植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

鳥が来る 彼らは友人であり仇でもある

2021年01月31日 | 植物
 先日、久しぶりに霜柱が立っていました。寒いわけです。とはいえ、大寒を過ぎ、少しづつ暖かくなっていく時期でもあります。盆栽の梅の蕾もほころんできております。そういえば、ホームセンターにはジャガイモの種芋が沢山売られていました。あぁ、いつのまにかそんな時期なんだと気づかされます。
巷では、やれコロナだとか、確定申告だとか(笑)、オリンピックがどうしたとか騒いでおりますが、季節は素知らぬ顔ですこしずつ確実に変わってきています。

 ここのところでムクドリが姿を見せるようになりました。短足で少し不格好、鳴き声もうるさいので、「害鳥」扱い=駆除対象されるようになりました。ひと月ほど前からは、お馴染みヒヨドリとイソヒヨドリもやってきています。イソヒヨドリは、ワタシの大事なメダカを襲って多数死なせたにっくき奴(多分)です。とてもバリエーションの多い可愛いさえずりで、少し青みがかった精悍な姿ですが、気性も荒く、一回り大きなヒヨドリを追い払います。

 ヒヨドリは、キャベツとブロッコリーの葉っぱを齧っていくのですが、さらに、柑橘類を狙っているので油断なりません。ゆずには目もくれず、デコポンやら清見オレンジなどを鋭い嘴で突き、外皮を破って中身を吸い取ります。今年は、防鳥ネットをちゃんと被せたので、今のところ被害は軽微であります。 このあと番でやってくるメジロの方が始末が悪いのです。可愛い顔してペアで仲良く飛び回ります。か細いさえずりも春の訪れを告げるようで結構なのですが、この子らもワタシの柑橘類を狙っております。体が小さいので、粗い防鳥ネットの隙間をかいくぐって柑橘に穴を穿つことが去年判明いたしました。

シジュウカラ、ハクセキレイなどもたまに姿を見せますが、常連は、スズメであります。ヒヨドリとともにワタシからビスケットのかけらをねだりに毎朝うるさく催促してきます。

 野生動物に餌付けすることにはワタシも基本反対です。自然のママで出来るだけ触らないのがよかろうと。しかしながら、ブロッコリーやキャベツの葉が無残に食べられ、虎の子のデコポンやセトカなどが突きまわされるのを看過出来ません。彼らの食欲をビスケットやパンくずが満たしてくれれば、野菜や果実へのアタックが少しでも和らぐのでは、と思いつつ遠慮がちに自分の食べ残しを畑に放るのであります。箒や石ころで追い払うよりは平和的であります。自然と共生し、動植物たちとこの世界を、どうしたら上手に分かち合うことが出来るのだろう、とみんなで考えるのが大事だと思います。

 肝心の柑橘類は、例年になく順調に育ちました。幼苗の「はれひめ」と去年大量に実をつけた「清見」は開花しませんでした。レモンは3年目ながら沢山出来ました。
 セトカは、ワタシが欲張って摘果をしなかったので、少し小粒です。昨年、2か月も収穫時期を早まって、すべて食べられないという痛恨の失敗をいたしました。今年はまだ2,3個味見しただけで樹上での完熟を待っております。ほとんどに袋掛けを施し、細かい目のネットを被せたのでメジロにもやられずに済んでいます。一度赤くなった色が黄色に退色するのが収穫の目安だそうです。

実質的には初めて、まとまった結実をした不知火(デコポン)は数も大きさも予想外の出来でした。植えている場所の南のお向かいの2階屋で、11月から1月は、日陰になるのがやや不安材料でしたが。

柑橘にはうるさい家内から「合格」のお墨付きをもらい、盗られる心配から早く収穫するよう催促されております。

 こちらは、比較的新しい品種、うちのニューフェイス「はるか」です。レモンのような緑がかった黄色のままで熟しているんです。もとは「日向夏」がほかの品種と自然に交雑したものだそうです。お尻の形状が不知火に似ているので、相手はそれではないかと思えます。中の果肉も見た目は夏みかんみたいで酸っぱそうですが、香りがよくほとんど酸味もない甘い品種です。

