植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

湘南ひらつか寄席 寅とねずみと金色の〇〇

2022年01月16日 | 落語
 本日は近所の神社で戎祭りでありました。ワタシも地元の祭礼の評議員なのですが、祭り自体を好いているわけでは無く、倅たちが評議員なのに当地に居住していない為、やむなくワタシが代理を務めているだけなのです。当然えびすさんには悪いけれど欠席いたしました。この手の集まりはお酒が入り、餅まき等で密になるのが嫌なのです。

 そうして、待ちに待った「湘南平塚寄席」の開催日でもありました。今まで落語家さんの噺は2.3回個人的な席で聴いたことがありましたが、数人参加する本格的な寄席は初体験でした。二月ほど前に偶然公民館に置かれていたチラシで催されることを知って、なんとかチケットを手に入れました。春風亭小朝・三遊亭円楽・立川ぜん馬各師匠と、有名どころが揃っておりました。

 その時に思いついた計画が、篆刻印を彫って差し上げよう、というある意味突飛なアイデアでした。見ず知らずの噺家さん、しかも名人と言われるような人ばかりなのに、篆刻印を彫ってどうするの?という疑問は置いといて、単純に篆刻の技術を磨きたい、という意図であります。

 お三方が喜ぶか、受け取るかははなはだ疑問でありますし、そもそも会場で誰かに渡せるかどうかもわかりません。月並みな言い方では「当たって砕けろ」でありますね。印材は腐るほどあるので、数千円以上するような印材、しかも色合いが師匠方にぴったりのを選びました。彫ってみてまぁまぁなら、あとは箱と手提げだけの出費なのでどうということもありません。ひと月ほどかけて暇なときに彫りました。
これを昨日と今朝修正し仕上げて、その印影をワタシの印を捺したものと一緒にして出来上がりです。

 会場には早めに付き、そこらの誘導案内の女性(平塚市の職員)に伝えると、案の定「コロナで差し入れは受け取り出来ない。預かれません」と仰います。ワタシも想定済みなので、これは差し入れでは無く篆刻印のプレゼントだと説明し、別の偉そうな女性が出てきました。お菓子程度のものなら断って済むとはいえ、上等な麻の布箱に収納し、東急ハンズで買った高めの手提げ袋に入れておいたので、ちょっと「値段の張るもの」らしいと思ったのでしょう、大柄な「代理店」かプロモーターさんの関係者らしき人物に取り次いでくれました。

 その人は、プレゼントには手馴れているらしく「お知り合いの方ですね」と言いながら受け取りました。お役人の手前、そういうことにしたかったのでしょう。そこから先は存じません。ゴミ箱にポイか持ち帰ってどこかに置いたままになるか。ワタシにとっては自分の計画が成就したのに満足し、安心して落語を聞くことが出来ました。

 さて、「三遊亭楽太」という前座の後、小朝さんが登場。さすが落語界でも一時は最も人気があった名人です。立て板に水、飽きさせず「出まかせみたいな、源義経と那須与一の噺を面白おかしく語ってくれました。最近はテレビでもあまり見かけないのですが、いろいろ事情があるんでしょう。去年のお正月の定例公演はコロナのせいで、延べ数十人しかお客さんが入らず、会場使用料を半分取られ、数百人のスタッフや落語家で分けたら数百円だった、といホントか嘘かわからない話で笑わせました。

 次がぜん馬さん、大病を乗り越え不死身のごとく蘇っている方らしいです。声がかすれ気味なのはそのせいかもしれませんが、テレビの寄席チャンネルで何度も見ていますのでその声は知っております。そうしたら落ち着き払って始めた演目は「ねずみ」、どうやらぜん馬さん、この噺がお好きみたいです。没落した旅館ねずみやに逗留した左甚五郎さんが彫ったねずみが評判になり、お向かいの「とらや」(ねずみやの主人が乗っ取られた旅館)からお客が離れた、これをまずいとおもったとらやが、「虎」の木彫りを置いたら甚五郎さんのネズミが動かなくなった。甚五郎さんが鼠に問うと、下手な木彫りで虎を大きな猫に間違えたというオチになります。師匠は寅年にちなんでこの噺をしたのかもしれません。

 トリを持ったのが円楽さんでした。ぜん馬さん同様ガンを何度も繰り返し現在も闘病中なんです。お二人でやっていないガンは「子宮がんと乳がん」とか言ってましたが、もはやこれは、「マクラ」での決まり文句のようであります。お題は、先代円楽さんも好んだ「藪入り」。古典落語で、人情噺といっていいでしょう。奉公に出した息子が帰ってくるのに、貧乏暮らしの父親はまんじりとも出来ず、帰ってきた息子をまともに見ることも出来ない。やっと銭湯にいかせた時、母親が息子の財布を覗き見ると15円という大金が入っていたのでてっきり「店の金に手を出した」と勘違いします。
 実は、息子さんがネズミ捕りをしてお小遣い稼ぎをしていたが、その時に貰った紙で懸賞金が当たったのでした。

