植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

持つべきものは仲間 大事にすべきは同級生

2023年03月31日 | 雑感
二日ぶりに更新となるのにあたり、いつもと趣向を変えます。名付けてリバースブログであります。時間を遡りたいと思います。

生きていることは、とどのつまり「塞翁が馬」であります。

今朝、たった今通りかかった近所の公園の水飲み場で、水道の蛇口から水が出放しになっていました。また、植え込みには、小さなガラスの天板のテーブルが廃棄されておりました。ワタシの住む町は、神奈川県でもいささかガラが悪い、平民、庶民・無法者が多く住む地域なので、いつもの見飽きたありふれた光景であります。

その30分ほど前には、数十年ぶりに愛車がパンクしていたことに気づきました。二日間遠出をした直前に、パンクしていたと見えて徐々に空気が抜けたのでしょう。パンク修理用のスペアタイヤをとりあえず四苦八苦しながら取り換えができたので、10時にはディーラーに持ち込んで正規のラジアルタイヤに交換して貰いましょう。とんだ出費になります。(´;ω;`)

さて昨日、二日がかりのゴルフ会で栃木県のロペ倶楽部に行った帰路でありました。二日目も1ラウンド回って、タクシーで片岡駅に行くつもりでしたが、偶然クラブバスに乗れるタイミングだったのでタクシー代が節約できました。そこから宇都宮までワンマン運航のローカル線に行きます。そこからどう帰るかが考えどころ、二日前の往路は、当地平塚から東海道-宇都宮まで直行の普通電車でありました。帰りも同じパターンならば、3千円程度の電車賃で済むのですが、3時間各駅停車はしんどいのです。そこで、新幹線で東京に行ってそこから東海道線というコースに変えることにしました。旅費は倍ほどになりますが、二日続きのゴルフで疲労困憊、お金には代えられないとしたものです。

宇都宮駅に着いた所、(山形)新幹線が、1時間ほど遅れているとの放送でした。聞けば新幹線が「カモシカ」と衝突したのだそうな。カモシカも災難ですが乗客もJRも大迷惑でしょう。宇都宮でワタシの乗る新幹線と連結する予定が、幸いにして到着を待たず出発、東京から乗りかえて2時間で平塚駅に着いたのは多分賢明な選択であったと思いました。鈍行にしていたら1時間以上遅くなっていました。

さてその前、ゴルフプレーはまぁ、問題なくプレー出来ました。ゴルフには運や偶然・幸不幸はつきものであります。だから面白い。その舞台となった「ロペ倶楽部」は豪奢なバブリーなゴルフ場とは趣を異にし、平屋程度の小さな建物がたくさん集まった「純和風」なクラブハウス・温泉・各種施設でありました。サービスが大変行き届いていて、満足が行くゴルフ場といって間違いないです。


そうしてハイライトはその前の夜、ワンラウンド後の表彰式とパーティで、夕方6時半から10時まで、延々と飲み続けることになりました。ワタシも秋田産の銘酒を持ち込みましたが、それ以外に故郷の焼酎「いいちこ」、それでも足りず焼酎を1升追加していました。すでに半分以上が持病を持ち薬を何種類も飲むような68歳前後の年寄りです。それが大体4時起きで現地集合して日中ゴルフ、へとへとですきっ腹で酒を飲むのですから、5,6人は座ったまま泥酔・熟睡、という修羅場であったのです。

話のほとんどは高校生の時の往事のマドンナたちの美しさと、その後の半生の情報、後は病気と老後の仕事であります。みんな、九州の地元の進学校の仲間ですから、T大やK大、など一流大学を卒業し、一流企業に就職し家族を養ってきた、本来なら額縁に入れておきたいような立派な人生の仲間であります。それでも、70歳近くなっても仕事をしているのがほとんど、人に言えないような苦労や災難にもめげずに昭和・平成という時代を戦ってきた戦友です。 

今は介護施設の経営で理事長をやっているこのグループの世話人格の近藤君(近ちゃん)が、しみじみ言っていました。200人以上の従業員が居て、コロナのピークには70%以上の職員が感染したと。近所の日赤病院には診察すら断られたそうです。また、人材確保のためインドネシアとかカンボジアまで人集めに行くようです。

病気にも苦しみ、歩くのも痛いと言う仲間もいました。1300人居た同級生の何十人かは既に鬼籍に入っています。
「禍福は、糾える縄の如し 」自分自身にも、そうしてみんなを見ていると、この言葉を痛く感じるのであります

二日間だけですが「苦楽」を共にし・50年のタイムワープをして高校生の仲間・あの時に戻ることが出来ました。次に会うのは半年後、埼玉県のはずれでゴルフの予約を入れてくれました。みんなが揃って元気な顔でゴルフを出来れば、これに優る喜びはありません。