 これ以外にもう一本清見と不知火があり、いずれも実がついております。これが清見。着花数が少なかったので、ソフトボール大の大ききになりました。昨年もっとも鳥害が大きかったので、皮が柔らかくなってきた一月中旬にネットを張りました。
 ちなみに、ぷちまる、というキンカンも2年前から植えており、不定期にだいぶ実がつくようになりましたが、口にしたことはありません。食べごろになるとヒヨドリが順にに食べていくので、ワタシに順番が回ってこないのです。
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蕎麦打ち 間もなく開演します

2021年01月30日 | グルメ
昔からよく言われるものに「うどん派」「蕎麦派」論争があります。

 曰く関西圏はうどん好き、で関東は蕎麦が江戸流。落語でも上方落語と江戸落語の違いは、というと桂雀々師匠が「つこてる言葉がちゃうやん」と突っ込みそうですが、「時蕎麦」も関西では時うどんとなるようです。 小拍子という小さな木片を使ったり、前に見台 (小さな机)を置くのも上方流ですね。
 
 ワタシは九州大分県の出であります。九州は、イントネーションなどは関西弁とは全く異なり九州弁として独自の方言が残っています。しかし、文化全体ではやはり上方・関西圏の影響が多いように思われます。したがって、お昼は蕎麦よりうどん、という習慣がありましたね。かつおだしでとって醤油は薄口、透き通った上品なうどんツユでした。大学に行くようになって上京した時にみたうどんツユの色の濃さに驚いたものです。

 さて、そんなワタシなので、若い時分からさほど蕎麦にこだわることもなく、うまい蕎麦を求めて名店を探すなどということもありませんでした。ましてやそば打ちなど考えたこともなかったのです。
 ところが行きがかり上、全くノウハウもなく目的も無し当然道具もないのに、なんの情報もないままやみくもに蕎麦打ちをすることなりました。先日、やや本格的な蕎麦打ちセットをすでにヤフオクで落札し手元にきております。
 
 先入観で、蕎麦打ちは力仕事、頑丈な作業台がいるのではなかろうか、と考えましたが、さすがに蕎麦打ち専用台を買うのも気が咎めました。なにせ安くても3万円! そこで衛生的で上部な作業台の自作を検討しましたがこれも、かなりの費用と労力をともない、それだけで蕎麦打ちへの意欲を損なう、という懸念から、たまたま預かりものの会議机を活用することにいたしました。細い円柱形の4脚のみなので、ガタつくし強度も弱く天板がたわむ心配さえあります。そこで昨日ありわせの木材を使って、中央部分に建てる補強支柱を作りました。倒れなければよし、上からの荷重だけ受ければオッケーです。

これを、机の下にあてがい、下に床用のシートを張って出来上がり。いずれも固定せず、木ねじや接着剤等で固着しないのが私流、いつでも修正・やり直しがきき、すぐに壊せるという利便性・簡便性を優先しております。


 一方、ネットで蕎麦打ち方法が出ていますが、その都度スマホで調べるのも難儀なので、入門書も発注いたしました。加えて、テーブルクロス、計量器、水差しあたりを揃えたので、もうすぐにもそばが打てる、と思いきや肝心なそば粉がありません。
 
 乏しい情報では、素人はそば粉100%の十割蕎麦は難しい。打ち粉というものが必要でそれ用に作られたそば粉のようです。二八そばは、2割がつなぎ(小麦粉 )で打ちやすく、バランスがいい喉越しになるのだそうです。

 そこで、第一回は、とりあえず二八蕎麦でよかろうや、と考えて、打ち粉・つなぎと揃った「こだわりや お試しセット」を注文いたしました。すでに挽いてあるそば粉で、北海道産と山形産の2種が入っているものが約10人前、2,400円でした。ここは、すべて授業料、練習ですからこだわりはありませんが。まずやってみる、足りないものはその都度買い、失敗したら次はやり方を変える、そんな感じがワタシの流儀であります。

 本が届けばにわか知識で即やってみよう、と思います。誰でも最初は初対面、2回目からはお友達💖、というような気楽な気持ちです。思い出しました。あの机と一緒に残っていた粉、友人が「ハットク」という韓国風アメリカンドッッグの店「はすドッグ 」を開く際に準備した材料の一袋20Kgなんです。消費期限がとっくに切れて残りは全部処分しましたが、何かの時にと思って一つだけ残してあったんです。小麦粉にハスとか砂糖とかいろいろ混ぜてありますが、こねて延ばす練習にもってこいでしょう。
 おっと、「形から入る主義」のワタシとしたことが。毛髪などが落ちるのを防ぐために被る手ぬぐい(バンダナ)、それから作業着がいるでしょうよ。そこは作務衣かな(笑)

