の眠気転じたり」これは一茶の詠んだ俳句、カフェインの効果と新茶の得も言われぬ香りが眠気を覚ました、という意味でしょうか。

 いずれ、素晴らしい成分を含んだスーパー健康食品と言えるのであります。

 そうして、先日、奈良県立医科大の研究結果に驚きました。なんと、市販されているお茶や紅茶が、コロナを無毒化(ウィルスの感染力消滅)したというのであります。以前から「不確かな情報」としてお茶のコロナへの効能が取りざたされていました。とにもかくにも公の機関から実験結果が発表されたのですから根拠がないわけではないのです。
 つまり、先日ブログに書いた感染率の低い国(東南アジア)が、日常的に緑茶を飲むであろう中国、香港、台湾、韓国、ベトナム、日本と重なるのです。
お茶の生産量だけで言えば中国が世界の90%、日本、ベトナムと続いてほとんどがアジアの暖かい地域で生産されています。

 一方お茶全体の国別消費量1位は、インドだそうです。人口一人当たりで言うとアイルランド,イギリス,モロッコ,クウェート他中東各国となるようですが、これらはほとんどが紅茶であります。コロナの感染者はむしろ多い部類に入りますね。
 今回のレポートによれば、茶葉から抽出したものは紅茶でも同様の効果があったということです。緑茶を生産し愛飲する地域に、コロナの感染者が少ないという事実と照らした時、その関係性を追求する価値は大いにありそうなのです。もし、それが、いくらかでもコロナ予防、感染拡大に効果があることがわかれば世界にとっても朗報、日本のお茶生産農家やお茶屋さんは空前の特需となりましょう。

 これこそ、スーパーコンピューターの出番です。飛沫の飛び方など数時間の作業でカメラで捉えられるのですから、わざわざ富岳に演算させるまでもありません。世界の紅茶、緑茶の消費分布と、その淹れ方、感染者数・感染力との因果関係を早急に検索調査すべきだと思いますが。

 コーヒー党ではありますが、本日より宗旨替えいたします。コロナ予防対策の実験台として、すすんでお茶を嗜むことにいたします。
んっ!それより茶葉の買い占めが先か?( ´艸`)
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国民に無言で背中を向けるアナタへ

2020年11月28日 | コロナ
 コロナで、経済が止まる、飲食業や観光関連はもう生活が成り立たない、医療崩壊して医療従事者も気力体力が限界、などと悲鳴に似た意見や窮状が溢れております。
 一部ではそのとおりなのでしょう。コロナ患者をあつかう病院や施設はたまったものじゃない。かき入れ時に営業自粛・時間短縮を余儀なくされている飲み屋さんなどは死活問題でしょう。すでに感染して重い肺炎になりながら病床が確保できず自宅待機を余儀なくされる人すら出ているそうです。

 政府も自治体も、目腐れ金でその場しのぎをしております。給付金の期間延長、自粛への協力金などを出し惜しみしながらもしぶしぶ払っているように見えますな。その度に、その資格のない奴が不正受給(金をくすねる)かと思えば、自粛などどこ吹く風、背に腹は代えられぬと堂々と深夜まで営業していくのでしょうね。
 Gotoで、外食しろ、旅行に行けと踊らされ、余計な金を使わされた思慮の浅い国民は、マスクさえしていれば大丈夫とばかり表に出かけ、結果として過去最多の感染者増加となっています。外出を控えひたすら自粛、感染防止に努めている多くの善良な人々にとっては迷惑千万であります。

 ここに至っても強制力のある予防策を取らず、ひたすらキャンペーンを継続。対策についての公式な声明も無く、菅総理に至っては会見も無し、ぶら下がりの記者の質問に無言を貫き、踵を返すという有様です。当事者能力が欠如し、危機感の乏しい内閣を誕生させた自民党、つまりそれを支持している国民が招いた哀れな事態なのだともいえますね。

