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碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

2004- 生物の多様性で

2020-04-20 | 学習

 先月、手に入れた本「美しい生物学・・更科功著」と言うのが今の愛読書。ヒトの細胞から始まって、地球上の生物の多様性の大切さにも 触れていて広範囲な話題満載が良い。

 コロナウイルスになるが今日は 世界の感染者数二百三十万人、死者数十六万人と約7パーセントの人が亡くなったと報じられている。世界の感染分布を動画で紹介されるが、地球の上は人で一杯でこの本の内容からすると、動物も緑地も減り生物多様性が無くなり 人類が増えすぎ密集化たこともこの問題の原因だとも言える。

 米イエローストーン公園の話がある。百年前、人間はオオカミを公園から駆逐したが オオカミがいなくなった為に鹿が増えて 植物を大量に食べ森林が荒廃し 三十年後に人為的にオオカミを再導入して緑豊かな公園に再生出来たと言う。人間社会は、動物に襲わることも無くなって、大繁殖した現在だが 生物の動物・植物・人間も多様性がある程 繁栄出来ると言う説からすると 危機的な状況らしい。

 コロナウイルスと言う細菌は、細胞よりも小さくて見えないものらしいが 単体では増殖できず 細胞に入り込んで繁殖するらしい。存在する限りは、理由があって地球上にあるのだろうが人間には有害でも これも生物の仲間として何かに役に立っているのかも知れない。

 こんなページを見つけました

 

 

 


2002- 世界で最古 縄文?

2020-02-06 | 学習

 数年前に、江戸文化の通信講座も受講しが 江戸時代は北欧から始まったアジア大陸への植民地化時代の流れを察知した徳川幕府が いち早く鎖国制度で国を外国から防御した260年間に造られた文化だった。法政大学総長の田中教授の講座だったが 主に衣装・芸能・衣食住・礼儀作法・共同生活を知ったのだが 見知らぬ日本人同士が 交わす「良いお天気ですね」と言う「江戸しぐさ・礼節」と言われる文化は江戸で生まれた  日本独特のものだと書かれていた本を 古代史コーナーで見つけたのでそれを読み始めている。

 日本史の古代で昨年、東京国立博物館で縄文式時代の展示があり国内外で大きな反響になったそうだ。前年から始まっている、縄文古代史・土偶に注目が集まり 再度開かれた企画だったらしい。その紹介の中に、日本の縄文式時代は今まで教えられていた時代よりもっと古かったと言う。旧石器時代に続き、1万2千年前に始まり草創期・早期・前期・中期・後期・晩期に大別され2300~2400年前に弥生時代に移行したと辞典に書かれていた。世界の他の地域では、南アジア・西アジア・アフリカの文化は9千年前で、欧州最古は8500年前と比べると更に5千年は古い時代なのだが何故だろう。

 今まで「メソポタニア・エジプト・インダス・中国」を世界四大文明と教えられてきたがそれよりも古いと証明されたのは 東北からの縄文出土品とか遺跡からだそうだ。少し、ブームにもなっているらしく 昨年「縄文にはまる人々」と言う映画が作られたり、出土した地方は「世界遺産登録」の申請もされているようだ。

 植民地時代でイギリス・スペイン・ポルトガル・オランダの先進国がアジア大陸・アメリカ大陸を発見したと 物を拾うようにインド・アジア・アメリカ大陸までの陸地を自国の植民地にし、国と言う意識も無かった様な原住民を働かせて すべてを摂取してしまったが アジアの東にある最後の島、日本はそれを知って 鎖国政策で国を守ったのだ。

 江戸以前の古代も、自然と四季がある豊かな地形なので 生活する回り人だけでなく「動物も虫も魚も植物も、皆等しく天から命を授けられ生きている」と言う共生の優しい気持ちで 争いも無く助け合って円形に配置された住居に定住して平和な暮らしをしていたと言う 。大陸の動物の捕り尽くし、森林破壊し砂漠化させたのとは違い 豊かな自然だった事もあって 季節の旬の植物を採取し 小魚を避けて食物にしていたのだ。粘土を発見し焼いて土器を作り土器を利用して暮らすことで 旬の食材を料理して 腐りやすい肉は煮込み 魚は干物で保存する知恵も この頃に発達したのが 世界が驚く多様な日本食、礼儀正しさとか 美徳になって伝わっているのだろう。

