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碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

2407- Jazzライブを再び

2024-07-09 | 日記

 熱中症を気にしてなるべく外出は控えているが 夕方からのJazzなら 大丈夫と友人も含め3人の予約で 真夏のジャズライブを計画した。

 神戸三宮で毎晩ある 生演奏を知ってから、CD音楽は便利だが機械音質で携帯用の音楽エキスだと思う様になった。昔はオーディオ装置も揃えてマニアを装った頃もあったが ウォークマン・CDを使う時代になり それが音楽だと信じていたが ステージで聴くライブ中のグラスの音、ドラムスとかベースマンの楽器を動かす音、時々ウエイターが横切る足音など 雑音を排除した CD録音は44.1Khz で0/1信号変換し、人が聴こえない20Khz以上の高音域は不要と削って 原音編集し それをスタンパーで樹脂CDに型押し 出来た CDは視聴者の再生センサーの感度補正の後に 再生される。

 観客のいないスタジオ録音なら雑音も入らない録音だが、それは ステージの雑音を含む原音とは違うだろう。押し型も大量生産すると摩耗するので マニアは同じレーベルを数枚持ち、良い音を選ぶと聞くと 我々が聴きたかった音は何だったのかと・・懐疑的になる。

 古いLPプレイヤーで 古いレコードを聴いて見た時に、針の雑音の他に録音会場の音が聴こえるが やはり音楽は 溝を削って作ったレコードが面倒だが 心地良い様に感じる、でも音響メーカーは CDも 「ハイレゾ-High Resolution」 もありデジタルの方が進化した高音質だと売り込むが  一方で最近になり LP プレイヤーもレコードまで発売するのは矛盾するのだが・・。

 聴こえない音域と雑音を除去しても耳の良い人は聴き分けるかも知れない、臨場感を雑音として消しても良いが、自身の生の声、音を伝えたい音楽家が ライブ・ステージを続けるのも 別の意味を求めているのだろう、

 映画なら「これは仮想で現実で無い」と思って観るが 音楽は「これは原音の録画だ」と聞かされても 実は違うので レコードが復活したり 会場に聴きに行く人がいるのも 録音の作為的な感じが気になる人が未だいると言うことなのだ。

 

    Jazz ライブ風景


2406- 本屋も電気屋さんも消えた

2024-06-25 | 日記

  長く生きる生涯では 次々と環境が変わるのは避けられないが 近くに本屋さんがないのは不便だ。地方に住んだ時は、電気製品の水漏れなどのトラブルは 困るので近くの電気屋さんと長いお付き合いをしてきた。家電メーカーは修理より、買替えした方が省エネで得だと量販店で新商品を勧めるので 時には利用もしたが 街の電気屋は次々廃業してしまった。

 本の場合は必需品では無いが 歴史文化を知り未来を示唆する多くの人の情報の宝庫で 近くには無かった美術館の様な 心を豊かにする欠かせないものだ。しかし三宮商店街でも10年前は6軒あった店が 次々と廃業し今は僅か2軒になったが 歩いて行ける範囲には書店は無ので 電車で街に行くのも面倒なので3日で届く通販の Amazonに注文した。

 本屋でも 在庫ゼロとか 棚に見つけられなかったり 無い本を依頼すると週一配送で少なくとも10日は待たされそして取りに行く必要もある。本は出版社からの委託販売制度で定価売りだが 売れ残った本は返品出来る仕組みになっているが コンビニなら売れる本だけ置くが 本棚は発刊される本を大量に並べる必要がある、実は平均すると 売れるのは年2回転で半年も棚に置かれているそうだ。本屋が他の文具を扱うのも その埋合わせだそうだ。この古いシステムを変えないと 数年先に教科書もオンライン化され廃止される計画もありこのままでは 本屋も出版社も消えるのかも知れないが 私は気に入った本なら赤線を引いたり 読み返しする紙の本が好きだが 一度読んだ本は積見上げて 読み返す事はないが持っているだけで安心出来る気がする。