 腹黒いで名の通った円楽さんですが、病気仲間のぜん馬さんをリスペクトして鼠繋がりの演目にしたのか、あるいはぜん馬さんの競輪好きを知って「当たりくじ」を出したのかもしれません。実はとても優しい人なのでしょう。

 いずれにせよ、非日常的な空間で余計なことを一切忘れて一流の噺家さんの話芸を堪能し、まことに心豊かな時間を過ごすことが出来ました。「また見に行こう」が家内との意見と一致しました。
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死んだ気になって勉強 死んだほうがいい人 死ぬことは無い人

2021年12月20日 | 落語
 林家三平さんが年内で笑点のレギュラーを降板するそうです。あの番組に起用された時から面白くない噺家なのに、と驚かれたことでした。案の定、古参のメンバーからみても明らかに芸が劣っていていまだにそれをネタにいじられるという有様でした。

 芸事の中では門戸が狭く世襲優先の世界、例えば歌舞伎や華道などを除けば、やはり実力が伴わないと不幸であります。芸能界でも親の七光り・話題性だけでもてはやされている人を多く見かけますが、親の名前と見た目だけで長く食っていけるほど世の中は甘くありません。

 三平さんも、勉強し直してから、と口上を述べているようですが、芸術や芸能の世界は持って生まれた才能が無いと、なかなか大成しないのが世の常でもあります。偉大で有名人の子供に生を受けて、有利なことばかりでもなく、かえって凡庸な分比較され苦労することもあるんだろうと思いますね。噺家さんに限って言えば、意外にも世襲で噺家になった人はとても少ないのだそうです。ぱっと思いつくのは、柳家花緑(小さん師匠の孫)、林家正蔵 さん、三平さんくらいのものです。死んだ気になって芸に打ち込めば道は開かれるでしょうが。

 ともあれ、来月16日に湘南ひらつか寄席のチケットを買ったワタシは、恐らく生まれて2度目の寄席に行くので楽しみで仕方ありません。掟破りかどうか知りませんがかねて計画していた落款印を彫りました。

ワタシは、この1年知ってる人に「彫ってあげる」と100本近く姓名印を彫り、タダで差し上げています。最近ではSNSで知り合った書道仲間さんにまで提供するようになりました。どなたも面識のない方ばかりです。ですから、噺家さんであろうが意味は同じ、こちらが知っていても師匠方がワタシを知る由もありません。構うことはありません、彫ったものを持って、当日関係者専用の入り口に赴き渡してくれと頼むだけです。突っ返されてもどうということは無し、磨り潰して別の印を彫ればいいのですから。

 親の七光りと言えば、「神田沙也加」さんが飛び降り自殺したそうです。亡くなる直前に「空が奇麗」と青空の写真をインスタグラムか何かに投稿していたとか。ユーミンの歌に飛行機雲という曲があります。「あの子は死ぬ前も空を眺めていたの・・・空に憧れて空を駆けていく。」という歌詞を思い出しました。どうやら精神的な病であったような。家内に言わせると「空が奇麗」と言い出すとうつ病の前兆だそうです。何も死ぬことは無いのに。

 精神の病というと、先日の大阪の放火、容疑者は重体ですがこの心療内科にかかっていたそうです。なにも火をつけることは無いのに・・・。こんな人はどこかでひっそりと自殺すればいいのに。亡くなった人たちが気の毒としか言えません。

暮にきて、なにか、やりきれないニュースが多いですね。
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「メダカ売り」の噺は落語にはないけど

2020年06月14日 | 落語
 園芸もメダカ育成も書道も、すべて趣味であります。毎日やりたいことを好きな時間に好きなだけ出来るというのが幸せで、他には何も求めないのです。お金は一方的に出ていくのは致し方ありません。それが趣味であり道楽でもありますな。
 趣味と実益という考え方は、合理的理想的ではありますが、現実にはなかなかそうはうまくいきません。収入(実益)を求めるあまり、楽しさや余裕を失い、リスクまで負うことになりかねませんね。
 