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本日はブログはお休みであります

2023年03月29日 | 旅行
本日(3月29日)から明日まで、留守にいたします。栃木県のロペ俱楽部と言うところに泊りでゴルフであります。九州大分県で50年前の同級生であった仲間十数名といまだにこうしたおつき合いが出来るのは、ワタシの人徳は・・一切関係なく、東日本一帯に、数百名の同級生が移り住み、いまなお一部の人間はこちらで働いているからであります。また面倒な幹事を務めているK君などには感謝しかありません。

3千匹ほどいるメダカを叩き起こして餌をやり、観葉植物に水やりしてメールチェックも終わらせました。心配していたお天気もどうやら、晴れそう。

ここ半年ばかりごたごた続きであったのです。命の洗濯、頑張った自分へのご褒美、ということになります。

従いましてこのブログは二日間休止となりますので、せっかく来ていただいた訪問者様各位にお詫びし、またのお越しをお願いいたします。
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誰でも上手になる 字の上達法

2023年03月28日 | 書道
とまぁ、インチキ入門書の謳い文句みたいな出だしであります。さる方(名前もお顔も存じ上げない方)からのお尋ねの答えであります。

自分自身、この歳になるまで書道や篆刻は、ほぼ独学我流でありました。60歳過ぎてからようやく念願の書道教室に週一で通うようになりましたが、そのわが師「藤原先生」は、学ぶための法帖のみを指定し、あとは好きなように書かせるという主義で、2時間のお稽古の間に、ほとんど口出しすることも無くワタシの字を見て数秒指導すれば御の字、という有様です。

資格はおろか級や段位にも全く興味も無く、認定制度も受験もしないので、いまだにただの書道好きなオジサンであります。

振り返ると、小学校低学年で1年ほど教室に通った覚えがありますが、以後60歳になるまでちゃんとお習字に取り組んだことはございません。自慢ではないけれど、小学校時代の通信簿には幾度か「字が粗雑である」と書かれ、小6の時には授業中、ワタシの書き取っているノートを取り上げて、クラスのみんなに「T君(ワタシ)のはこんなに汚い字で読めないノート」と嘲られたほどでした。

そんな軽いトラウマで中学校に上がったのですが、板書の字がうまい、と褒められることがありました。チョークで黒板に書くのはなかなか難しいのです。しかしやはり高校・大学卒業までも、さして字がうまくなりたいとも思わず、自分の字がどう見られるかにも無頓着でありました。勿論お稽古していないので上手な訳もありませんね。

そして、某金融機関に就職した「新入行員」に「ペン字通信講座」というのを課せられたのでした。ワタシはそれを無視していると、支店長に呼びつけられ、怒られました。なんで通信講座を提出しない?と聞くので、「自分の字の方が上手だから」と答えたら、支店長が顔を真っ赤にして激怒しましたね(笑)

ここまでが、さわりで、これからが上達する本番であります。
何故かその頃から「決起大会」の式次第やらポスターの墨書きを仰せつかることが増えたのです。周りの人に期待され任せられる、それが人間の向上・上達の秘訣1であります。頼まれた以上はうまく書かなければ、と努力工夫するようになります。

そして、心がけたのが上手な人・上手だと思う字に触れるようにし、それを真似て書く、でありました。
会社に入って5.6年経った頃には、ワタシの袖机には必ず筆ペンが2種類以上備えておりました。稟議書など書類はその頃まだ手書きであったのです。補足書を鉛筆で書いてコピーする、稟議書自体は訂正不可で、役員まで回付・決裁されることから、汚い字は書けないのです。先輩で、たいそう美しい稟議書を書いていた人が居たので真似しましたね。これが上達法の秘訣2と3。鉛筆でも何でもとにかく書くこと、そして上手な人の摸書をすること、でありました。数分でも手すきができると筆ペンでそこらのメモに書く、というのもやりました。

もう少し年数が経過して転勤して行った支店で、ものすごく下手な字を書く部下がいて、ワタシの最初の業務命令が、コイツの字をまともにしてやってくれ、でありました。30歳くらいの人間に今更ペン習字をやらせても仕方ないのです。その時に指導したのが、横書きならば下を揃えること、漢字を大きく平仮名を小さめに、という2点でありました。縦書きならば、中心線を守ってぐにゃぐにゃにならないようにするだけでだいぶマシになるのです。ペン字鉛筆書きが苦手なら、薄い定規を置いて下にはみ出ないように書くときれいに揃いますよね。これが上達する秘訣4であります