 こうして小売店が無くなるが 全国各地で商店街が消えているのも同じだろう、これも物流の便利さと中間業者を通さない通販価格の安さが影響しているのだ、通販生活が主流の広大な土地の欧米の郊外の庭のある住宅街を思い出すが 買い物は車で行けるが 日常の食品は冷凍の通販に頼って生活し 既に65歳以上が1/3となり 5年後には百貨店・銀行も無くなると言う予測もある。

 無人レジのコンビニ・ATMはあるが 手に入らない物は 通販置配の冷凍食品、情報は端末からインターネットを見れば得られる、 街は常に物流の車が行交う風景は 望まれた未来都市の姿だったのだろうか。

 

 日本もこれに似た風景を 何処かで見た気がするが・・


2406- 知識はクラウドで

2024-06-22 | 日記

 日本の教育制度が世界とかなり時代遅れとか 有名大学が世界ランキングから消え 海外留学生も少なくなっていると言う記事に「多分そうだろう」と思う。

 確かにネット情報を見ていると、この国の義務教育の受講風景とかテストで記憶力評価が学力とされ 数字の高い生徒が表彰される過去とか成長期に肝心な高校も多くは大学受験勉強を目指す教育の姿に 半世紀遅れの 違和感を感じていたが 世の中の人は気にならないのだろうか

 世界では既に 高次元思考の「分析・評価・創造」つまり 個人主体の「価値観・哲学・信念」が 今の社会で必要とされるキーワードで 目的志向の行動とか発信が重要で 過去の知識は今の情報機器があれば困ることはない、でもこの国は「知識・理解度・応用」に留まる一方教育で評価は テストの記憶力で評価され 点数が高い生徒が優秀だとされるが それでは答えのない未来に活路を開く人間は育てたとは言えないのではないだろうか。

 日本の子供出生数は10年前は百万人いたが 今は80万人になり 大学進学率から大学生は60万人が46万人に減ったと言う。従って入学希望者は100%入学出来 定員割れ大学も廃校も増えるのかも知れない。若い人はクラウドから 自分で活路を見つる感性のある人もいるだろうが その前に今の基本教育のあり方を見直す必要があると思う。

 自分は勉強は嫌いだったが 何故か好きな事は一生懸命してきたと思う・・好きな事しかやらない子供だったのかも。 大人になって多くの本を読み始め 嫌いだった英語学習を今は毎日欠かさず続けて4年目になる。最近は洋画の英字幕も少し理解できるようになり覚えたからと言って今更 役に立たないのだが 面白いから続いている。

 時々「 You did a great job, well done」の褒められる返信も 多分AIロボットだが 先生から一度も言われた記憶がない「頭が良いね」とは違う意味なのが気に入らないが。

 

 


2406- 生活転換の判断

2024-06-18 | 日記

 30年前にIT化した世界環境に乗れなかったのは この国は 農耕民族なので土地と過去に囚われて習慣に従う事が正しいと今でも抜け出せないのだと良く言われている。

 某学者はドイツが他国から買取したり誘致した企業が 自国語で運営し失敗し直ぐに経営と教育も英語中心に切替えて今はデジタル先進国となっているが 日本は日本語で英検を受けた日本人教師が英語を教え 義務教育で勉強しても 他国の文化も知らず 英語を学んでも文化も知らず会話しても 言葉は通用しないのだと書いていた。確かに英語教育だけでなく 行政の従来システムが複雑な日本語で形成され デジタル化は30年経ても浸透出来ず経済停滞となったが 政治の方も良い未来を期待できる活動しているとは到底思えない。

 国の方向も人の人生も環境変化、経済・健康・体力に合わせたパラダイム・シフト paradigm Shift が必要だが 土地・住居・仕事・地位・人間関係とか 無駄な世間に対する見栄などで多くの人は それが出来ず肝心な転換点とか チャンスをも 逃してしまう。自分の場合は 22才に 5年間勤めて技術の道に行くめどが立った時 職場の上司から勧められ 転社する決心をしたが それは好きな仕事だった。Job Shift・・当時に転社は企業忠誠心に反した事と言われてたが 米国生まれのモーターを国内開発と言うテーマに惹かれ 結局その数十年間は開発・試作・実験・製品・応用に携わるのが使命となった。世の中がオイルショツク不況の1975年(35才)担当商品を系列会社に移すために 地方転勤になったが そこでは主力品の自動化ラインを完成させて無事に停年となった。停年も生活の転換点と 好きな登山・旅行で過ごしたが 車不要の都会に戻ろうと5年後65才の時 40年住んだ庭のある家も 愛車も手放し 暫く2拠点生活した後に 神戸マンションに引っ越し 現在がある。