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も少し 気の利いた言い訳考えたらどうよ

2021年01月29日 | 時事
この方たちの見苦しい言い訳、子供でも言わないような申し開きが実に斬新で驚きですなぁ。

 あの、不倫文化男の「石田さん」、焼き肉屋に行ったら、偶然居合わしたほかの個室に居た仲間が合流した結果、10人になったそうです。ここで中座したら「雰囲気ぶち壊しになるので」そのまま和気あいあいと焼き肉を頂いたそうですね。どれだけ交友関係が広いんでしょうか(笑)。
 
 このタレントさんは、昨年自粛期間中に沖縄の自分の店に仕事で出かけお姉さん方とゴルフに行きどこかでコロナ感染して入院、以降も繁華街の泥酔などが報道される豪傑です。どうせだから、言い訳などしないで、もう免疫を持ってるから感染しないんです。経済を回すのも大事でしょ、と開き直ればいいのに。

 時津風親方は、大のマージャン好きで、場所中に何日もマージャン荘に通っていたことが報じられました。この人、去年は協会の規定を破ってゴルフをしたことがばれ降格されていたんですね。雀荘には行ったが、「マージャンは打っていない」そうです。すると何をしに行っていたんでしょう。本人は巡業のチケットを持って行ったそうです。毎日チケット配りを同じ雀荘にねぇーー(笑)。丸い土俵から離れて「四角い雀卓」を見に行くと気が休まるのでしょうか。

 銀座のママのところに、夜中まで居座った自民党の先生松本純国対委員長代理 は大したものであります。この、議員の会食が取りざたされ「上級国民」などと問題視されているさなか、深夜まで「陳情」を聞いていたそうです。二軒2時間以上も滞在してお酒はほとんど飲まないとのこと。自腹で経済を回し、窮状を訴える高級クラブのママと二人きりで、しらふで陳情を聞くなどという芸当は、普通の人にはまねが出来ません。

 (高級な)接待を伴うクラブママと上級国民です。ワタシら下賎な平民からしたら、「ママ、明日夕飯の約束入れたから、そのあとそっちへ行くよ、店の子が帰る時間まで、ほかで時間つぶすから」と言って、陳情の予約を入れたのでは? シャワーで身を清めお互い裸で本音をぶつけ合う、胸襟を開いて、耳元でじっくり話を聞いたんじゃないの、と疑ってしまいますな。それではお酒は飲んでる場合ではありませんね。

 遠山清彦公明党議員も似たり寄ったりですが、会社社長と18時から食事をしながら意見交換(笑)。2時間後、「続きを聞くため」個室に誘われたんだそうです。行った先のクラブは自粛期間中なので営業していたら「闇営業」ですね。着いたのが23時を回っていたそうでありますから、すでに3時間ばかり食い違いますね。 忙しいはずの国会議員が、事前のアポなしで真夜中に民間人との意見交換が行われるというのは世間的に通じるのでしょうか? それだけの時間をかけるほど込み入った意見なんでしょうか。「どんだけー」(爆笑)。議員だったら、もう少しましな釈明をすることも出来るでしょうよ。

 そうしたら今度は二階さんの側近、鶴保庸介さんと門博文衆院議員の公設秘書が 感染したんだそうですよ。和歌山くんだりまで行って、焼き肉と居酒屋をはしごした挙句、ショータイム付きカラオケバーでクラスター源になったと報じられました。仮面舞踏会を店の子たちが踊るのが売りだったそうですが、その性別とどんな衣装だった、うぅー気になりますな。

 鶴保事務所 によると、「和歌山県は緊急事態宣言も自粛呼びかけも無く、感染者も減っていた」、から問題ないそうであります。
 県側では、東京から来た客が従業員に移した、それが次の来店客に広がった、という推測を公表したら、自分たちが運んだと断定されていないと、開き直っているんですね。ネットで調べるとは鶴保さん、ずいぶん評判が悪く、たたけば埃が出ますね。公選法違反・スピード違反・金と女にまつわる問題を数々起こしその都度「襟を正す」と釈明反省の弁を述べていますが、その意味を理解していないようですね。