 しかし、一方でなんの損も無い人種や恩恵を受けている業界がいることも事実であります。例えば公務員、こいつらは当たり前のように給料を満額貰いボーナスもほぼ横ばい。家族一人あたり10万円貰っていい気なものですな。中には、コロナ予防のため一部業務を止め窓口に来た市民を困惑させているそうです。渋谷で殺害された64歳のホームレス女性は、コロナで失業しやむなく生活保護に頼ろうとしたが窓口が開いていなかったという情報すらあります。
 通販業者は、ウーバーイーツも含め追い風です。医薬品・日用雑貨販売もコロナ関連中心に好調だと言われます。コロナが吹けば株屋が儲かる(実際はトランプ敗北によるアメリカの株価の好調が最大の要因)ようでもあります。

 それでも、差し引きすればまだ当然打撃の方が大きいのです。コロナ以降各国のGDP(4-6月)は軒並み10%マイナスとなっていました。しかし、中国、ベトナム、台湾などはいち早くマイナス成長を抜け出して回復期に入ったようです。
 感染拡大期に徹底した防疫体制をとり封じ込めに成功した国ほど感染者数が際立って少ないというのは自明です。さらに生活習慣、とりわけ人との物理的接触(キス・ハグ・握手など)が少ない東南アジア諸国に多いのも偶然ではありません。そういう意味では、国民が自発的に感染予防に取り組み、外出自粛をきちんと守った日本が感染する割合が極端に低いのも当然と言えるのです。

 そこで、少し興味深い統計があります。GDPと人出(外出、通勤等)の増減との関係であります。(前述のGDP統計は半年前3か月間なので、現状との相違があるかもしれませんが。)その実質成長率の増加は、人出の増加に比例するという事実です。
 中国はそもそも人出の統計値などは公表していませんしGOOGLEでもトレースできません。数値はすべてでたらめです。これを除くベトナム、台湾、韓国は、当該期間で人出は2,3%しか減らず、実質成長率はプラスに転じるか、ないしはわずかなマイナスにとどまっています。
 一方先進国などは20%~50%ほど人出が減っていて、その度合いが大きいほど実質成長率が20%前後のマイナスとなっているのです。これはロックダウンするほどに感染者が増えて収拾がつかなくなれば、経済が深刻な状況に陥るということ。感染者が減って、安心して人が移動し経済活動を行える状態になれば、経済は回復するというふうにとらえるべきなのです。

 これをはき違えてはなりません。
 間違っても、人を動かし無理に経済活動を行えば経済が支えられると誤解してはならないのです。もしそうしたなら、確実に感染者が増え、いずれ外出禁止・都市閉鎖へとむかうことになるからです。

 国が財政規律を一時外し、コロナ対策を主眼とした予算執行にかじを切りました。10万円給付から持続化補助金やらなんやら大盤振る舞いをいたしました。マネーフローは増加しているので経済回復の下地は出来つつあるのです。まずは治療薬・ワクチン開発、徹底的な医療体制確保、強制力をもった感染拡大策をとってクラスターを封じ込めるのです。
「安心して普段通りの生活をしてください」と言えるようになれば景気は確実に回復します。

 急がば回れ、税収確保と企業からの献金・キックバック欲しさに、経済や特定業界の回復を図る前に、ここでもまずは感染させないこと、旅行などの移動制限・繁華街の立ち入り制限に特化するべきなのです。さすれば来年、念願のオリンピック、開催できますよ。
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負けて知るべきことがある それを収穫にせねば

2020年11月27日 | スポーツ
負け惜しみであります

 このところ巨人とソフトバンクで、日本シリーズという興行試合をやっていたようでありますな。(笑)
 
 野球はペナントレースが最大の目標、3月から7か月間戦い続けてリーグ覇者になる熱い戦い。それに比べて日本シリーズなどは、わずか4勝した方の勝ち、お遊びみたいなものです。数十年前まではどことなくドラマもあり、真剣勝負としても面白かったのですが、十数年前清原と新庄が解説者として出てきて以来考えが変わりました。おちゃらけて下らぬ雑談をする解説を聞いて、日シリなどは、ファン感謝デーとかマスターズ野球同様なのだと失望いたしました。

 彼我の差は誰の目にも明らかでありました。指揮官でさえ戦う前から結果は見えていたのではないでしょうか。大方のスポーツ新聞の予想も専門家の予想もソフトバンクの優勝で動きませんでした。客観的な情勢でも、すでに大きなハンディや負けの要素がてんこ盛りでした。
 