 ワタシの場合、別に大店の旦那でもありませんが、落語で言えば、道楽好きの楽隠居というところでしょうか。野菜などがうまく出来ればご近所や親せきに差し上げて、ちょっとした義理を果たします。果実は自分のおやつ代わりに頂くのが実益と言えば実益。書道に至っては、ちょっと上手に書けたと思ったら、知り合いに持ってけ、とばかりおしつけます。
 下手な義太夫を人前で語ろうと、酒食を用意し嫌がる(怖がる)ご近所さんや使用人を集める落語「寝床」の旦那さんというところでしょうか。

 メダカに関しては、4年前に屋上で飼い始めた時には13匹買いました。白メダカ3匹、ダルマ系5匹、ミックス5匹が内訳です。昨年夏にホームセンターで見かけて衝動買いした「ミユキメダカ ラメ」が4匹で、合計17匹買ったことになります。それが、今や大小8つのプール・水槽にうじゃうじゃ増えました。何回かは人様に差し上げましたが、それでも彼らの性欲はすさまじく、春先から晩秋まで暇さえあれば繁殖を繰り返します。
 毎日外食・美食に明け暮れ、有り余った精力は綺麗なカミさんに飽き足らず、若い子とエッチし放題、というどこかで騒がれているような状況でありますな。
 
 単なる趣味で、なんの目的もなく飼っているのでありますが、これはこれでなかなか手間がかかるのです。順番に少しづつ水替えします。一遍に水を入れ替えると、ストレスや急激な環境の変化で、死んだりするのです。汲み置いた水にカルキ抜きをして同じ場所に水槽を置いていれば全部変えることもできますが、水槽が増えメダカが増えるとそうもやってられなくなります。ワタシは、毎日のように1,2割の水道水をホースで足していくようにしております。緑色に濁ってきたら全とっかえも致しますが。
 メダカの総数も少なくとも5,6百匹は居ます。ミユキメダカも6、70匹に増えています。餌代も馬鹿になりません。朝夕に一度ずつ給餌しますが、暖かくなって繁殖時期を迎えると食欲旺盛になります。水面を波立たせるように餌を求めがっついてきますよ。産卵すると、もうやめておこうと思いつつも身体が自然と動いてしまいます。稚魚・産卵用プールに産卵床ごと、あるいは沈んだ卵を移してしまうのです。
 
 しかしここにきて、どうもキャパの上限に近づいてきた感があるのです。簡単にミックスメダカを引き取ってくれる奇特な方はいません。メダカを飼う人はとっくに飼育・繁殖をやっていますから、なにも交雑したメダカなどは欲しがりません。さりとて、下水に流すといった残酷なことが出来ようもありません。近くの相模川に放流するのも厳密には違法行為になります。

 ネットでの販売は可能であります。すでに売るもの無しながらベイス(BASE)の設定登録は済んでいるのです。ですが、生き物を売るリスクは冒せませんね。素人がネットで、水に入れたメダカを売るなどはまぁやめたほうがよろしいというものです。
 
 そこで、思いついたのが花屋のカナちゃんであります。今までも持て余した鉢物・株分けで増えた植物などを持ち込んでおります。不要物をフリマで売るというようなレベルですから、半分ぐらいは売れ残っていますな。カナちゃんもいい迷惑でしょうが、こちらはお代は頂かないので気にしません(笑)。今度のメダカも、目的は、増えすぎたメダカたちを里子に出して、屋上メダカプールを減らすことにあるのでお金はいらないのです。
 
 一昨日、試しに12個のカップに分けたメダカを持ち込みましたら、昼過ぎには全部売れたそうであります。よしとばかり、同じだけを昨日も花屋さんに届けました。カナちゃんはメダカの売り上げの一部は支払うと言ってくれますが。基本的には商売でやるつもりはないのです。
 天秤でかついでカボチャを売る羽目になった大店を勘当された若旦那が、たまたま売れた代金そっくりを長屋暮らしのお内儀さんに置いてくるという落語がありますが、そんな大層な話ではありません。カップ購入代金くらいは頂きますよ。

 うまくいって、半分くらいに減らせたら、と思います。
ワタシの好きな噺家さんの一人は柳家小さん師匠ですが、その得意の演目で「試し酒」という新作落語があります。主人のお供についた底知らずの大酒のみと紹介された下男に、外出先の旦那が、では飲ませてみようと5升酒を飲ませるという話で、下男が飲めるかどうか試すために中座して試しに飲んでくるというのがミソであります。見事5升酒を飲みほした下男に、旦那が褒美を与えようとすると「金が欲しい」と答えます。そこで、その金は何に使うと尋ねると「酒を買う」というのがオチだったと記憶しています。
 
さて、もし売上代金の少しを頂いたら何を買う?
「新種交配用に楊貴妃メダカを買う」

お後がよろしい様で  _(._.)_
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