 ネット用語に「逝ってよし」という表現がありますが、そんな感じでしょうか。こんな人たちを挙げ始めると枚挙にいとまはありません。みんな緊張感もなく、自分たちは特別で、ばれないと考えているんでしょうね。さすがのマスコミも、あほらしくていちいち言い訳の矛盾を詮索もしないのですが、この方たちの「ちょっと軽い」行動によって、それぞれの今後には深いダメージになるでしょうね。国民が、この緊急事態の最中に「ぶったるんでいる」と怒るのはいたしかたありません。しかし、それにしても言い訳の下手なこと。
 
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次はかなかな? かなはなかなか難しい

2021年01月28日 | 書道
 LINEというものは便利で、今や日本人の生活や情報交換などには欠かせないツールになりました。ふっと考えてみるとこれでやり取りしている相手は、ほぼワタシと同世代、最も若いのが古くからの友人の甥の娘さん18歳、つぎがかなり飛んで30代半ばのカナちゃんでした。もうあとは、みんな40歳以上、平均60歳あたりでしょう。それはそうです、こちらが歳を取っていくのですから交友関係にある方々も等しく毎年、一歳ずつお年を召しているのですからね。ワタシが「接待を伴う飲食業」通いでもしない限り、若い人のLINE友達は増えるあてはありません。

 カナちゃんは、行きつけのクラブ、ならぬお花屋さんの実質経営者さん。週に何回か顔を出すうち顔を覚えられ、今やメダカの納品や、仕入れの種類に口出しするような間柄であります。働き者で仕事一筋、植物の名前にも精通しているので、何度も教えてもらいました。失礼ながら勉強は嫌いだったらしく、売り物に手書きで品名・育て方・価格などをマジック書きするのにたまに「漢字」の誤字があります。これもご愛敬。

 ということで、本日は「仮名」の話であります。書道の練習はワタシはもっぱら「漢字」、教室に通い始めて間もなく5年になりますが、仮名はわずか半年ほど稽古しただけであります。

 書道をやってみると、漢字・仮名・篆刻と得意分野が分かれてきます。中にはすべてに造詣の深い書道家さんもいますが、大体はどれかにだんだんと収斂していくもののようです。
 一つのことを極めるような名人達人は、ほかのことをやらせても卓越した能力を発揮すると聞きますが、あれもこれもと欲張って結局、どれも中途半端に終わるというのが我々凡人の悲しいところでもあります。

 仮名は、筆のメンテナンスからなにから漢字とは全く異なります。仮名用紙、硯で摺る墨、小筆を使い、運筆の速度も墨継ぎも違ってきます。自分でさらっと学んですぐに書けるほど甘くないのです。筆先に全神経を集め一気に書くというのは、修練と研ぎ澄まされた感性、美的センスが求められます。漢字と勝手が違うので、しばらくそれに専念しないと仮名は書けません。 

 仮名書きの文化は、どうやら平安時代に花開いたようです。中国から伝来した漢字を、だんだん簡略化、単純化して日本固有の書体に変化させ、口語の送り仮名に発展させていったのですね。その頃は、おそらく男尊女卑の世界で、学問・文化の担い手は男、書道もそうであったろうと思います。
 それでも、女性は簡単な書簡を出したり、日記や歌を詠むなど貴族皇族のたしなみとして、書を学んだと思います。その時大変貴重であった和紙に書きつけたのですね。小筆の先数ミリに墨を含ませれば、短冊一枚程度の句が書けるので、きわめて安上がりで簡便であったのです。短い時間で手間なく書け、切れ端にを活用できるために女性の間で「仮名」が主体となりました。すでにこのころから女性に漢字を使わせない、というような差別もあったんです。

 仮名書きのことを古くは「女手」というのです。男は漢字で書を書くので「男手」と呼びました。この伝統がおそらく江戸時代くらいまで続いたのではなかろうかと思います。「書の日本史」全9巻はまだほとんど目を通していないので、テレビの時代劇レベルの知識しかありませんが。

 ざっと調べてみるとやはり「仮名書道家」は今に至るまで女性が多いのです。実際ワタシの師匠藤原先生も、拝見していると「仮名」がお好きらしく、稽古場にもいくつも仮名書きの書が飾ってあります。以前出版した句集「冬の衣袴」は、戦死した息子さんを中心に句にしたものを先生が漢字交じり(調和体と呼びます)の書にしていて、先生の真骨頂でありました。