 まず、優勝マジックが出る前に、2位のチームと1ゲーム差辺りでうろうろしていたソフトバンクが、ペナントレースの終盤で、急に圧倒的に勝ちはじめ、終わってみれば2位と14ゲーム差でぶっちぎりました。終盤に来てトップコンデション、パリーグの猛者が全く歯が立たない「無双」状態になっていたのです。

 一方わが巨人軍は、9月末には2位阪神と12.5ゲーム差有ったものが、10月に突然失速し、負けが込んできました。主力の投打に疲れが見え脱落者が増え、打者は全く振りが鈍くなり、無得点試合が続きました。あれだけ完璧だった、左腕の中継ぎの投手たちも打たれ始めました。それまでの貯金で何とか逃げ切ったので、完全に調子は底に落ちて非勢は明らかでした。終盤の試合は、打てず守れず、もはや坂本の2千安打しか話題になりませんでしたね。

 セは、クライマックスシリーズを中止し、パは実施、ソフトは終盤の絶好調そのままで日本シリーズに突入いたしました。更に、巨人は本拠地の東京ドームが使えず、京セラドームというパリーグの球場での戦いを余儀なくされました。ずーっと戦い慣れていない球場というアウェーというのもハンディだったのですね。(実際東京Dではホームランと言うのが数本ありました)
 ただでさえ最も充実している黄金期のソフトバンクで、外国人含め選手層は断トツでした。エース東浜をケガで欠き、あのバレンティンも呼ばず、内川すら2軍で飼い殺しするほどの巨大戦力で余裕だったんです。

 巨人は、レギュラーシーズン前半からクリーンアップの不調、先発のコマ不足、中継ぎ・抑えの不安を抱えていながら、原さんのやりくりと菅野の獅子奮迅の働き、楽天からのトレードでやってきたウィーラー・高梨、育成とか2軍で予定外の松原・大江の覚醒で、奇跡的に勝ち進んだと言えます。外国人助っ人もその他はポンコツ、菅野・戸郷を除くピッチャーはもう2級品以下、打たれないのが不思議でありました。これは、このブログで何度も触れています。ドラフト戦略の失敗、対象選手の能力を見る目が無い、くじ運がさっぱりだった、ということに尽きます。
 ワタシに言わせれば、菅野以降のドラフト会議では7,8年ずっと1位指名選手をパスしてきたに等しいのであります。しかも、ピークを過ぎかけた大社の「即戦力」に拘った為、「削ぐ戦力」に終わっています。

 45年前にパリーグが導入したDH制が、パリーグの強さの秘密です。ピッチャーが投球に専念できるようにしたため、試合の戦況や打線の巡り合わせに関わることなく、ブルペンで調整できます(ブルペンで不必要に肩を何度も作る必要が無いのです)。練習でも無用のバント練習や打撃練習が軽減されます。登板している投手は、バッターボックスに立つリスクや無用な消耗の負担も無いのです。

 一方野手にとってDHの最大の利点は、9人の野手が実戦を経験できるということです。真剣勝負の投球を体感出来るし、投手や捕手の癖も覚えられます。セリーグは、8人が野手でプレーをするので経験値と言う意味では12.5%もパリーグが有利なのです。これが毎試合45年間続いたら選手の質量の違いが出ても何ら不思議がありません。
 
 もう一つ、交流戦で勝ち越したリーグから先にドラフト2巡目の指名権が与えられる制度です。交流戦が始まって15年、そのうち14回がパリーグの勝ち、つまりドラフト2位の指名はパリーグの球団がほぼずっとセリーグより先に指名出来ているのです。ドラ1と2位は実はほとんど大差がありません。ドラ1でも、競合するレベルのトップクラスの選手はわずか数名、その下と2位あたりはほとんど肩を並べる力量、セパ交互に指名するとしても、必ず先にパリーグの6球団が先に選べるというのは大変なアドバンテージになるのです。例えば巨人は、2位指名が12番目でしたから、理論的には24番目のレベルの選手になったわけです。(1位指名は恐らく2巡目以降で取れたような選手でした)