 出土品からは、矢じりの石はあったが 武器らしいものは一切なかったそうだ。土偶の人形・土器を見ると、どれも優雅で 心が豊かで平和だったのだろうと 誰もが思う。西暦が始まって二千年、更にそこから一万年前の文化だが この頃の日本が世界の最先端のユートピアの世界だったのかも。(伊勢雅臣著書 「日本人が知らない日本」からの抜粋)

 

 昨年の東京国立博物館展示の紹介写真から


2001- 江戸時代の日本

2020-02-01 | 学習

 司馬遼太郎「菜の花の沖」をやっと読み終えたが 全6巻と言う長編は 海外の国から見られていた鎖国時代の日本を知るうえでとても興味深かった。

こんな長編を読んだのは、久しぶりだったが 文庫本なので 少々辛いのだが それでも読み終えた後に 得た物が多かったと思う。最後の大学教授の解説にもあったが、小説にして小説以上の海に囲まれた日本と言う国の状態が船乗りの目で描かれていて 今まで読んできた戦国時代小説とは違う海洋歴史の全容を含む内容だと言うのも良く分かった。

 鎖国と言うのは徳川二代将軍「徳川秀忠」が、宗教布教の名で侵略しようとする諸外国 外国の賢い商取引から国を守るために貿易は長崎と平戸に限定した制度だった。貿易は主にオランダ国に許可を与え他国は禁止したものだった。徳川の末期に黒船が来航し日米和親条約した嘉永7年(1854)までそれが続き結局は220年余り日本は孤立し外交も無い時代だった。しかし、鎖国も蝦夷地(北海道)ではロシアと 薩摩藩・松前藩などは 交易が続けらていたが 全海岸線は長すぎて取り締まりも防御も出来なかったので 実際は完璧な鎖国状態では無かったようだ。幕府は、船の大型化は国内紛争を恐れ 禁止したが 、その間の欧州は国同士の争いで、船・鉄砲・大砲など大型化・高性能化し日本の周りにも海賊を恐れて装備した兵器を積んで航海していたが 日本の江戸時代は鎖国前に入ってきた数世紀前の火縄銃でしか持っていなかったし 大砲も西洋艦の数百メートルに対して 僅か百メートル程度しかのものだった。

 当時米国は太平洋の捕鯨もしていたので、長い航海に補給は欠かせなかったが 日本は 鎖国ではそれも出来ず 交易よりも寄港地に不満を持っていた、ロシアは動物の毛皮を目的に北から千島列島を南下し無防備の蝦夷地も無主の島として占領しようとしていたそうだ。外から見たら、軍艦3隻もあれば日本は占領できる野蛮な遅れた国と 思われ 外国から見た島国日本は無防備の裸同然の国だったのだそうだ。

 そんな状態の江戸時代は、戦国時代が終わり穏やかな時代と言われているが そんな中にも海外に行っていないのに 書物とか見聞・感覚だけで自国の状態を見通す賢い行動する自国を愛する人間が各地にいたので その人達のお蔭で今の日本が存在している。中でも、ロシアとの友好に成功する北前船主人公が「片手では握手できないように、言葉は相手との間で成立するものだ。物理的には単なる音に過ぎないが、受け止める側の耳の奥にある人間の感受性は弦楽器に似ていて それが良ければ弦が共鳴し互いの脳裏に正確な情景が浮かぶのだ」と言う言葉も通じない中で意思を交換したロシア外交での対話はそう言う意味なのだと言う一説が心に残る。

 著者小説は、沢山の大河ドラマとか映画にもなっているので どれも力作なのだが この本はタイトルが地味で 今まで読んだことも無かった。北前船の歴史講座の紹介で知り、歴史確認のつもりで参考に読み始めたのだが 講座の歴史を知る裏付けにもなり小説としても歴史としても楽しめたが 文字の大きなハード版があればもっと良かったのだが。

 出島の資料から ・・・鎖国と言っても薩摩・蝦夷地までは目が届いていなかった?