ここまでが、社会人としてまともな字を書く秘訣でありました。では、書道を志す人がどんな練習をすればいいのか、その答えであります。

ま、結論から言えば王道は無い、ひたすら書く、多書が上達の道としか申せません。書道については、それまで独学ながらも、そこそこの字は書けるというほぼ無学無習に近い自分が60歳から「一から学ぼう」というわけです。九成宮醴泉銘、楷書から始めるのです。そこで考えたのが、若い人が週一回教室で学んで来ているなら、ワタシはその7倍、つまり毎日2時間お稽古すれば どこかで追いつけるのではないか、でありました。そして教室の無い日も、自分の仕事場で午前中には一度稽古し、時間があれば午後もう一度筆を持つという事を心掛けました。

ヤフオクで山ほどの半紙を落札し、宅配便のお兄さんに訝られたと聞きました。一日30枚書けば年に11千枚消費する計算になりますね。用の無い日は稽古漬けの日々であったのです。また、ご飯を食べてお風呂に入った後も、気が向けば、自宅の机で筆ペンを使って手紙文や仮名書きもやりました。

次に考えたのが、石拓から印刷した「法帖」だけでなく、臨書本の摸書でありました。「聖教序」「書譜」等の法書が文字が切れていたり、原典の石碑文自体が摩耗毀損していて良さが分かりにくい、という感想を持ちました。そこで、日本の大家と言われる書道家さんによる臨書本を臨書しようと思い立ったのであります。日下部鳴鶴先生や中林梧竹先生の手による臨書本を片端から臨書したのです。 鳴鶴先生臨十七帖、呉竹臨書精選5巻などです。また、臨書の達人と言われた石田栖湖さんの「臨古選」も書きましたね。こうした日本を代表する書人が、中国の王羲之さんはじめ原点となる先人の書の解釈や書法を織り込んだ臨書ならば更に勉強になるだろうと思いました。

そんなことを続けるうちに、ひょんなことから「篆刻」という脇道に入り込むことになりました。書道に比べるとその人口は1/10以下となっているマイナーなジャンルであります。こちらも、師匠が居るで無し、今更大東文化大学あたりに入学して学ぶというわけにも参りませんね。これもやはりコツコツ毎日彫る、先達の美しい見事な印を「摸刻」するという日々であります。

そんなわけで、ワタシの書道は、字が粗雑であるとけなされた屈辱感をばねに、上手く書こうと意識を変え、そのうちまぐれで褒められることをきっかけに、向上心研究心が芽生え、書に打ち込むという半生でありました。経験から言えば、年季が入っていればいいと言うものではなく、短期間でも集中して没頭して只管書き込む、方が上達する可能性が高いです。

そしてもう一つ、良い字を書くのには金を惜しまないであります。半紙を大量に使えばお金がかかります。ましてや文房4宝と言われる「筆・紙・墨・硯」をないがしろにしてはなりません。手入れの行き届いた高級な羊毛筆や、手漉きの上質紙、手でゆっくり摺り下ろした古墨などを試し相性を確かめ、自分の手にあったものを見つければ、一段二段上の書が書けるようになります。自分への投資だと思って出来るだけここに精力をかけお金もかける、のが上達の秘訣でもあります。弘法大師さんは弟子に命じて、さんざん気に入った筆を探させて選んだそうであります。

蛇足ながら、時間も環境も経済面も備わってませんよ、と言う方は多かろうと思います。いいのです、今できるだけの事をすれば。
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春の祭りも自治会もまっぴらごめん

2023年03月26日 | 雑感
昨日は、当地区の春祭り、あいにくの冷たい雨ながら、おらが大臣「タロサン」が駆け付けてきたので、平塚の南地区で地元一の神社「三島神社」では、SPの警護で大変だったそうであります。なにせ当地は昔からの漁師町、気が荒く少々の事では動じない町の気質であります。警護のお兄さんの脇を、お御輿の台やらなんやらの細工のため、若い衆がチェーンソーを片手に通り過ぎ、市外県外から応援に来る「刺青」あり、締め込み姿の担ぎ屋さん(協力会)もお構いなしに闊歩するというシュールな有様であった、と倅が申しておりました(笑)

安倍さんの一件以来、そうした警護が相当厳重になったと聞きます。太郎さんは、国務大臣なので何かあったら大変な騒ぎになるでしょう。下手すると総理大臣?みたいな話が無きにしも非ずですから。