 そもそもドラフト会議の精神は公平かつ、下位球団に有利なようにするウエーバー方式を採用しています。しかし、下位(実力が劣る)セリーグに不利となるのが現行のドラフトでもあるのです。もし完全な公平を追求するなら、(くじ引きすら特定球団のくじ運の強さが際立っています)、1位だけは毎年順繰りにセパ交互に完全固定順位指名方式、を採用すべきなのです。今年1番目なら翌年は12番目という具合です。12年に一度は必ずその年で最高の選手を単独指名出来る。後は何巡目でも常に指名順位には関係なく各球団の希望をし、重複したら抽選にするのです。これが一番公平なのです。ワタシはこれにプロ志望選手の希望を入れ、せめて両リーグのいずれかの選択をさせるべきだとも思います。そうすれば、6年に一度は両リーグで球団の希望する最高の選手が獲得できるのです。

 最後に付け加えるなら、チームの力の源泉は、球団の母体となる親会社の資金力でしょうね。楽天・ソフトバンクなど売り上げ規模や収益の莫大な会社がつけば、どんな高年棒でも払い外国人助っ人やFA対応(有望選手の流出を防ぎ、他球団からとる)が出来ます。育成にかける資金も無尽蔵に出てまいります。成長するまで我慢できるのです。
 巨人のような斜陽の新聞社・民放などが母体では、もはや大した補強は出来なくなっているのです。育成選手を含めた「安物買い」は結果が見えています。金満球団と揶揄された時代はとうの昔に終わっています。

 2年連続でスイープされた現実は、いわば必然であったように思います。巷間言われるように、ソフトバンクなどの育成力や新戦力を発掘できる情報力、眼力は学ばねばなりません。勿論試合の戦術戦略も分析すべきでしょう。
 
 コロナの中での今年一年の戦い、ドラフト、日本シリーズ完敗が、セリーグとわが巨人の再生を果たす上での大きな糧になればよかろう、と切に思います。
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蘭亭序に、雑念を抱くワタシ 

2020年11月26日 | 書道
 先日、書聖「王羲之」の書や蘭亭序の逸話などをちょこっと紹介しました。あらゆる書体をよくした王羲之、特にその行書は比類なく、今日の書法の原点となった世界最高といわれる名筆であります。
 それで、原点回帰、蘭亭序のお手本(教書)を引っ張り出しました。蘭亭序の写本の中では「張金界奴本」というのがもっとも筆致が卓越しており、原本に近いと言われております。

 3年近く前に、ワタシの師匠、藤原先生の指導のもと、張金界奴本を「全紙」(条幅の幅の倍の大きさ)に書き写す(臨書)をいたしました。28行324字を、一枚の紙に過不足なく書きます。細めの鼬(イタチ) 筆で縦横4,5センチほどの字を続けて書く、というお稽古です。2時間かけてがんばってせいぜい2枚というところ。

 今回、とりあえず半紙に6文字ずつ大きく書いて練習しようと思ったのです。練習であり、久々に書くのですから、出来栄えはどうということもありません。それで、蘭亭序の歴史的・芸術的価値、来歴を思い浮かべつつ書くのですが、やはり、もやもや感が払拭できず、いまいち臨書に集中できません。ただでさえヘタなのに、雑念だらけのワタシなのです。いい字など書けるわけもありません。

 何故、これが王羲之の代表作なのか。本当にこの書が、記録に残って伝承されているような経緯があったのか、と言う疑問が湧くのであります。ワタシは、かなりの天邪鬼で、偉い人の言う事・世の中で正しい、と言われるようなことを素直に信じないようにしております。先入観念や定説を盲信することが、文化・科学の妨げになったことは歴史は証明しているところです。宗教観、世界観、政治・お上の正当性、権威というものなどのうさん臭さ、を感じるからであります。

 一昨日のブログで、蘭亭序が、王羲之が酔っ払って書いた序文の草稿であったこと、しらふで書き直ししても、草稿以上のものが書けず、1700年後の今日まで「率意」(人に見られることを意識しないあるがまま)の書として称賛されていることを書きました。