2001- 頭の中に、猿さんとウサギさんがいる?

2020-01-15 | 学習

  正月に本屋さんで手に入れた「考え方を鍛える・・穴あけ勉強法 河合薫著」と言う3年前に発行されたもの、 実はネット情報で紹介記事で見つけ本屋の端末検索でやっと探し購入した。
今は例の北前舩の全6巻の歴史長編を読みやっと 4冊目まで来たが 文庫本の文字は小さくて少し 疲れてしまい 中休みを兼ねて読みたくなった内容の本だ。

 本の最初に簡単な文章があり、所々の言葉を抜いて そこに入れる言葉を考える・・と言う 思考方法の紹介だが 教科書などを読むのは知識として残るが 知識として持っているだけでは 実際には何の役に立たないと言う。
そこで得た新知識は、自分の持つ知識と照合し 組合わせて見て 平面の物を立体的に眺め 疑問があれば人に聞いたり続ければ きっとそれは自分の知恵とか技術になると言うアドバイスだ。作者が、自分で創案し実践してきた勉強方法で 文章に「穴名をあける」と言うのは 読み流すのではなく その部分を自分のレベルに合わせて消化吸収すると言う意味で 頭の中であらゆる角度から自問自答して答えを出すことなのだと。
 女子天気予報士のブームを起こした著者なので 説得力もあり 新しい知識は自分の頭の中に住む ウサギさんと猿さん、狸さんと討論してから収納する・・と言う発想には思わず笑えてしまったが 確かに知識は楽しく覚えるものなのだ・・と言う事を若い感覚と独特の発想で苦境を楽しみながら越え 結果的に 勉強することは楽しいと言う内容だ。英会話の勉強中なので、お爺さんにも使えそうな難しい単語は穴あけする アイデアを頂いたが やはり本は実に楽しい。

 年初の新聞のコラムで、茶道の大家が 子供がボール遊びは公園では禁止されて 休日の学校グランドも閉鎖され 遊ぶ場所が無い・・と子供が言うのを聞いて 驚いてしまったと言う記事が載っていた。子供が、子供同士で遊べない、遊ばないと言うのは 大きな社会問題だし教育の根幹に係る問題だが 公園の子供の声が煩いと言う大人達も増えてしまい 多分 現代の父兄とか大人の方に原因があるのだろう。
 今は冬なのにスキー場の積雪情報も、スケート場の話題も消えて スキーを屋根に乗せた車も 屋根に雪を載せた北から戻る車も いつの間にか見ることも無くなりスキー場も閉鎖が多いらしい。あんなに楽しい遊びが消えたのは、温暖化の暖冬か 寒さが嫌いな若者が増えたのか スキー場は綺麗になったが商業化が進み お金持ちのスポーツになってしまったことも問題があったのかも知れないが・・ ・再び、ブームが訪れる事はなく これも消えて行くスポーツなのかも知れない。
 しかし、勉強も仕事も五感を駆使しなければ頭ばかりの火星人の様になる。遊びとかスポーツで、勉強で負けた友人を 打ち負かし 上下が逆転するのも快感て楽しいし、みんな転びながら試行錯誤を繰り返し努力の意味を知るのも 社会で苦境になった時に役に立つのたと思う。今は幼児教育が盛んで 遊びを知らない子供達が多すぎるが 昔は 豊かでは無かったが子供に勉強を詰め込むよりも 親たちも子供には人間本能を磨く方が先だった様な気がしている。