そんな春のお祭、当然夏祭りほどには盛り上がりません。ワタシも一応は神社の評議員という事にはなっておりますが、自治会長が忙しいから、とこのところほとんど顔を出しておりません。子供の頃から祭りが大好きな次男だけは雨の中駆け付けて子供神輿の世話をし、古くから歌い継がれた「須賀甚句」をうなるのが楽しみなようです。この甚句は、民謡などの師範級だった彼の祖母が得意としていて、80歳半ばまでスピーカーをぶら下げて練り、甚句を唄って、当地のお祭りでもちょっとした名物であったのです。

「セエ~、須賀の名代は」と入り、担ぎ手が威勢の良く「アーイヨー」と合いの手を入れます。その後は「西に駿河の富士の山、東に湘南江の島で」と続くのです。これはいくつかのバリエーションがあって、下ネタがかった替え歌もあるので教育上宜しくありません。おばあさんは正当な歌詞でしたが、その承継者を自認するわが息子三兄弟ともに、エロ歌化するので、親としてはなんとも面目ないのであります。

そんな中、午前中は自治会の理事が全員交代するので、その引継ぎを行いました。ワタシにとっての任期であるこの2年は大変不愉快な思いをすることも多く、嫌な人・動かない人・文句ばかり言う人・ちっとも出てこない人・自分勝手な人、そんな人の集団の中にあってえらい苦労を強いられたのです。

あと数回の会合やイベントが終われば一応お役免除となりますが、ともかく前の川を渡るしかないので、最後に近づくその一歩を終えたのであります。当然ながら春祭りと両方出るわけもありません。冷たい雨で風邪でも引いたらバカみたいであります。

さすがに家内もワタシの苦労やぼやき、そして体調不良を見かねていたのか、自分では顔を出すことも無いのに「引継ぎが終わって」ほっとした、と申しておりました。

もはや、すべてのセレモニーを待つ必要もなく、自分の失われた日常を取り戻したい、穏やかで篆刻などの創作・芸術に近い世界に触れられる心境にならないと願うばかりでありました。

そして3週間以上遠ざかっていた篆刻を再開しました。あれほど好きで楽しく、毎日3本くらい彫っていたのです。
昨日と今朝にかけて一つ彫りました。3カ所ほど思い切りミスっていますが、稀代のテクニシャン「徐三庚 」先生の摸刻であります。しばらく彫っていないので出来栄えは二の次、その世界に戻るためのちょっとした肩慣らし・儀式であります。


コメント (2)
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◯◯もおだてられると・・・

2023年03月26日 | 植物
お天気が悪く、気分もすぐれず体も動かせない、といった状況でも、自治会などの仕事が待ってはくれません。年度代わり、自分の自治会長退任にもあたるので、総会やら引き継ぎやら漏れがあってはいかんとか、落ち着かず「嫌な感じ」が体を付き纏う、といった按配でありました。

医者からも、静養と処方された服薬をすすめられて、たいした病気でもないのに、すっかり病人気分であります。すでにして、あれほど楽しくて毎日彫っていた篆刻にも3週間触れずにいます。

WBCもサッカーキリンチャレンジカップも男女のフィギュアスケートも楽しく観戦出来て、気持ちが晴れてくれるといいのですが、なんとなく冴えないのであります。そんな中で探し物片付け仕事もちょいちょいあって本当に落ち着かず、早く4月になって欲しいと願うばかりであります。

そして、昨日ちょっとふれた「けんすけさん」から励ましのコメントを頂戴しました。人に褒められるのは滅多になく、けなされる、やっかまれる、と言ったことも多いのです。正直お尻がこそばゆくなるほどのお言葉であったのですが、「芸術家」でも「篆刻家」でもない自分でも、いくらかの創作活動を続けてきたことに気づき、満更間違ってばかりの半生でもないか、と安堵し大変うれしかったのであります。

片づけものをして出てきたのが十年以上前に書いた水彩画でした。褒められて調子に乗って、ちょっとだけご披露します。だいぶ書いたのですが、欲しい方には構わず差し上げていたのであまり残っておりません(´;ω;`)。
印にせよ絵にせよ、欲しいと言ってもらえるだけシアワセでありますな。

よく旅行していた沖縄の風景
「中村家」
焼失した在りし日の首里城
守礼門
その他にも
ざっとした絵ばかりですが、勤務していた金融機関から出向した中小メーカーから、うまくなじめず戻されて、鬱々としながら自宅待機していた日々に描いたものがほとんどであります。どことなく哀愁と言うか悲しさを漂わせています。
絵は好きで、中学高校と美術部に在籍しておりました。その後は皆さんと同じく生活の為に、趣味などは忘れ去って仕事に追いまくられてきました。

さて、60歳過ぎてから書道と篆刻に宗旨替えしましたが、このところすっかりさぼり気味なのです。とにもかくにも日常を取り戻し創作活動に専念いたしたいと強く念じるところであります。
コメント (4)
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