 後世まで書聖と謳われる書道の達人が、自分がホストで開いた宴会・漢詩作会の記録書の序文を、未完成のまま断念するかぁ?単純な疑問です。下書きなしに気の赴くまま筆の走るままに書き記したという、そのありのままの字がいい、というのはなんとなく後付けの理屈に思えるのです。アナと雪の女王じゃあるまいし。
 後に残る記録(公文書)として書いたのであれば、その草稿を清書し直すのが当然であります。現在残っているこの書の写しには、後で行間に挿入した「崇山」という文字もあれば、線を引き間違えた箇所、塗りつぶした字までも忠実に模写され刻字されています。草稿であることが明白なのです。素面であっても、心を無にし、率意の書をしたためることは容易ではなかろうかと想像するのです。
 いわば、書き損じを、後世の人が理屈をつけて有難がるという風に見えなくも無いのです。例えば「之」という字が数十回出てくるのですが、すべて字体・書き方を変えているという風に解説されます。酔って興に乗って書いたのであれば、そこまで意識して変えて書いたとは思えません。

 実際、みれば見るほどほれぼれするような筆致、字形であることはわかります。しかし、少なくとも、ど素人であるワタシが臨書していても、書の達人なら、他に書きようがあったのではと感じる文字もいくつかあるのです。

 ここからはワタシの仮説であります。
 「蘭亭序の正式な清書版は書かれた、しかし、関係者のだれかがこれを失敬したのではなかろうか。」ということが前提であります。草稿は従者や弟子の誰かに捨てるように命じたか、あるいは記念にとっておいたか。恐らく貴重品の紙なので後者だろうと思いますね。これを、入手した誰かが大事に保管していたのです。そして、正本はといえば、彼の没後、子孫に引き継がれたのち、盗難や売却で第三者に渡ったとみるべきでしょう。長い歳月の間に、焼失・破損して現存していないと想像できます。

 公文書はあったが、無かったことにする。実は有ったが破棄するか改竄する、無かったので後で作る。あーこれはどこかできいたことがありますな。

 もう一つの仮説は、蘭亭序そのものが、じつは王羲之さんの作ったミステリーの一つだということ。レオナルドダビンチが、いくつもの謎めいたメッセージをその作品の中に忍ばせていたというのが有力な学説になっています。 自書を後世に残すために編み出した技で、座興としてこういう書を書いたように見せて、実は計算しつくされた作品であったのかもしれません。

 それから、300年後に皇帝になった太宗、これが恐らく蘭亭序や王羲之の、あるいは書道の未来を決定づけた張本人であろうと思います。太宗は、王さんの書に傾倒して、多くの真筆を蒐集したようであります。同時に、真書鑑定職務を唐代三大家の一人「褚遂良」に命じ、王さんの書芸を系統的に研究、その名を書聖たらしめたのです。

 彼の偉大性を権威づけるために多くの故事・逸話を残させたのではなかろうかと推理いたします。蘭亭序の逸話は、草稿の出来があまりに素晴らしい「率意の書」として讃えるためにデッチあげられたのでは、と思えるのです。

 赤穂浪士の討ち入りが、史実と異なり大幅に脚色されているのと似たり寄ったりです。

 それにつけてもNHK、歴史がある伝統文化を守ると称して大相撲にしがみついております。大相撲などは、もはや伝統芸能でもなくただの興行です。二人の外国人横綱が、年中休業して給料をタダどりしています。歴史ミステリーといえば、邪馬台国や明智光秀ばかり。BBCが制作したノンフィクションや大昔のフィルムを回し再放送のドキュメンタリーを流しております。で、テレビ設置の届け出義務の法制化と受信料強化ばかりご執心であります。

 たまには、こうした蘭亭序にまつわる謎とか、王羲之と書道などをじっくり取り上げるようなしぶい番組でも作ったらどうなんでしょう。品のある歴史ロマン・ミステリーに思えますがなぁ。あわせて書の魅力をアピールすれば、書道に興味を持つ人が増えるのではないでしょうか。
 質が高く、文化・芸術の香りがする番組こそ、視聴率が取れなくても存在価値を評価され、よろこんで視聴料を払いたくなるのではないでしょうかね。

 

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