 こんな風景も、昔し話になるのかも


2001- 通信講座を続けて感じる事

2020-01-09 | 学習
 我ながら、驚異的・・・フリーの英語通信学習、先月初めにも書いていたが 毎日の様に短時間ながら続けられているのは いまだかってない現象だ。
音声英語の書き取り、音声翻訳、読み取り翻訳、単語抜け文の完成、音声発音・・など、ネットを使った個人学習は 対面と同じで正解しても 間違っても適切なフォローもあり 正解を続けると褒められるので相手はAIロボと知っていても 続けることの 励みになる。
 過去に仕事上必要になり 有料の高価な通信学習を受けたり 企業内の語学研修も経験してきたが この双方向の個人学習は 新知識を知り応用できるのも嬉しいが その応答が 二人ゲームをしている様で結構 楽しいのだ。

 現在も、とかく学校教育は一方向で勉強は知識として記憶することが主だった。テストも記憶競争で卒業した感じだったが 社会人を長く経験し 高学歴・低学歴の混在した同僚先輩を見て 知識は情報の積み上げでは無く「自分で理解し活用し、始めて自分の物になる」と実感した。先輩・同僚と議論を交換し、自己主張することで知識は初めて応用できる知識・知恵になり 更に重ねると経験となりそれが「その問題は〇〇に任せた方が良い」となればもう完全に自分の味方になった。昔の人は「仕事を懸命にすれば人間が磨かれる」と言ったのは本当だが、今の時代社会に出てから 人間を磨き始めるのでは 学校を出たら直ぐに実力を発揮する世界の中では この国はもう周回遅れになっている感じがする。
 二十代半ばに偶々、米国出張となり約3か月、行く羽目になったが 片言で米人と会話する内に、相手の明確な意思表現と日本人の謙虚・消極性・大勢に従う民族の落差みたいなものは 語学の問題では無く・・・スピードを求めるビジネスでは通用出来ないと感じたものだ。。

 この通信学習は米国発のものだが、初級から始まる学習方法と 定期的に来る 成績ランキング報告を見ると 年齢も国も関係も無く 世界中の人達が同級生でありその学習方法ガインターナショナルな感じで 初めて経験する立体的学習方法だ。
ただ、私はどうも機械端末に向かい 話しかけるのは 気後れしてしまい、端末マイクを切りそれはスキップして受講しているが この発音もクリヤーし先に進めば 楽しい理想的な教育方法だが 更に 「スカイプ講座」対面式有料講座ならもう完璧だろうけど。

 思い出すと、以前米人講師の語学研修も受けていたが 定期的に3分間英語スピーチと言うのがあった。語学は兎も角、これは「自分で内容を英語で考えて、多くの前で発表する」と言う経験をさせて貰った。語学力は兎も角、この経験がとても気に入ったので、職場で若い部下を大勢持った時、自分も毎朝 スピーチしたが その後に当番制で 「3分間スピーチ」を数年間も 欠かさず実施した事がある。社内でも、これが好評で部下たちも 率先して意見を言う活性化した職場になり業績にも効果的で別の部門でも採用されたらしい。
 そんな訳で海外教育方法と比べた日本教育制度は 伝統芸能を守る様な 上から発信下で受信の一方向あり、テストも 多くは二者選択で 知識の詰め込みと単純評価に終始しているのが問題だろう。社会は応用問題と曖昧な事象ばかりで単純なものなど一つもないし、知識は覚えるだけでは、意味がないし本も多く読んでも意味がない・・知識を経験と照合したり 組み合わせたり何度も見直し修正しないと実際には役に立たないのだから。

 知識は覚えただけでは、使い物にならない。幼児の頃の遊びを思い出すとそれが良く理解できる・・例えば草野球のバッターでファールしたくなければ左足を後ろ引いてボールを打つと良いと自分で考えフォームを工夫した様に。
社会に出て自分を磨く・・と言うプロセスでもそうなのだ。先輩に教えられ 判らないことを質問し実践して 始めて知識が役に立ったのを知る。人とのコミュニケーションで知識を転がすことが 大切なのだ・・それも子供の頃から。

 英語通信講座・ドュリンゴの私の今の成績表 ・・・・毎日、約30分 それ以上は根気が続かないのは歳のせい