神戸の新聞は、契約購読せずに毎朝 コンビニで購入するのが習慣になった。
昔から・・と言うか子供の頃から、親父の読む新聞は一紙に決まっていて 親父の読んだ後を拾い読みして社会の情報を得ていた様な気がするので新聞は不可欠な存在だった。
テレビが、生まれた後も 社会人になってからも その時の新聞を義務のようにして読むのが 一日の始まりだった気がする。
それが、ここ10年にそんな新聞の読み方になったのは ちょっとした変革だが 今は10種類ほど店頭にある物から 興味ある見出しの新聞を選択している。
ところが、新聞によって同じニュースを伝えるのにも見方が相当違うのに気になってきた。何か、自分が考えた受け止め方とは違う論点で解説されると 気に入らない感じがするが そんな見方もあるのかと思わぬ発見もあり 各誌を日によって変えて読むのも楽しい事を実感したし世の中の反対意見も少しは理解できた。
昔の新聞は少ないページでも、読む場所が多かった気がするのが 今は厚みが40ページの週刊誌に匹敵する量でも 広告ばかりで情報量はあまり変わらず 寧ろ内容が薄い感じだ。ネット流行りで若者が新聞を必要とせず、そう言えば若者が朝 新聞を買うのも読むのも見たことがない。コンビニ新聞も僅かだが、多分購入者はマンション住まいの高齢者だけらしい。
記事の内容も、新聞社の主張的な意見より 大衆迎合的になり以前のように 一部を切り抜いて残したい記事など皆無になってしまった。現在は新聞も軟化してしまい NHK-TVも朝早くから バラェテイ番組で視聴率を取れるものに重点を移し、本来の国内・世界で起こるニュース・事件をいち早く伝える本来の役目が弱く 読む人・見る人もそれを既に期待していない。真面目なニュースはネット情報の方が、同じ時間をかけるなら海外ニュースとか国内の著名人発信の方が 遥かに信頼できる物が多い。
今の新聞記者の資質も、いろいろ取り沙汰されているが 気骨のある論調を展開できる 本来のマスコミに戻るなら 国の方向を憂慮する人々が読むだろうが 今のままでは 企業としての存在も危うい気がする。
昔から・・と言うか子供の頃から、親父の読む新聞は一紙に決まっていて 親父の読んだ後を拾い読みして社会の情報を得ていた様な気がするので新聞は不可欠な存在だった。
テレビが、生まれた後も 社会人になってからも その時の新聞を義務のようにして読むのが 一日の始まりだった気がする。
それが、ここ10年にそんな新聞の読み方になったのは ちょっとした変革だが 今は10種類ほど店頭にある物から 興味ある見出しの新聞を選択している。
ところが、新聞によって同じニュースを伝えるのにも見方が相当違うのに気になってきた。何か、自分が考えた受け止め方とは違う論点で解説されると 気に入らない感じがするが そんな見方もあるのかと思わぬ発見もあり 各誌を日によって変えて読むのも楽しい事を実感したし世の中の反対意見も少しは理解できた。
昔の新聞は少ないページでも、読む場所が多かった気がするのが 今は厚みが40ページの週刊誌に匹敵する量でも 広告ばかりで情報量はあまり変わらず 寧ろ内容が薄い感じだ。ネット流行りで若者が新聞を必要とせず、そう言えば若者が朝 新聞を買うのも読むのも見たことがない。コンビニ新聞も僅かだが、多分購入者はマンション住まいの高齢者だけらしい。
記事の内容も、新聞社の主張的な意見より 大衆迎合的になり以前のように 一部を切り抜いて残したい記事など皆無になってしまった。現在は新聞も軟化してしまい NHK-TVも朝早くから バラェテイ番組で視聴率を取れるものに重点を移し、本来の国内・世界で起こるニュース・事件をいち早く伝える本来の役目が弱く 読む人・見る人もそれを既に期待していない。真面目なニュースはネット情報の方が、同じ時間をかけるなら海外ニュースとか国内の著名人発信の方が 遥かに信頼できる物が多い。
今の新聞記者の資質も、いろいろ取り沙汰されているが 気骨のある論調を展開できる 本来のマスコミに戻るなら 国の方向を憂慮する人々が読むだろうが 今のままでは 企業としての存在も危うい気がする。
