明日からもう8月なんですね。
年金生活の年寄りにとっては、暑いだけで何もうれしくありませんが、学生児童にとっては待ち遠しい夏休みであります。
夏休みと言えば「宿題」、ワタシらが子供の頃は「夏の友」などというドリル・宿題帳がありました。それに加えて、習字・絵日記・自由研究・図画工作などの宿題があり、休みの間遊びまわっていい、というものでもありませんでした。二学期の開始が近づくにつれ、手付かずの宿題を親がハッパをかけて間に合わせるなんてことが風物でもありました。
ウチの倅がまだ小学生の頃、周りにたいそうな豪傑の御学友がいました。中でもとりわけ強烈な個性のA君、夏休み明けの登校日に、宿題を持っていくことになりました。課題に自由工作があって、何か段ボールや木片などで作品を作るというテーマであります。当然ながら、彼は計画的にそんなものを作るようなタマではありません。当日、出がけに家の玄関か何かにあった置物をひっつかんで、自作品として提出したそうであります。
それが、あの有名な熊が鮭をくわえる木彫りのお土産物であったそうです。ご丁寧に、工夫したこと・苦労したことというコメント欄には「毛の模様を彫るのが難しかった」と(笑)。その後彼がどんな目にあったかは存じませんが、少なくとも他の宿題も推して知るべしでありましょう。
宿題や課題の無いワタシは、一年日々が「自習時間」であります。しかし、学ぶべきことや今まで知らなかったことはこの歳になっても山ほどあります。新たなことへの取り組みは自分への刺激にもなるし、知らなかった楽しみを得るきっかけにもなります。
そして篆刻を続けるうち、たまには息抜き、毛色の変わったことをしたいと思うようになりました。最近やり始めたのが、絵柄を刻むという試みであります。セガレの結婚式で配るため、めでたい字を彫った印作りに励んでいます。そこで、4人の小学生が出席するので、その子たちに動物の絵を彫りました。
次に、以前からあたためていた趣向・挑戦が「木彫り」です。以前このブログに紹介しましたが、日本篆刻界で大変著名であった故河野隆先生の義兄が、かつての勤務先の上司でした。その上司は河野先生に木彫りの「表札」を彫って貰ったと自慢していました。
また、毎週揉んでもらうマッサージ師のTさんは、祖父の代から「木彫りのダルマ」が趣味で、マッサージを受けて「うとうと」しながら、木彫りの話を聞いていたのです。更に、だいぶ前にヤフオクで落札した「書道用品・篆刻用品まとめて」の中に、10本ほどの木彫用の専門家向け彫刻刀が紛れ込んでいたのです。これで、何かを彫ってみようと考えていたのです。
そこで、ウチの玄関には表札が無いことを思い出しました。数十年前は先代が自分と家族の名前を紙に書いて枠に収めていたのですが、とうの昔に亡くなりました。3名中2名が鬼籍に入ったので取り外したまま、ウチは表札なしであったのです。
これはやるっきゃない。篆刻は十分経験しております。石を木材に変えるだけであります。
早速近所のホームセンターに行って表札用の木材を購入いたしました。材質は「山桜」です。よく使われるのは欅(けやき)イチイ、檜あたりでしょうか。桜でも「ソメイヨシノ」は生長が早くめきめきと大木になります。それに比べて「山桜」はなかなか成長せず、7.8年前種から育てた「山桜」はまだ、1m程度で花も咲きません。恐らく大木に育つまで数十年かかり、材質が緻密で経年劣化もゆるやかだろうと思いました。
木彫りは、小学生の時版画で彫刻刀をふるって以来の事であります。いや、子供の夏休みの課題で、たしか本箱を作るのを手伝いました。それ以来か。
ケガをしない様に注意しながら、のんびりやろうとおもいます。ワタシには提出期限の2学期があるでなし、宿題でもありませんから。
8月、夏休み。そういえば、教員をしていた亡父が、夏休みにワタシに木彫りの船を作ってくれたことがありました。親の命日は1週間前でした。夏休みの教員は、基本的には暇だったのでしょう。角材を鑿を使って舟形を削り出すのを飽きずに眺めていたのを思い出します。出来上がった船は「戦艦」を模したもののようでしたが、肝心の甲板から上の細工が出来る前に新学期となりました。それから何年もその木彫りの船は、貧しくおもちゃの無かった少年期のワタシにとっては、大切な宝物であったのです。