我ながら、驚異的・・・フリーの英語通信学習、先月初めにも書いていたが 毎日の様に短時間ながら続けられているのは いまだかってない現象だ。
音声英語の書き取り、音声翻訳、読み取り翻訳、単語抜け文の完成、音声発音・・など、ネットを使った個人学習は 対面と同じで正解しても 間違っても適切なフォローもあり 正解を続けると褒められるので相手はAIロボと知っていても 続けることの 励みになる。
過去に仕事上必要になり 有料の高価な通信学習を受けたり 企業内の語学研修も経験してきたが この双方向の個人学習は 新知識を知り応用できるのも嬉しいが その応答が 二人ゲームをしている様で結構 楽しいのだ。
現在も、とかく学校教育は一方向で勉強は知識として記憶することが主だった。テストも記憶競争で卒業した感じだったが 社会人を長く経験し 高学歴・低学歴の混在した同僚先輩を見て 知識は情報の積み上げでは無く「自分で理解し活用し、始めて自分の物になる」と実感した。先輩・同僚と議論を交換し、自己主張することで知識は初めて応用できる知識・知恵になり 更に重ねると経験となりそれが「その問題は〇〇に任せた方が良い」となればもう完全に自分の味方になった。昔の人は「仕事を懸命にすれば人間が磨かれる」と言ったのは本当だが、今の時代社会に出てから 人間を磨き始めるのでは 学校を出たら直ぐに実力を発揮する世界の中では この国はもう周回遅れになっている感じがする。
二十代半ばに偶々、米国出張となり約3か月、行く羽目になったが 片言で米人と会話する内に、相手の明確な意思表現と日本人の謙虚・消極性・大勢に従う民族の落差みたいなものは 語学の問題では無く・・・スピードを求めるビジネスでは通用出来ないと感じたものだ。。
この通信学習は米国発のものだが、初級から始まる学習方法と 定期的に来る 成績ランキング報告を見ると 年齢も国も関係も無く 世界中の人達が同級生でありその学習方法ガインターナショナルな感じで 初めて経験する立体的学習方法だ。
ただ、私はどうも機械端末に向かい 話しかけるのは 気後れしてしまい、端末マイクを切りそれはスキップして受講しているが この発音もクリヤーし先に進めば 楽しい理想的な教育方法だが 更に 「スカイプ講座」対面式有料講座ならもう完璧だろうけど。
思い出すと、以前米人講師の語学研修も受けていたが 定期的に3分間英語スピーチと言うのがあった。語学は兎も角、これは「自分で内容を英語で考えて、多くの前で発表する」と言う経験をさせて貰った。語学力は兎も角、この経験がとても気に入ったので、職場で若い部下を大勢持った時、自分も毎朝 スピーチしたが その後に当番制で 「3分間スピーチ」を数年間も 欠かさず実施した事がある。社内でも、これが好評で部下たちも 率先して意見を言う活性化した職場になり業績にも効果的で別の部門でも採用されたらしい。
そんな訳で海外教育方法と比べた日本教育制度は 伝統芸能を守る様な 上から発信下で受信の一方向あり、テストも 多くは二者選択で 知識の詰め込みと単純評価に終始しているのが問題だろう。社会は応用問題と曖昧な事象ばかりで単純なものなど一つもないし、知識は覚えるだけでは、意味がないし本も多く読んでも意味がない・・知識を経験と照合したり 組み合わせたり何度も見直し修正しないと実際には役に立たないのだから。
知識は覚えただけでは、使い物にならない。幼児の頃の遊びを思い出すとそれが良く理解できる・・例えば草野球のバッターでファールしたくなければ左足を後ろ引いてボールを打つと良いと自分で考えフォームを工夫した様に。
社会に出て自分を磨く・・と言うプロセスでもそうなのだ。先輩に教えられ 判らないことを質問し実践して 始めて知識が役に立ったのを知る。人とのコミュニケーションで知識を転がすことが 大切なのだ・・それも子供の頃から。
英語通信講座・ドュリンゴの私の今の成績表 ・・・・毎日、約30分 それ以上は根気が続かないのは歳のせい