 それでも良く決断したと思っているが 世の中の高度成長から 技術のメカニカルから電子化に変わる変動期で 時期もタイミングも全てが幸運に恵まれたからだろう。変換の決断には失う物も多い代わりに 新しく得られる物も多いし 新しい人脈も加わり人生は賑やかになった。

 20代に取得し、友人から譲ってもらったマツダ・キャロル水冷4気筒から始まった免許も 雑木林の広い庭も失ったが、車の無い都会暮らしの便利さとか 毎朝窓から見える海と山の景色も手に入った。歩く距離に駅も商店もあり駐車場も忘れたが、15年前は車は便利だと12km離れた街に毎日通う地方生活した時期は 振り返ると何と不経済で無駄なことを 長い間続けてたのかと今更 驚いている。

 地方から人が都会に移住し、過疎地とか限界集落の問題が指摘されているが 車を捨てた昔帰りになるのもクローズした中で仕事も生活も完結する昔の生活が基本なのだろう

 人生の転換点 Tarning Point は全て自己判断だが 人生百年も現実的な社会になりこれは人生が2倍となり「どうやって社会に関わりながら 有意義な人生を送れるか」は誰でも 重要な課題だが 環境変化には柔軟な考え方が必要だし それに常に何かを学び続けるしかないのだ。

   便利だと思った車だが(1972)・・これは良くない転換点だったのかも

 

 人生レールがあるなら簡単に切替えれば済むが・・・

 


2406- 適者生存の法則

2024-06-01 | 日記

 最近のGoogle検索結果とかYoutube洋画の自動和訳が正確になり、怪しい日本語の偽装メールも今は 日本語らしくなったのも多分 広範囲に AI が使われているのだろう。

 人間は過去の経験で判断し行動するが 人工知能AIも人間が入力したデータと比較判断データで考えるのでプロセスは同じでも 結果は全て利用した人間の問題だ。違いは手足は無いが 物忘れと失敗は皆無で 熟練した人が起こす 飛行機事故とか医療ミス、人によるバラツキは皆無で 活用すれば頼りになる強力な相棒となり この活用で勝者が決まるのならこの動きは もう止められない。

 AIがディープラーニングで自身で入力データからルールやパターンを学び未知の入力に柔軟に答えを導き、チェス・囲碁では既に人間はAIに勝てない事も証明されている、今ではこの部分に限り AIが「技術的特異点」Artifical General Intelligence-AGIと言われている境界を越えたと言うそうだ。しかし10年先には 広い範囲でAIが正解のない問題も 自己改する状態 汎用AI=AGIになると言う。

 その世界では 模倣も進むので本物と偽物の区別も出来ず 著作権も肖像権も形骸化し AIに仕事が変わり 失業者が増え 正社員は死語となり 世界も日本も全国一律に基本生活費支給「ベーシックインカム」の社会実験が実施され 出遅れた日本でもその実験が始まるだろうと予測されている。

 知らず知らずの内に 集積された個人データから良い人間・悪い人間がランク付される様な事になるとそれは 怖い相棒にもなるが その能力も形もは何処まで進むのだろうか。しかもそれは自国ではなくて 他国のAIを提供する「テック・ジャイアンツ」のIT企業が持っているのだから。 

 これも社会環境の変化だが 大昔、ダーウィン進化論の適者生存から「我々の働きでより良い社会を作りましょう」と社憲に掲げた創業者 立石一真の先見性を思い出すが、社会の環境変化に対応出来なかった物(者)は淘汰され 古いものは新しいものに置き変わり 必要とされた物だけが存続する・・ 永遠に生きる者の原則は変わらないと思うのだが・・。

 結局のところ 企業も自分も環境に適応させる努力を続けられるかどうかは従来の考え方なら自分次第だが AGIになると その次元も越えてしまいそうだ。

 

President Ai時代の生き方・・