 というわけで、今の世の中、書道でも男女の隔てはありません。漢字に全集中してきたワタシも、最近は篆刻を学び練習中であります。篆刻と並行して篆書体・隷書の半切の作品作りが課題ですが、一区切りついたら、また仮名書きを再開せねばと思います。虻蜂取らずの懸念はつきまといますが、斗南先生の篆書、百福図などを臨書するうち、篆刻が一段と身近になった如く、仮名書きも書芸の向上にきっと役立つと思いますから。


 

 
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コロナが問う 日本に未来はあるのか

2021年01月27日 | コロナ
ちょっと思い立って、昨年からの「コロナ」テーマのブログ記事を少しまとめて、見返し整理してみました。
 昨年1月22日「予言します 人類は滅亡の危機に瀕しています」というお題で、コロナを取り上げたのが初めてでした。「中国が人類滅亡の引き金を引く」とも書きました。国会では相変わらず桜を見る会やらなんやらで停滞、コロナどこ吹く風でしたね。

 海外からの渡航者もスルー、武漢からの中国人旅行者さえ、検温と自己申告で通過させたのでした。ダイヤモンドプリンセスは、海上に放置して感染が拡大、2月中旬にようやく専門家に話を聞くための専門者会議を立ち上げるなどののんきな対応を始めました。このころから急にマスク不足が騒ぎになっていました。ワタシが緊急対策本部を立ち上げよう、と書いたのはその頃。
 
 しかし、相変わらず政治の動きは鈍く、コロナに関しては無策のままでありました。今度は検察長官人事やら国家公務員の定年延長で世の中をひっかきまわし「この政権は正気の沙汰とは思えませんな」とブログに上げました。
 その後、黒川さんのマージャン事件で一気に政治の流れが変わり、盤石に見えた安倍政権への風当たりが強くなり、支持率の低下が顕著になったんです。

 すると慌てた安倍さん、いきなり学校閉鎖を打ち出しました。次がアベノマスクでした。これが自民党政権のリスク管理の実態であり、安倍政権の非常識さの象徴ともなりました。実際、国民が危機感を強めコロナの怖さを実感したのが、志村けんさんの死亡(3月末)でした。
 
 ようやくGW前後で「緊急事態宣言」によりいったん感染が収まったのです。ところが反動で緩んだ若者たちを中心に繁華街・夜の街クラスターが多発するようになりました。せっかく国民の犠牲と努力でなんとか頑張ったのに、安倍さんは「日本モデル」と、さも自分の手柄のように威張って見せましたが、もうその頃には深く潜航していたコロナは取り返しがつかないレベルにまで来ていたのです。そして、オリンピック開催の見込みが立たなくなったら、さっさと安倍さんはお尻に帆をたてて、すたこらろ逃げ出しました。お腹が痛い、といって早退 片腹痛いわ、とワタシは控えめに感想を書きました。

 安倍政治を踏襲する、というお題目を掲げて何の準備もないその資格も能力もない菅さんが後を継いで火に油を注いだのがGo-toでありました。
 欺罔と思い上がり、嘘と隠ぺい。長らく続いた自民党政権のタガは緩み切っており、緊張感もなければ倫理観も欠如。何より世襲議員のお友達集団であるために、きわめてお頭が弱い口先ばかりの議員がなんと多いことか。

 自民党のやってることにケチをつけるな、と言い放つ、国民を馬鹿にした妖怪二階さんが、首相より偉いそうです。首相は、陰湿陰険な人事で官僚を睥睨し官僚を委縮させ、情報が分断されるので機動的な時宜に応じた判断が出来ない、という事態になっているのです。

 ワタシは思います。市井のワタシのようなものですら、ネットなどの情報からすでに1年前危機感を覚え、尋常ならざる事態の進行を憂いていたのです。
 リスク管理が大きな柱となるべき官僚や政治の世界では、それの何百倍もの情報、優秀な人材がいてしかるべきなのです。なのにどうしてこれだけお粗末で後手を踏み、危機や被害を拡大する方向に進んでいくのでありましょう?

 これは、菅さんひとりの責任では無いのです。はやいところ学者、民間有識者、心あるジャーナリストなど多くの中立的人材を集め、過去30年間の日本という、経済や国民生活の混迷、国のありかたの検証と再建のための根本的な改組・憲法改正・社会制度改変などを真剣に議論する会議を作るべきだと思いますな。

 このままだと、「日本はますます衰え消えていく運命になりはしないか」、というブログ予言を書くことになります。
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